25.黒騎士にささやかな仕返しをします
その日。
私はもう1つ決意をしていたことがある。
ある問題に正面から向き合うという覚悟だ。
夜の帳が落ちた時間帯。
私は脱衣所へと来ていた。風呂に入るためじゃない。ある人物を待ち構えるためだ。
胸を押さえて、深呼吸。動悸を落ち着かせていると。
がちゃり。
扉の開く音が暗闇に木霊した。
誰かが室内に入ってくるのと同時。
私は物陰から飛び出した。
「レオン・ディーダ――ッ!」
「なっ……」
さすがに度肝を抜かれたらしく、間の抜けた声が漏れる。
私はその鼻先に指を突きつけた。
こないだの仕返し――にしては、ささやかだ。あの時の私はもっと、心臓が飛び出るかと思うくらいに驚いたんだからね!
今の私はナイフを持っていないし、殺気をまとったりしないし、いきなり飛びついて壁に押しつけたりもしない。
私の出現にレオンは目を丸くしていたが、やがていつもの温厚な表情に戻った。
「驚きました……。いきなり何でしょうか。ルイーゼさん」
「その取り繕った態度はやめて。私、あなたの本性、もう知ってるんだから」
鋭い声で告げると、レオンの顔からさっと笑顔が消えた。
一瞬の変化だ。
怖い……! このギャップ、めちゃくちゃ怖い……!
けど、私だって覚悟を決めてここに来たんだ。今さら怖気づいて何ていられない。お腹に力をこめて、ぐっとレオンの顔を見返した。
底冷えするほどの声でレオンは告げる。
「何のつもりだ。次に妙な動きをしたら殺すと言ったはずだ」
「そうかもね。でも、今はまだ殺さないでしょう?」
「なぜそう言い切れる」
「だって、あなたがその気なら、もうとっくに私の命はなくなっているはず。それに私の存在が邪魔なら、フランツの計画に乗っている方があなたにとって都合がよかったんじゃない?」
レオンはすっと目を細めて、私のことを見据えている。
ううう、無言で見られているの、ものすごく怖い……!
怖いけど!
「あなたの考えていること、私には全然、わからない。でも1つだけわかったことがあるの」
内心で冷や汗をだらだらと流しながら、私は続けた。
「あなた、実は私と同じなんでしょう? ものすごくアイル様のことが好きなんでしょう!?」
「は……?」
レオンが呆れたように眉を寄せる。
少なくとも、今のレオンにアイルに対する反抗心はない。
それが私の導き出した答えだ。
ずっとレオンの動向に気を配っていたからこそわかる。
アイルの鍛錬に熱心に付き合ってやっているのも。アイルの命令には忠実に従っていることも。そして、私の存在を怪しんで、アイルを狙う刺客と勘違いしたことも。フランツの悪事を暴くために、尽力したことも。
すべてアイルのことを大切に思っているからこそに思える。
始めは「アイルに信用されるために演技をしているだけなのでは」と私は疑っていた。しかし、ずっと見ていればわかる。イグニスはレオンのことを「くそ真面目」だと評していた。実際にきっと、その通りなのだ。
レオンのアイルに対する忠誠心は、真っ直ぐで、偽りのないものに私には見えていた。
(レオンがアイルを手にかけるのは、きっと彼自身の意志じゃないんだ)
と、私は結論付けていた。
誰かに命令を受けて、嫌々やらされることなのだろう。
となると、アイルよりも立場が上で、レオンが忠誠を誓う人物――やはりエドガー王が怪しいと、私は当たりをつけていた。
もちろん、今の段階ではすべて仮定に過ぎないけど。
もし、レオンは本当はアイルのことを慕っていたのに、エドガー王の命令で仕方なくアイルの命を奪ったのだとしたら。
ゆんちゃんがレオンのことを「切ない」「幸せになってほしかった」と言っていたことも納得できる。
それならば、私とレオンはわかり合える。アイルの命を救うために、共に手を取ることだってできるかもしれない。
だから、私は賭けに出た。レオンの内側に一歩を踏み出していく覚悟だ。
私は息を吸いこんで、その覚悟を口にした。
「私も、アイル様のことが大事。とても大切に思っているの。アイル様には絶対に、幸せになってほしいって心の底から思ってる!」
「……見ていればわかる」
「あなただって本当はそうなんでしょう。アイル様を大切にしていることは、それこそ見ていればわかるもの。だから……」
もし、あなたが何かどうしようもない事情を抱えているのなら、それを私に話してほしい。アイル様の命を救うためなら、私は何だって協力するから。
と、本当はそう言いたかった。
しかし、それはさすがに踏みこみすぎだ。
私は首を振って、喉元まで出かかった言葉を呑みこんだ。
「ううん、何でもない。それだけを知ってほしかったの。私はアイル様を狙う刺客なんかじゃないってことを信じてほしかった」
レオンは無表情のまま黙りこんでいる。
痛いくらいの沈黙が流れた。
「去れ。お前の言う通り、今はもうお前の命をとろうとまでは思っていない。だが……面倒事を起こすな」
相変わらず氷のように冷たい声でレオンは告げる。
私は俯いて、歩き出した。レオンの隣を抜けて、扉に手をかける。
結局、何もわからないままだったな……。と、心の中でため息を吐いた。
レオンのこと、本当はもう少しだけ知りたかったのに。
廊下の空気は冷え切っていた。その冷気が全身にまとわりつく。
扉が閉まる直前で。
「…………頼むから、これ以上、余計なことをしないでくれ……」
独り言のような声がかすかに響く。
それがまるで泣いているかのように聞こえてしまったのは――私の気のせいなのだろうか。
◇ ◇ ◇
ルイーゼが去って行った後で。
レオンは気の抜けた表情を浮かべた。普段の温厚な騎士でも、ルイーゼを脅した時に見せた恐ろしい顔付きでもない。
仮面が1枚剥がれた姿。
そこには初めて感情の色が宿っていた。
戸惑いと呆れ――誰にも見せることのない黒騎士の裏の顔。
「……意味のわからない女だ……」
レオンはぽつりと呟いた。
それから険しい表情に戻り、目を細める。
「しかし、あの女の様子が変わってから、次々と予定が狂っている……。今後も警戒しなくては」
◇ ◇ ◇
同時刻。
王宮内の一室にて。
1人の王子がバルコニーに立ち、手すりを握りしめていた。指が白くなるほどに力をこめている。つり上がった目は一直線にある1点へと向けられていた。王宮の西側にそびえ立つ塔に。
「許さない……」
フランツは呟いた。どす黒い怨嗟のこもった声音で続ける。
「許さない……出来損ないの分際で……! この僕に逆らったこと、死ぬほど後悔させてやる! 野蛮で、愚鈍な、獣風情が……!」
殺意のこめられた言葉は、静謐な夜の空気に溶けて消えていった。
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