14.白騎士の裏の顔


 落ちこんでいても仕方ない。気持ちを切り替えなきゃ。

 そうだ、こんな時はアイル様のことでも考えよう。

 私は昨日のお茶会のことを思い出した。


 アイル様、私の前で初めて笑ってくれた。

 その表情を思い出すと、寒々しかった胸がぽっと温かくなる。

 あの笑顔がもう一度見たい。


 今の私にとっては、アイル様とのお茶会だけが至福の時だ。今日も一緒に素敵な時間を過ごせるようにがんばろう。

 そんなことを考えながら、私は廊下を歩いていた。

 すると、かわいらしい猫耳が視界に入る。向こうからやって来たのは、アイルとレオンだった。


 アイルの姿を見て私は頬を緩め、そのあとすぐにレオンの存在に気付いて、体がかちこちに固まった。心臓がドキンと跳ねて、痛みを伴うほどに騒ぎ出す。


 怖い――瞬間的に体を縮めてしまっていた。

 昨日のレオンの姿が脳裏にちらついて、手の先が震える。


「……お、おはようございます、アイル様」


 私は廊下の端に寄って、敬礼をした。レグシール式の敬礼は、両手を重ね、胸の辺りをつかむような動作をして、頭を下げる。女の子が感動した時に胸を押さえて、『嬉しいです……!』とする時のようなポーズと思ってもらえればいい。


「ああ」


 アイルが軽く頷いて、答える。

 レオンと目を合わせたくなくて、私は目線を下げ続けた。


 すると、アイルが私の前で立ち止まって、言葉を継いだ。


「今日は菓子を作らなくていい」

「え……」

「しばらく、お茶の時間はなしにする」


 それだけを言い置いて、アイルは去っていく。

 私は慌てて顔を上げた。アイルの背を呆然として見送る。


 嘘……! 私の至福の時間まで!

 どうして……?

 アイル様だって、楽しみにしてくれていると思っていたのに。


 ショックが大きすぎて、私はしばらくその場から動けなかった。




「はあ……」

「ルイーゼ、そのため息10回目」

「だってもう……はああ……」


 私はほうきにもたれかかって、脱力した。

 今は中庭の小道を掃除しているところだった。アイル様の稽古場はすぐ近くで、今日も剣を打ち合う音が響いている。


 アイル様……こんなに近くにいるのに。

 お話することは愚か、御身を拝見することすらままならない。


 アイルとのお茶の時間がなくなると、私とアイルの接点は驚くほどなくなってしまった。

 そもそも、アイルはあまり侍女に世話をされたがらないタイプだ。朝は人に起こされるのを嫌うし、着替えや湯浴みの手伝いは拒否される。

 だから、私はアイルお付きの侍女なのに、全然、アイルと接することができないでいた。


(あのお茶の時間だけだったんだ……アイル様とあんなに近くで話せるのって)


 それなのに……。

 その至福の時間が奪われてしまった!


(きっと……いや、絶対に、フランツのせいだ!!)


 昨日、あんなことがあったから、アイルは警戒するようになったのだろう。


 許さない、マジで許さない。フランツ!

 しょうもない嫌がらせで、私から至福の時を奪い取るなんて。


(……嫌なことって重なるんだな)


 前世ではいつも元気が有り余って、友人たちに呆れられていたような私だけど。

 正直に言って、今の状況はけっこう参っていた。


 そのいち。レオンに暗殺されかける。

 そのに。実家の風景を思い出して、ホームシック。

 そのさん――これが一番ショックだ――推しを吸えない。オタクにとってもっとも残酷な事態。推しを吸えない!!


 体からすべてのエネルギーが抜け出してしまったかのように、私はへろへろになっていた。


「ルイーゼ、元気出してってば! アイル様のお茶の時間はなくなっちゃったけど、空いてる時間にお菓子を作ってみるのはどう?」

「え……でも、食べてくれる人がいないんじゃ……」

「何言ってんの! ここにいるでしょ。それに今のうちに練習しておけば、アイル様にもっと美味しいお菓子を出せるようになるじゃない」

「コレット、それ名案」

「でしょ! 私、こないだのマドレーヌがいいな」

「それって自分が食べたいだけじゃなくて?」

「えへへ、ばれた?」


 コレットはかわいく笑って、舌を出した。その表情で胸のもやもやが晴れていく気がする。


 はあ……もう、私の癒しはコレットだけだよ。

 この子が同僚で本当によかった。


 後でお菓子を作るということを約束して、私はコレットと別れた。

 コレットは掃除用具の片づけ、私はゴミ捨てへと向かう。


 ゴミ捨て場はここからだと少し遠い。王宮のそばを通り抜け、東の塔の裏手に回らないといけない。王都へと続く裏門があり、その近くにゴミをまとめておく決まりとなっている。そのゴミを回収するのは街の住人らしい。


 私がゴミを持って、城壁と王宮の間の道を進んでいる時だった。


「ふざけないで!」


 鋭い声が聞こえてきて、私はびくりとした。

 角を曲がった先に、誰かがいるみたいだ。


「だからさ~、誤解だって。メアリーとのあれは、そういうんじゃないから」

「はあ? メアリー? 私はキャシーのことを言ってたんだけど? 最低! キャシーだけじゃなくて、メアリーにまで手を出していたのね! この節操なし男!」


 ばしーん! と、乾いた音がして、誰かが遠ざかっていく。


 いなくなったかな……?

 と、淡い期待を抱いて、私はそっと角から顔を出してみた。


 すると、そこには1人の男が立ちすくんでいた。平手を受けて赤くなった頬を、渋い顔でさすっている。


 私は息を飲んだ。

 その男、めちゃくちゃ知っている顔だった。


 『白騎士』イグニス・ロード。フランツの護衛騎士だ。

 長い金髪を1つに結び、翡翠色の瞳を持つ。儚げな貴公子のような見目。


 ……なのに。

 今は子供のようにむくれている。頬に付いた紅葉と合わさって、秀麗な見た目が台無しだった。


「ちぇ……何だよ。心の狭い女め」


 すねたように呟いてから、イグニスが振り返った。


「あ……」


 どうしよう。

 思いっきり目が合ってしまった。


 イグニスは意外そうな顔をしてから、にやりと笑う。


「あれ……あんた、ルイーゼちゃんだろ? アイルちゃんのところのさ」


 飛び出してきた台詞に、私は愕然とした。


 な……何で。

 何で私の名前、知られているんですか!?

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