36.第三王子アイル・レグシール


 エドガー王はアイルに何て声をかけるのだろう……!


 私は固唾を呑んで、その様子を見守った。私だけでなく、その場にいた皆がアイルとエドガー王に注目している。

 しんと静まり返る神殿内。


 エドガー王の厳かな声が辺りに響いた。


「よくぞ我が国の危機を救ってくれた。見事であったぞ……アイル」


 そこで言葉を切って、エドガー王はアイルの姿をじっと見つめる。

 そして、重い息を吐き出した。その溜息には様々な情感がこめられているようだった。


「私のことを恨んでいるだろうな。無理もない。許してほしいとは言わぬ。だが、体面を気にしてお前の存在を隠していた私の行いは間違っていたのだと、今日のお前を見てわかった」

「お父様……」

「もう隠し立てはせぬ。お前は私の息子だ。今日からレグシール王国第三王子を名乗るがいい」


 エドガー王の言葉で、静まり返っていた神殿内は一気にざわめき出す。


「え、どういうこと……」

「第三王子……?」

「あの子がエドガー王の息子……?」


 今、神殿内にはこの国の要人が一挙に集められている。多くはアイルの存在を知らなかったようで、困惑した面差しを浮かべていた。

 人々が戸惑って、顔を見合わせている中。


 素早く反応したのは2人の騎士だった


「――第三王子、アイル・レグシール様!」


 レオンとイグニスがアイルに敬意を払い、その場にひざまずく。

 それを見て、人々は息を呑んだ。レオンとイグニス。この国のトップ騎士たちがアイルを認め、アイルにかしずいたのだ。


 1人、また1人とレオンたちに習い、膝を着く。そして、アイルに敬意を表した。


『第三王子アイル・レグシール様!』


 小さな声は少しずつ重なって、やがて巨大な流れへと変わる。

 会場全体が熱気に包まれている。その中心部にいるのはアイルだった。

 アイルは目を白黒させながら、周囲を見渡している。その背後で戸惑うように尻尾がくにゃりと揺れていた。


「アイル様……」


 私はその光景を目にして、胸がいっぱいになっていた。


 ようやく認められたんだ。

 誰からも馬鹿にされて、見下されて、それでも前を向いて1人でずっとがんばってきたアイル様が……。

 初めて周囲から受け入れてもらうことができたんだ。


「……第三王子アイル・レグシール様」


 その名をぽつりと呟くと、切ないくらいに胸が詰まって、苦しくなった。


「もう、ルイーゼったら! 何で泣いてるのよ」


 呆れたように肩を叩かれる。

 コレットに言われて私は初めて、頬が濡れるほどに涙を流していることに気付いたのだった。




 + + + +



 それからは大変だった。

 怪我人の手当てに、破壊された王城内の後片付け。侍女である私はあっちこっちに呼ばれて雑用を押しつけられて、目が回るほどに忙しい思いをした。


 ようやく夜の帳が落ちて、自室に帰った頃には。

 私はもうへろへろになっていた。


「あー。もう無理。もうげんかーい! 私はもう寝まーす!」


 あくびをしながらベッドにダイブしたのはコレットだった。

 その裏表のない態度に私はくすりと笑う。


「もう、コレットったら。侍女服くらいは脱いだらどう?」

「うー。だってもう、全身くたくたで動けないよー」

「ほら、手伝ってあげるから。腕を上げて」


 いつもと変わらないコレットとのやりとりだ。

 今日は思いがけず、この子の正体を知ってしまったけれど。そして、コレット曰く、「普段の態度は全部演技だった」ってことだけど。やっぱり私にはそうは思えない。

 この無邪気な態度は実はコレットの地なんじゃないかと思えて、私は密かに笑った。


 とか思いつつ、コレットの服を脱がしたらいたるところから暗器のような物が転がり出て、びっくりしたけれど。うん。これは見なかったことにしよう……。


 何とかコレットを着替えさせてベッドに転がすと、すぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。兎の耳は私の前では隠さないことにしたらしく丸出しだ。気持ちよさそうにふわふわと揺れていた。


「おやすみ、コレット」


 私はその無防備な寝顔に告げた。


 彼女が疲れるのも無理はない。あの後、コレットは「メイドのくせに強すぎる! お前は何者だ」と周りから詰問にあって、大変な目にあっていたのだ。エドガー王が咄嗟に「アイルを守るために極秘で雇った用心棒」と周囲を説き伏せてくれたので、事なきを得た。


(それにしても……今日は本当にいろんなことがあったな)


 1日で得た情報量が多すぎる。

 ベッドの中でゆっくりと情報を精査しよう。……その前に睡魔に敗北してしまう可能性もあるけれど。


 と、メイド服に手をかけた。

 その時だった。


 こんこん。扉をノックする音が聞こえた。


「……はい?」


 ためらうように間が空いた後で、静謐な声が響く。


「こんな時間にすまない。僕だ」

「あ、アイル様!?」


 私は転がり出るようにして扉を開けた。


 綺麗な碧眼と目が合う。

 と、猫耳がぴゃっ、と立ち上がり、アイルは素早く目を逸らした。その頬が沸騰したように赤くなっていく。


「み、見てない! 見てないから!」

「え? って、あ!」


 急いだあまり、私はメイド服を脱ぎかけた中途半端な格好になっていた。

 慌てて服を正す。


 いや、セーフ! 下に薄手のシャツを着てるから! セーフ! ……だよね?


「こ、こちらこそ、すみません。アイル様にお見苦しいところを……」


 アイルは顔を真っ赤にしている。


 うう、そんなに照れられると私まで恥ずかしくなってきた……。


 気まずい沈黙が辺りに流れる。

 アイルが気を取り直したように咳払いをして、


「もう寝るところだったか。すまない、明日でいい」

「いえ、大丈夫! 大丈夫です! むしろこのままだと興奮し……いえ、アイル様は何の用事だったのだろうと気になって寝れません!」


 と、私がまくし立てると、アイルは恥じらうようにそっと視線をこちらに戻す。もうちゃんと服を着てるから、そんな警戒した眼差しにならなくても大丈夫なのに。


 戸惑うようにまたささっと視線を逸らし、アイルは口を開いた。


「少し……君に話したいことがあるんだ」

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