9.ツンデレ王子は初めて笑う
「お菓子、お口に合いましたでしょうか?」
アイルは無心にスコーンを頬張っている。表情としっぽで「美味しい!」と表現しまくっているので敢えて聞かなくてもわかるけど。話のきっかけを作るために、私はそう切り出した。
「え? あ、ああ……美味い。とても美味い」
アイルはきょとんとした後に、こくこくと頷いた。
うう、何その反応……とってもかわいい! しんどい、無理。
アイル様に「とても美味い」をもらってしまった!
心臓がぎゅーっとつかまれて、呼吸困難に陥りそうだ。
内心では死にそうになりながら、表面上の私はほほ笑んでみせる。
「アイル様にそうおっしゃっていただけるなんて光栄です。アイル様のような身分のお方に、お出ししていい代物か不安でしたので」
「……こういうものは、初めて食べた」
と、アイルは複雑そうな表情で、スコーンを見つめる。
「僕はずっとこの塔で育ってきたから、こういう食べ物が世の中に存在することすら知らなかった」
「まあ、そうなのですか」
「ああ。生まれた頃より幽閉されている。お父様はよほど僕のことを疎ましく思っているらしい。僕の存在を隠すのに必死なのだろう」
「そんなことは……」
アイルの碧眼としっぽが切なそうに揺れている。私の胸が先程とは別の理由でぎゅっと痛んだ。
「国王陛下はアイル様のことを大切に思っていらっしゃるからこそ、こうしてアイル様の御身を守っていらっしゃるのではないでしょうか。レオン様をアイル様の護衛として指名されたのも、国王陛下だとお聞きしました」
「あれは護衛じゃない。僕の見張りだ」
と、嫌そうな顔でアイルは言う。どうやらレオンのことを好ましく思っていないらしい。
『フェアリーシーカー』においては、アイルはレオンにすごく信頼を置いていたけれど……この時点ではまだそこまで仲良くないようだ。
「本当に僕のことを大切に思うのなら、会いに来てくれるだろう。だが、お父様とは長い間、会っていない。僕はもうお父様の顔すら思い出せない」
「アイル様……」
私は言葉を失った。
いつもは凛としているアイルの碧眼に影がかかっている。
その顔は憂いを帯びていて、こんな年相応の弱さを見せるアイルは初めてだ。
「私の立場ではおこがましいことかもしれませんが……私は最近、アイル様と過ごせるこの時間をとても楽しみにしております。今日もアイル様にお菓子をお褒めいただいて、本当に嬉しかったです」
私の言葉でアイルの寂しさを埋められるとも思わない。
それでも、アイルは父にも、兄にも、使用人たちにも、周りのすべてに自分の存在を否定されて生きて来た。だけど、世の中、アイルのことを疎ましく思う人ばかりじゃない。
私のように、あなたのことが大好きでたまらない人間もいるんです! と。そう知ってもらいたかった。
私の言葉にアイルは意外そうに目を見開く。
そのまま固まってしまったので、私は不安に襲われた。
う、やっぱり今のは出過ぎた発言だったかな……!
と、焦る私。
一方、アイルはきょとんとした顔のまま口を開く。
「…………君は、変わっている」
「え……?」
「使用人たちに、妙な言葉を流行らせたのも君だろう」
「流行らせたとは!?」
何それ! 初耳だ。まさか私、何かしでかしてしまったのだろうか。
私が愕然としていると、目の前で信じられないことが起きた。
アイルのしっぽがくにゃりと揺れる。それに合わせて、夜空のような美しい碧眼が垂れ下がっていく。
「ふっ……はは」
私は自分の目で見たものが信じられず、硬直。
思考が停止した。
だって、信じられない……!
『フェアリーシーカー』上のアイルはいつも無愛想で、最期まで笑顔を見せてはくれなかった。
それなのに。
目の前に実在する推しが。
楽しそうに笑っている。
「最近……! 使用人たちの噂話に、妙な言葉が混じるようになったんだ。『レオン推し』だとか、『イグニス推し』だとか……っ」
「え……えええ!?」
嘘でしょ!?
その言葉、使用人たちの間でブームになってるの!?
ああ、そういえばこないだコレットと話している時に、彼女の前でついうっかりその単語を使ってしまった。ということは、言葉を流行らせたのは私じゃなくて、コレットじゃないの!?
困惑している私をよそに、アイルは笑い転げている。
「そのうちきっと、王都でも流行るようになるんじゃないのか。その言葉……っ」
「ううう……そんな……」
恥ずかしすぎて、体が熱くなっていく。
どうしよう……。本当に国中にその言葉が広まってしまったらどうしたらいい!?
『フェアリーシーカー』の世界に、オタク用語を流行らせてしまうだなんて……!
全身が熱くなっていくのがわかる。私はゆでだこのようになりながら、体を縮めた。
「僕の耳に聞こえてくる限りだと、『レオン推し』の方が『イグニス推し』よりわずかに優勢みたいだが」
「そうなんですか!? 私はそのお2人でしたら、イグニス様の方が……!」
「推しなのか」
「ちがいます! 私の推しはアイル様ですから!!」
咄嗟に言ってから、ハッとなった。
あああ、またやってしまった~~~!
今度はぷしゅうと湯気でも吹きそうなほどに、私は赤面する。
とんでもないことを言ってしまったことの羞恥と後悔で、私の思考回路はパニックだ。
どうしよう、どうしよう……。
と、焦っていると……。
信じられないことが起きた。
アイルは口元を抑えたままこちらをじっと見ている。その頬に赤みが差した。猫耳がぴくりと動いて、垂れていく。
「うん……うん…………その、ありがとう」
えええ、何その反応!
アイル様の照れ顔!? かわいいいいい! スクショ撮りたい! 心の叫びをつぶやきに全力で乗せて、SNSにアップしたい~~~!!
公式(実在)からの供給が過剰すぎて、心肺停止を起こしそう……!
アイルはよっぽど照れているらしく、赤くなったままそっぽを向く。そして、小さな声で続けた。
「僕のことを推しだと言ってくれるのは、きっと世界中でも君だけだ」
「そんなことは……」
私が言いかけた、その時だった。
「…………っ!?」
緩んでいた空気が一気に張りつめたものに変わった。アイルの雰囲気が目に見えて急転したせいだ。
アイルは険しい表情になって辺りを見渡す。
これはただ事じゃない!
「アイル様……!」
私が異変を察知して、立ち上がったのと、
「伏せろ!」
アイルが私に飛びかかって来たのは同時だった。
「きゃ……っ」
私とアイルは椅子から転がり落ちた。視界が回転して、何が起こっているのかわからない。
次の瞬間、耳に突き刺さったのは大きな物音と、茶器が割れる甲高い音だった。
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