閑話 俺の推し(イグニス視点)
イグニス・ロードは貴族や権力が嫌いだった。
王家が嫌いだった。
そして――
「イグニス! 今日のあの出来損ないの顔を見たか?」
自分の主君が大嫌いだった。
今、イグニスが仕える相手。
第二王子のフランツ・レグシール。
彼の趣味は弟をいじめ、その様を見て笑い飛ばすことだった。
その日のフランツは上機嫌だった。西の塔にわざわざ出向き、アイルに散々と嫌味をぶつけてきたのだ。塔からの帰り道、フランツは「アイルがいかに哀れで無様であるか」を楽しげに語っている。
イグニスはその話を適当に聞き流しながら、相槌を打っていた。
「しかし、あの塔は本当に獣臭くてかなわないな。お前もあの塔に配属が決まらなくて、ホッとしているだろう?」
と、フランツはこちらを振り返り、唇の端をつり上げる。
小さなとげが刺さったかのように、イグニスの胸はちくりと痛む。その痛みに気付かないフリをして、
「ええ。フランツ様のおっしゃる通りです」
と、イグニスは優雅にほほ笑んで見せた。
+ + +
ロード家はいわゆる没落貴族だった。
不作の年が重なり、次第に領地の運営が立ち行かなくなった。借金はどんどんと膨れ上がるばかりだった。母は借金を苦に自殺。父はあろうことか子供を奴隷商人に売り払い、金に変えようとした。売られる直前に兄が気付いて、イグニスを連れて家を出た。
それからはずっと幼い兄弟で支え合って生きて来た。
泥水をすすり、金になることなら何でも手を付けた。さっさと死んだ方がマシなくらいの暮らしだった。
兄はある日、病気にかかって息を引き取った。イグニスは見る見ると弱っていく兄を見ながら、医者にかかる金すらない自分たちの境遇を呪った。父を呪った。1人で先に逝ってしまった母を呪った。
兄が死んで1人となった。イグニスの生活環境はさらに悪化していくばかりだった。
10を過ぎた頃に、イグニスは自分の容姿が金になるということに気付いた。それからは金持ちの女性を相手に小銭を稼ぐ生活を送った。
そんな暮らしに転機が訪れたのは、彼が13歳になった時のことだった。客の女の1人から、「近く騎士団の団員募集が行われる」という話を聞いた。騎士団に入るのに身分は関係ないのだという。能力試験にさえ合格すれば、平民にもその門戸は開かれる。
イグニスにとって、それはひどく魅力的な話だった。国家の犬になるのは釈然としないが、それでも今みたいな腐った暮らしを続けるよりはずっとマシだ。
イグニスは騎士団の門戸を叩いた。そして、その門はイグニスの前に開かれた。
しかし、騎士団の内部はイグニスが想像していたものとはまるでちがっていた。
騎士団には有名な貴族の御曹司が所属しており、彼等ばかりが優遇される世界だったのだ。その中で没落貴族の家系であるイグニスは、他の騎士見習いたちに馬鹿にされ続けた。イグニスはますます貴族を嫌うようになった。
いつか連中を見返してやる――!
イグニスはよりむきになって、訓練が終わった後も1人で修練を続けた。
すると、自分と同じように一心に剣を振っている少年が1人いた。それがレオンだった。始めイグニスはレオンのことが嫌いだった。彼は「優遇される側の人間」だったからだ。騎士団長の養子として、周りからも注目を浴びていた。
しかし、毎日のように過酷な訓練を自主的に行っている彼の姿を見て、次第に考えは変わった。いつしかレオンはイグニスの目標になっていた。
『強くあればいい』
レオンはそう言った。
その通りだとイグニスは思った。
イグニスはやがて魔法の才能を開花させ、魔法騎士として名を馳せるようになる。騎士団の中で出世していく度に、周りからの評価は変わっていった。
自分を馬鹿にしていた貴族の御曹司たちは部下となり、自分のことは歯牙にもかけていなかった連中が、途端に媚びへつらってくるようになった。
しかし、イグニスはそのことに何の感動も抱かなかった。
所詮、周りは肩書でしか自分のことを見ていないのだ。爵位、地位、身分――それによって、人の評価というものは変わる。
下らないと思った。
何よりも反吐が出るのは――
「ええ。フランツ様のおっしゃる通りです」
自分自身に対してだった。
身分制度を何よりも呪っていたはずの自分が、王子の従者となって、彼に追従を述べている。
『白騎士』の称号、周りからの羨望の眼差し、地位と金。
望んでいた物をすべて手に入れたはずなのに、イグニスは日々、虚しい思いにとらわれていた。
そんなある日のことだった。
彼女に出会ったのは。
それはいつものようにフランツの護衛をしていた時。王子は例の『悪趣味』で、アイルに薬を飲ませた野犬を送りこんだ。
フランツは楽しげに声を上げながら、犬と格闘するアイルの姿を見下ろしている。イグニスはそんな主君を恥じた。そんな主君を諌めることができないでいる自分の情けなさに、反吐が出る思いを抱いていた。
そして、信じられない光景を見たのだった。
野犬がアイルへと襲いかかる。その間に割りこんだのは1人の侍女だ。一見すれば、華奢で儚げな容姿の娘だ。彼女が犬に噛み殺されると思い、イグニスの心臓は縮んだ、その直後。
宙を舞っていたのは犬の方だった。イグニスは信じられない思いで彼女の姿を見つめた。
彼女が犬を投げ飛ばした時――
なぜだかひどく胸がすく思いがした。
+ + +
少女の名はルイーゼといった。
イグニスは俄然、彼女に興味を抱いた。
直接話してみれば、他の侍女たちと変わりのない。何の変哲もない少女だった。
あの時、犬を投げ飛ばしていたのは偶然なのか。それとも自分の見間違いだったのか、とイグニスが思い始めた時。
第二の事件が起きた。
フランツがルイーゼに対象を移して、嫌がらせを始めたのだ。彼女に関わる悪評を流し、彼女の仕事の邪魔をした。ルイーゼは悔しそうに唇を噛みしめて、嫌がらせに堪えていた。その様子は昔の自分を思い起こさせるものだった。
(彼女はいつかの俺と同じだ……)
気付けば、彼女の助けになりたいと自然と思うようになっていた。
彼女が兵士の1人に部屋に連れこまれていた時はぞっとした。慌てて部屋に飛びこんでみれば、すべて終わった後だった。兵士は倒れ、ルイーゼは堂々と啖呵を切っていた。その様を見た時、今度はぞくっとした。
ルイーゼは強い。自分よりもずっと。
そして、そのあとで子供のように泣き出した彼女を見て、こうも思った。
ああ、ちがうんだ、と。彼女は決して強いわけではない。強くあろうとしているだけだ。
いつぞやかレオンが言っていた言葉を思い出した。
『強くあればいい』
イグニスはそれを『強くなる』という意味だと解釈していた。
でも、ちがう。レオンが言いたかったことはそうではない。その意味をはじめて理解した。
必要なのは、強くあろうとする心。
彼女のように。
そして、自分に足りなかった物だ。
肩書に何よりも強くとらわれていたのは自分自身であったのだと、イグニスはようやく理解した。
+ + +
温かな日差しが差しこむ時間帯。
イグニスは中庭を訪れていた。すると、明るい声がすぐに飛んできた。
「イグニス様! またさぼりですか!」
と、ルイーゼはお菓子がつまったバスケットを手にこちらを見ている。言葉の辛辣さとは裏腹に、楽しそうに笑っていた。
その笑顔が眩しく見えて、イグニスは目を細めた。
「いや、それがさー。ルイーゼちゃんにどうしても会いたくなっちゃって」
「またまたー! 誰にでもそういうこと言ってるくせに」
ルイーゼは吹き出した。
彼女につられてイグニスも笑った。愛想笑いは何よりも得意のはずなのに、その日の自分はうまく笑えたか自信を持てなかった。
「そうだ。イグニス様、よかったらこれどうぞ」
と、ルイーゼはバスケットの中から、カップケーキを取り出す。
「え、ルイーゼちゃん。これってもしかして、俺のために……?」
「そんなわけないじゃないですか! アイル様のために作ったんです! そのおこぼれですからね」
取り付く島もないくらいにはっきりと言われて、イグニスは肩をすくめる。
と、塔の中から人影が現れる。途端にルイーゼの目がきらきらと輝き出した。
「アイル様! 新しくお菓子を作ってみたんです。よかったら召し上がってください」
自分と話していた時よりも更に楽しげな声が聞こえてくる。その輝かんばかりの笑顔を遠目に見ながら、イグニスは目を細めた。
(推し……か)
彼女が以前に言っていた。自分の推しは「アイル」であると。
そのことを思い出しながら、イグニスはカップケーキに口を付けた。アイル用に作られたそれは、イグニスの口には甘すぎる。しかし、なぜだろう。蜜がたっぷりとつめこまれたかのような甘さの中に、わずかにほろ苦さも感じるのだった。
(俺の推しはルイーゼちゃんなんだって……)
――いつか告げたら、君はどんな顔をするのだろうか。
そんなことを考えながら、イグニスはそっと口元をゆるめるのだった。
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