31.メイドの裏の顔
一方その頃。
西の塔にて。
入口警備の兵士は、やる気のない表情で突っ立っていた。
(はー……早く仕事終わんねえかな)
辺りはいつにも増して閑散としている。彼はすっかり暇を持て余していた。
頭に湧いてくるのは、この仕事への愚痴ばかりだ。
(何で俺が半獣人のお守りなんかしなきゃなんねーのか……)
実を言えば、彼は獣人について詳しいことを知らない。彼が知っているのは、メイドたちが口にする噂話ばかりだった。
――獣人は劣等種であり、人間より知性も品位も劣る。
その言葉を信じこんでいた彼は、この仕事に不満しか抱えていなかった。
敬うどころか見下している主の護衛。それにくわえて退屈な仕事内容。それらが彼の不満意識をより高めていた。
(はー……あと4時間か)
執拗に何度も時計へと視線をやり、遅遅として進まない針に彼は絶望する。
彼が何度目かのあくびをした――その時だった。
びり、と肌がざわめいた。
彼がもし歴戦の戦士であれば、瞬時に異様な空気に気付けたことだろう。しかし、あくびに勤しむ彼は、何の前触れも感じとることはできなかった。
次の瞬間。
「がっ!?」
彼の視界は激しく回転し、上も下もわからなくなった。
遅れて、全身に激痛が走る。
「ひっ……あああ!!」
彼は地面の上でのたうち回った。突然の事で思考が停止し、状況を把握できない。何かに思い切り突き飛ばされたらしい、ということだけかろうじて認識できた。
目を白黒させる彼の耳に、低い唸り声が届いた。
本能的な危機を察知し、彼は上体を起こす。眼前に迫り来るのは獣の口腔だった。
いや、これは獣ではない。魔物だ!
それに気付いた時、彼はもうすべてを諦めた。
――ああ。俺はもう死ぬ。
――半獣人のお守りなんてしたばかりに、魔物に食い殺されるなんてあんまりじゃないか。
彼は最後に主への恨み節を吐き捨てながら、目を閉じた。
と、その時だ。
肉を打つ音。魔物の鳴き声が尾を引いて遠のいていく。
兵士の男は何が起こったのかわからず、呆然と座りこむ。そこに鋭い声がかかった。
「早く中へ入れ!」
言葉と共に目の前に着地した影。
それは彼が直前まで蔑んでいたはずの相手。
アイル・レグシールだった。
いったいどこから!? と、混乱しながら彼は空をあおぐ。頭上の部屋の窓が開き、カーテンがたなびいているのが見えた。
まさか、部屋から飛び降りたのか?
(――俺を助けるためだけに?)
呆然とする男。その腕をアイルがとる。
2人は塔の中に駆けこんだ。アイルが扉を閉めて、錠をかける。
「これで少しの間は持つはずだ」
「な、なぜ……!」
男はようやく声をしぼり出した。
「なぜ助けてくれたんですか!?」
その問いにアイルは目を細める。
何を当たり前のことを、と言わんばかりの態度だ。
「人の命を救うことに、理由が必要なのか?」
兵士の男は唖然として、堂々とした立ち姿の少年に見とれた。
――獣人は劣等種であり、人間より知性も品位も劣る。
今の際まで、そう信じこんでいたはずの彼は。
(え、ウソ……かっこいい……)
事実と自分の認識の間に歴然とした差があることに、初めて気付いて。
ぽっと頬を染めるのだった。
◇
(いったい何が起こっている……?)
アイルの耳は敏感に外の異変を感じとっていた。
突然、王宮内に魔物が現れた。それも複数同時に。14年、生きてきてこんなことは初めて起こる。
しかし、まずは事態の原因を探るよりも、この状況をどう打破するかを考える方が先だ。アイルはすぐに動き始めた。
気付いた時にはすでに外は魔物に囲まれていた。脱出を諦め、アイルは助けが来るまで籠城する作戦でいくことにした。
まずは塔の内部にいる使用人たちを1つの部屋に集める。下の階ほど魔物に襲われやすいが、最上階にこもればいざという時に逃げ道がなくなる。そのため、2階の食堂を避難場所とした。今いる使用人たちは全部で5人だ。メイドが2人に、兵士が3人。
皆、困惑した顔で佇んでいる。
「アイル様……いったい外で何が起きているのでしょうか」
と、怯えたように告げたのはコレットだった。
いつもは明るい表情がすっかりと鳴りを潜め、心細げな眼差しをしている。
「わからない。だが、外には魔物が大勢いる。助けが来るまではここで堪えしのぐしかない」
「そんな……」
使用人たちは皆、不安げな面差しを浮かべる。
そんな中、1人の兵士が力強く言い放った。
「あの、アイル様! 自分が階段を見張っておきます」
それは先ほどアイルが助けた兵士の男だった。
いつもはやる気のない表情で入口に突っ立ってばかりいる彼は、今や瞳を使命感に燃やしていた。
「塔の中に魔物がいつ入ってくるかわかりません。見張りは必要です。自分にやらせてください!」
「しかし、危険だ。1人だけ逃げ遅れることになるかもしれない」
「構いません! 自分の命はアイル様に救われました。この命、アイル様のために捧げさせてください!」
男の両目には強い覚悟が灯っていた。
アイルは逡巡の後に頷いた。
「わかった。だが、無茶はするな。魔物が迫ってきたら防衛することより逃げることを考えろ」
「はい!」
男は気力に満ちあふれた顔で部屋を去っていく。
静寂が室内を満たした。皆、落ち着きのない様子で佇んでいる。
明るい声で口火を切ったのはコレットだった。
「大丈夫ですよ。すぐにレオン様や騎士団の方が助けに来てくれるはずです。それまでの辛抱です!」
と、笑顔を見せる。皆を元気づけるために無理に笑顔を作っているのだろう、とアイルは推測した。
「アイル様、ずっと気を張っていたら疲れてしまいます。お茶でもお淹れしましょうか?」
「ああ……頼む」
彼女の気遣いを無下にすることができず、アイルはそう答えた。
コレットが手際よくお茶を用意する。そして、各々にカップを配った。皆は緊張のため喉が渇いていたのか、すぐにそれに口をつける。
アイルも同様にカップに口元を近づけ――そして、違和感を覚えた。
半獣人故の嗅覚の良さで、何かよからぬ匂いを感じとったのだ。
ハッとしてアイルは顔を上げる。
と、茶器が割れる音が室内に響いた。見渡せば紅茶を飲んだ使用人たちが次々に倒れていく。
アイルはすぐにカップを手放し、腰元の剣に手を添えた。
「……何のつもりだ」
険しい視線で見据える先には、いつも明るい表情を浮かべているメイドの――いつもとまったく変わりのない笑顔がある。
「飲まずに捨てるなんてひどいじゃないですか。アイル様、私のお茶はお口に合いませんでしたか?」
「茶に何を混ぜた」
「ただの睡眠薬ですよ。あーあ、怪しまずに飲んでくれれば、もっと楽に仕事を終えられたのになあ」
「まさかこの騒ぎもお前が……!?」
アイルが問いただすと、コレットはくすくすと笑い出す。この期に及んでも邪気を感じない、年相応の無垢な笑みだった。
「魔物の出現に関しては私のせいじゃないですよ。本来ならもう少し大人しくしておこうと思っていたけれど……こんなチャンスが巡って来たのなら、利用しない手はないでしょう」
と、コレットは無造作に髪留めを外していく。編みこんでいた赤髪がほぐれ、ウェーブを描いて肩へと落ちた。
ぴょん――その髪の中から何かが飛び出し、頭の上に屹立する。
アイルは唖然とした。
それは獣耳。それも兎族のものだったからだ。
「半獣人……!?」
「そう。あなたと同じよ」
口元に手を当てて、ほがらかに少女は笑う。その頭の上で兎の耳がふわふわと揺れた。
「ごめんね、アイル様。『あなたが生きていると困る』って人に頼まれちゃったの」
その笑顔をまったく崩さないまま、少女はどこからか短剣を取り出す。
慣れた動作でその短剣を回転させ、アイルへと向かって構えるのだった。
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