18.推しへの思いが募る
私は王宮へ異動となった。
新しい職場に移ると、嫌がらせは嘘のように消えた。仕事に支障が出なくなったことはありがたいけれど。
一度流れた噂話はそう簡単になくなるものじゃない。
「ねえ、見てよ。彼女が例の……」
「やめなよ。聞こえるよ」
私が廊下を掃除していると、ひそひそ声が聞こえてくる。私は聞こえないフリをして、掃除を続けた。
こういった陰口は本当に最悪だけど……でも、実害がないだけ、まだ我慢もできる。
それよりも困ったのは、兵士たちから言い寄られるようになったことだ。毎晩のように私は兵士から声をかけられていた。
『なあ、いいだろ? 俺にもヤらせてくれよ』
『代わる代わるに男を連れこんでるって話じゃねえか。俺も混ぜてくんない?』
断ってもしつこくまとわりついてくる。
私は1人で出歩くことが怖くなってしまった。今では仕事の時以外は自室に引きこもってばかりいる。
(何でこんなことになったんだろう……)
なるべく悪い方に考えないようにしていた。仕事をしている時はそれだけに没頭して、嫌なことは全部、忘れてしまおうとした。
それなのに。
ふとした瞬間、心に怒りや悲しみが湧いてくる。胸をきゅっとつかまれて、息もできなくなる。
目頭が熱くなった。私は俯いて涙を堪えた。
こうして1人で沈んでいると、私の脳裏をよぎるのはアイル様の姿ばかりだ。
普段の凛とした面持ち。時折、見せてくれた柔らかく変化した眼差し。初めて笑ってくれた表情。
(…………会いたい)
会いたいよ……アイル様。
お話がしたい。また一緒にお茶を飲みたい。元気そうなお顔をちらっと見れるだけでもいい。
私は深刻な『アイル様不足』に陥っていた。
涙をこらえながら、一心にほうきをかけていた時だった。
「よ、ルイーゼちゃん」
軽薄な声が背中にかかる。
私はハッとして、急いで目の端ににじんだ涙をぬぐった。
振り返ると、そこにはイグニスの姿がある。へらへらとした顔を見て、ホッとした。
「イグニス様……。またサボりですか?」
「ルイーゼちゃん!? 俺の評価、やたらと低くない? 休息をとってるって言ってほしいなあ」
「って、やっぱりサボってるんじゃないですか!」
軽口を叩き合って、ふふっと笑う。少しだけ心が軽くなる。
イグニスは私の前まで歩み寄ると、緩んだ表情を少しだけ引き締めた。
「……大丈夫?」
「何がですか」
「いや、その……新しい職場には慣れたかなーって」
「そうですね……。まあ、仕事の内容自体は変わらないので」
私がそう言うと、イグニスは眉を垂らして、申し訳なさそうな顔をした。
「……ごめん」
「どうしてイグニス様が謝るんですか」
その表情がイグニスらしくない真剣なものだったから、私は少しだけドキッとした。ゲームで見た、レオンと敵対している時の真摯な顔に似ている。
イグニスは言い訳をするように続ける。
「けどさ……ほら、こっちの方が安全だから」
私は何て返したらいいのかわからなくて、黙ったままだ。
すると、イグニスは取り繕うように笑顔に戻った。
「じゃ、また」
去っていくイグニスを見送りながら、私は考えた。
なるほど。嫌がらせをしている誰かさんは、私が西の塔にいると不都合だってわけね。
そして、イグニスのあの態度。
何となく、嫌がらせの犯人には心当たりが付いていたけれど。
やっぱりそうなんだ……と私は確信した。
フランツ王子……。
いつぞやのように「許せないー!」と憤慨しようとしたけれど、私の心は疲れて切っていて、不思議と怒りの感情が湧いてこない。空っぽな心で、「そっか……そうだよね」と、しみじみと思うだけだった。
昼休みの時間。
私は1人で食堂へと向かっていた。
西の塔ではいつもコレットと一緒にご飯を食べていたけれど。こっちに来てからは親しくしてくれる人は誰もいない。同僚には遠巻きにされている。
私はすっかり無気力になっていた。毎日、一心に仕事をこなすだけだ。休日は自室に閉じこもって、無意味な1日を過ごしていた。
このままではよくない。
それはわかっている。
アイルが3年後に死ぬことを知っているのは私だけだ。私がこのままアイルから離れて何もしないでいたら、あの未来が現実のものとなってしまう。
アイル様が本当に死んじゃう……。
でも、どうしたらいいのかわからない。今の私にいったい何ができるというのだろう。
ぼんやりと廊下を歩いていた私は、気付かなかった。
突然、近くの扉が開く。腕を強く引かれた。え? と思う間もなく、私は部屋の中に連れこまれた。ばたん、と扉が重く閉じる音。
「きゃ……!」
何!? いったい何が起きたの?
混乱している私の前にいるのは兵士の男だった。最近、私にしつこく迫ってくる奴だ。情欲ににごった目で私のことを見下ろしている。その視線だけで背筋がぞわわっとした。
男は私を扉に押し付けて、にやにやと笑った。
「怯えた演技とか、いいからさ。それよりも……な?」
「なっ……」
意味のわからなさと、気味の悪さで私は言葉を失う。
私が呆然としているのをどう解釈したのか、男は脇腹の辺りをすっと撫で上げた。
「ひ……っ」
おぞましい感触に吐き気を覚える。びくんと体を震わせたのは、こみ上げる恐怖心からだったのに、
「お、いい反応だな。どうせ他の男ともヤッってるんだろ? けちけちせずに、俺の相手もしてくれよ」
「い……いや……」
「そう言いながら感じてんじゃん? びくびくしちゃってさ」
は……?
何言ってんの、こいつ。
頭がおかしい……。
理解不能すぎる男の言動に、私の頭は真っ白になった。男はにやにやと笑いながら、手を滑らす。その手が徐々に胸元に近づこうとしていた。
◇ ◇ ◇
「イグニス様ー、たまには私とも遊んでください」
「それなら私も!」
「ずるいわ、私が先よ!」
黄色い声が飛び交う。
その中心部を歩いているのはイグニスだった。自分をとり合っている侍女たちを眺めて、まんざらでもない表情を浮かべている。
「はいはい、俺は一人占め禁止だよ~」
「「「もー、イグニス様ったら!」」」
きゃいきゃいと楽しげな声が辺りに響く。
――と。
イグニスはふと足を止めた。廊下を見渡して、首を傾げる。
「今……どこからか声が……?」
白騎士は緩んでいた表情を一瞬で引き締めるのだった。
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