7.第二王子フランツ


 それからも私は機を見て、使用人たちにレオンのことを尋ねてみた。

 しかし、コレットから聞いた以上の情報は何も引き出せなかった。


 わかったことは1つ。


 レオンが人気者だっていうことくらい。レオンはどうやらレグシール国民の憧れの的らしい。女性はもちろん、男性にまで好かれているようで、悪い噂は何も聞こえてこなかった。


(これがフィクションだと、非の打ち所がない人ほど、実は黒いものを抱えていたりするんだよね)


 あまりにレオンが潔癖すぎるので、逆に何もかも怪しく見えて来た。


(どうしてアイル様を殺すのか。あなたの秘密は全部、暴いてやるんだからね……レオン・ディーダ)


 私はそっとレオンの姿を窺った。


 今日もレオンとアイルは中庭で剣の稽古をつけていた。

 私が西の塔で働くようになってから1週間が経っていた。アイルの生活は王族というよりも、ストイックな兵士そのものだ。


 朝は日の出と共に起床。軽く中庭をジョギングしてから朝食。

 後は鍛錬、鍛錬、鍛錬。


 使用人の中には「遊んでいるだけ」とか、「剣士の真似事をしたいだけ」とか、悪く言う人もいる。けど、こうしてそばで見ていればわかる。アイルの剣に対する姿勢はどこまでも真摯だ。


(……認めたくないけど。アイル様はもちろん、レオンもけっこう真面目なんだよね)


 私はジト目でレオンの方を見やる。

 毎日、アイルの稽古に付き合わされて、普通は辟易としそうなものなのに。私が見ている限り、レオンは丁寧にアイルに剣の指導を行っている。模擬戦では真面目に相手をして、素振りや鍛錬の方法には細かく口を出して。


 ――さすがです、アイル様。今の動きは素晴らしかったですよ。


 褒める時は嬉しそうに笑っている。アイルの上達を心から喜んでいるようにも見える。


(これじゃあ、アイルのことを本当に大事にしてやってるみたいじゃない)


 レオンの姿を見ていると、その笑顔に騙されそうになっている自分がいることに気付いて、私は慌てて首を振った。


 ううん、騙されちゃダメ! レオンは敵! アイルを手にかける裏切り者なんだから!


 と、私がそう考えていた時のことだった。


「う……まったく。ここは相変わらず獣臭いところだな。なあ、お前もそう思うだろう、イグニス?」

「はい、フランツ様」


 中庭に響いた声は、今まで聞いたことのないものだった。

 遠慮のない足取りでずかずかと踏みこんで来たのは、1人の少年と青年。


 少年の方は10代後半といったところか。金髪に碧眼。顔立ちは秀麗だが、傲慢そうな雰囲気をまとっている。

 もう片方はこれまた美青年だ。長い金髪を1つにくくって、優美な立ち姿をしている。翡翠色の目は高貴な雰囲気だ。


 私は2人の姿にぴんときた。ルイーゼの記憶が2人の名前を告げる。


(第二王子のフランツ・レグシール! と、魔法騎士のイグニス・ロード!)


 少年の方はアイルの兄。そして、付き添っているのは魔法騎士イグニス――通称、白騎士だ。

 レグシール王家に仕える騎士団は2つ存在する。


 1つは剣士を中心とした『黒衣の騎士団ブラック・ナイツ』。

 もう1つは魔法士を中心とした『白羽の騎士団ホワイト・ナイツ』。


 レオンが黒騎士と呼ばれるように、イグニスも魔法騎士の中でもっとも実力を持つという『白騎士』の称号を持つ。


 突然現れた人物に、アイルは表情を険しくする。そして、フランツと向き直った。


「兄上……何をしに来た」


 フランツは口の端を歪めて、嘲笑うような面持ちを浮かべる。


「お前は今日も庭で棒切れと戯れているのか? まったく僕も兄様も学ぶことばかりで毎日、大変だというのに……。獣の血が混ざっているだけでこうも無邪気に日々を過ごせるとは、お前が羨ましくてたまらないよ、アイル」

「遊んでいるわけじゃない。鍛えてるんだ」

「ぷっはははは! ……いや、すまない、笑ってしまったりして。そうだったな。密林で生きるのに座学は必要ない。人とは生き方がちがうのも当然なことだ」


 ねっとりと絡みつくような声音だった。

 聞いているだけで気分が悪くなる。


 私はこっそりと拳を握りしめた。


(話には聞いていたけれど……何なの、こいつ!)


 今まで誰かからアイルへの中傷は何度か聞こえてきたことがあるけれど、こいつの言葉はその上を行く。

 心の底からアイルを見くびっている――そんな雰囲気だ。


 フランツは視線をずらし、レオンの方を見据える。


「しかし、レオン、お前もかわいそうに。お前ほど優秀な男はそうそういない。その才覚を半獣人のお守りで食いつぶすなんて、お父様も何を考えていらっしゃるのか」

「私がアイル様にお仕えいたしますのは、国王陛下のご意向でございます」


 フランツの嫌味たらたらな言葉を、レオンは笑顔で受け流した。


「それにアイル様は剣の素質がおありでいらっしゃる。そのお相手ができるというのは一武人として、とても光栄なことだと存じます」

「ふん……お父様に何を吹きこまれたのか知らないが。庭で遊び回るのもほどほどにしておけ。黒騎士の称号を持つほどの男がみっともない」

「ご高配のほど痛み入ります」


 アイルは目を細めて、鋭い声を上げる。


「それで? 兄上はここに何をしに来た?」

「幽閉されている憐れな弟の身を案じて来ただけだ。しかし、棒切れを振り回すくらいには元気にやっているようで安心したよ、アイル」


 アイルの姿を一瞥し、鼻で笑うと、フランツは踵を返した。


「行くぞ、イグニス」

「はい、フランツ様」


 フランツの後にイグニスは優雅に続く。フランツが嫌味三昧をしている時も、この男は微笑を浮かべて微動だにしていなかった。


(さっさとお家に帰りなさい、このクソガキ!)


 私はその後ろ姿に、内心であっかんべーをする。

 フランツの姿が見えなくなると、緊張の糸が切れたように辺りの空気が緩んだ。


 アイルは険しい表情を浮かべたままだが、どこかホッとしているようにも見える。


「アイル様。少し休憩にいたしましょうか」


 レオンがアイルの顔を窺って、そう提案した。

 いつものアイルなら「まだやれる」とつっぱねるのだが、今はその気力もないらしく、


「……ああ」


 力なく頷く。

 私は調理場に下がって、紅茶を淹れ、中庭に戻った。机にカップを置くと、アイルは目を見張った。


「これは……」


 カップの中はミルクティー。砂糖もミルクもたっぷり注いでおいたのだ。


「差し出がましい真似してしまったのなら、申し訳ありません」

「なぜわかった?」


 アイルの意外そうな顔を見て、私はくすりと笑ってしまった。


「アイル様の様子を見ていれば、わかりますよ」


 先日、紅茶を飲みながら渋面を作っていたアイルの顔を見て、私は気づいた。

 アイルは苦いものが苦手らしい。紅茶にすら苦味を感じているなんてそうとうだ。


 見張られた碧眼がまっすぐに私に向けられている。

 そのまなじりがゆっくりと下がった。


「……他の者には内緒にしておいてくれ」

「はい」


 少しだけ柔らかく変化した眼差し。

 アイルがそんな表情を浮かべてくれたことはもちろん、彼の中の嫌な気持ちをほんのわずかでもぬぐうことができたことに、私は安堵の思いを抱いていた。

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