28.モブには過ぎたイベントです!
コレットの言っていた通り、私たちは復活祭のお手伝いに駆り出されることになった。
城内の清掃に飾りつけ……やることはたくさんある。普段の業務にプラスして、それらをこなす形だ。アイル様とお茶をしたり、お菓子を作ったりする時間はなくなってしまった。
そうして、私たちが忙しく過ごすようになって数日が経った頃。
とうとう王宮に聖女様が到着した。
聖女エレノア・グレイス。
玄関口で他の使用人と頭を下げて、彼女を迎え入れる。
エレノアは本当に聖女だった。もう身も心も、という感じだ。綺麗すぎて近寄りがたいってコレットが言っていたのがわかる。お人形のように綺麗な見目。つんと澄ました表情に、きりりとした眼差し。歩き方もきびきびとしていて、一部の隙もない。
その姿を間近で見て、私は思わず息を止めてしまった。すごい。彼女の全身がきらめいているように見える。
はああ……エレノアたん。マジ聖女。
そして、その凛とした立ち姿を見やりながら、私は心の中でにやにやとしてしまった。
ゲームをプレイした私は知っている。実はこのエレノアたん、第一印象と内面にけっこうな隔たりがあるのだ。初めてゲームをプレイした時はそのギャップにころっとやられちゃったんだよなあ。
まあ、エレノアの本性を知ることができるのは勇者ユークの特権だ。主人公補正って奴だろう。
だから、私のような1メイドではエレノアの素顔を見ることなんて叶わない。だって、ルイーゼはゲーム内ではモブだもん。
……と、そう思っていた時期が私にもありました。
まさかこの後、あんな展開になるなんて、私はまったく想像していなかった。
+ + +
聖女様はその後、国王陛下や神殿長に挨拶をして回ったそうだ。彼女がようやく腰を落ち着けたのは、夕方になってからのことだった。
私はエレノアにお茶をお出しすることになった。
「失礼いたします」
部屋の中を訪れると、エレノアは窓際の椅子に腰かけていた。
ただ座っているだけなのに……一枚絵のような美しい光景だ。
夕日が窓から差しこんで、綺麗な髪と肌を照らしている。彼女の視線は遠くに向けられていた。物憂げな眼差しは、ほんのわずかな色気と神秘的な雰囲気を湛えている。
きっと私のような凡人には想像もつかない高尚な考え事をしているにちがいない。
私は茶器をテーブルに並べながら、彼女に声をかける。
「お茶をお持ちいたしました」
エレノアはこちらに顔を向けて、静かに笑みを零す。
「ええ。ありがとうございます」
ああ、聖女様は声まで美しい……。
凛と張りのある声で、聞いているだけで背筋が伸びそうだ。
彼女を構成するあらゆるものにうっとりとしつつ、私はお茶をカップに注ぐ。
と、その時だった。
ぐー……きゅるるるる。
清楚さ極まる聖女空間に、似つかわしくない音が響いた。
断じて、私じゃない。
けど、彼女のものとは思いたくない。
ここは聞こえなかったふりをするしかない。と、私が無視を決めこもうとした次の瞬間だった。
きゅるるるる……。
まさかの第二弾が来た。
反応しちゃいけないと思いつつ、私の視線はついついエレノアの方に向いてしまう。彼女は膝に両手を置いた姿勢のまま硬直していた。頬も耳も真っ赤になっている。
「ええと。あの。これは、ですね……」
ゆっくりと手が動き、お腹の辺りを抑える。
それから弾かれたようにエレノアは顔を上げて、私の方を見た。
「ち、ちがうのです! これは、その……! 国王陛下に拝謁するという緊張感で、朝から何も喉を通らず……ええと、つまり!」
言葉を紡ぐほどに、彼女の頬はどんどんと赤みを増していく。
笑っちゃいけない! わかっているのに、私はそのかわいすぎるギャップに完全にやられていた。
もしかして、さっき切なそうな表情で窓の外を見ていたのって、「お腹が空いたなあ」とか考えていたからなのかな!?
これだ。これがあるから私はエレノアのキャラクターが好きだった。一見すれば完全無欠な聖女様。その実態はどこか抜けている等身大の少女。
勇者との初めての邂逅でも、お腹の虫を鳴らしてしまって、彼女は大慌てする。そして、真っ赤になりながら弁解をするのだ。
そのギャップに昇天しかけたプレイヤーは多数。私もそのうちの1人!
ネットでは親しみをこめて、エレノアにはこんなあだ名が付けられていた。
――『腹ペコ聖女』と。
こんなのずるすぎるでしょ。私はとにかくギャップがあるキャラクターに弱い。激弱だった。
こんなかわいいギャップを間近で見せられた日には、もう。
「はあ…………萌え」
「え? え!?」
思わず口から零れてしまった言葉に、エレノアは目を白黒させている。
そこで私はハッとなった。
しまった、心の声がつい口から漏れてしまっていた!
「すみません、今のは魂の叫びというか、何と言うか……! 気にしないでください!!」
「た、魂の叫び、ですか……」
エレノアはきょとんとした顔で首を傾げている。
ああ、もうその純真な眼差しもたまらない! かわいい! 聖女様、萌え!
と、私は心の中で両手を上げて歓喜するしかない。
すると、こちらの顔を見て、エレノアはくすりとほほ笑んだ。
「……どうやら、お互いに聞かれたくないことを聞かれてしまったみたいですね。申し遅れました。わたくし、エレノア・グレイスと申します」
「え……えっと、ルイーゼ・キャディです」
「ルイーゼさん」
エレノアは優雅に立ち上がると、私の前に細い手を差し出した。
「どうぞよろしくお願いいたします」
「あ……はい。よろしくお願いします」
今度は私が目を白黒とさせる番だ。
ほっそりとした掌を握ると、エレノアは恥ずかしそうに頬を染める。
「そして、さっき聞いたことは、くれぐれも他の方にはご内密にお願いしますねっ!」
かわいい。
かわいいよ、聖女様。
思いがけずエレノアの素顔を見てしまったことはとても嬉しいことだけれど……。
でも、これって本来は勇者との邂逅シーンで起こるイベントのはずだよね?
何でただのモブメイドが、勇者がこなすイベントを回収しちゃってるんだろうね!?
◇ ◇ ◇
時刻は夜。
月は雲の裏側に隠れ、漆黒の闇が王城を覆っていた。
城壁に沿って移動する影が1つ。人目をはばかるように動いていた。深い闇夜に紛れてその影は進む。城内には警備の騎士たちが闊歩しているが、その影は予め配置を知っているかのように絶妙にその目をかいくぐっていく。
やがて、裏口へとたどり着いた。懐から取り出した鍵を使い、扉を開ける。
「……約束通り、来たな」
扉の隙間から透明な声が響いた。自身の人物像を極力相手に想像させないように、声にこめられる色を抑圧している。何を考えているのかはもちろん、人物の年齢や性別さえも不明瞭だった。
「ああ、もちろんだとも」
対して答えたのは、扉を開錠した人物。こちらは興奮の色が抑えきれていない。
扉の隙間からすべりこむように、影が城壁の中へと移動した。それは全身を黒いローブで隠した人物だった。
「今さら後には引けぬぞ」
「構わない」
――がちゃり。
施錠の音が闇夜に響き渡る。
「あの出来損ないに目に物を見せてくれる。そのためならば僕は……悪魔にだって魂を引き渡すさ」
上空では雲が流れ、月が顔を出す。
わずかな月明かりが辺りを照らした。
そこに浮かび上がったのは、歪んだ笑みを張り付けたこの国の第二王子の姿だった。
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