2.残酷な未来も思い出しました


 声の限りに推しの名前を叫んだところで、私は力が抜けた。

 ベッドの中に倒れる私に、アイルは「大丈夫か?」と尋ねる。


「はい……」


 力なく答えて、アイルの顔を見返す。あまりの尊さに目がつぶれそうになった。


 無理、無理!


 推しが実在して、目の前にいるとか。同じ空気を吸ってるとかありえなさすぎて、窒息しそう。


 ぜえぜえ、と推しの尊さで虫の息になっている私。アイルが私の顔を気遣わしげに眺めている。

 そして、ベッドに背を向けた。


 アイル様の! 推しの背中! 何か心なしかいい匂いがする!


 アイルの背中側には藍色のしっぽが生えていて、それがまたとてつもなく愛らしい。悩ましげにくにゃりと揺れているものだから、私はそれをつい目で追ってしまっていた。


 ためらうような沈黙が流れ、


「お前はなぜ僕のことを庇った?」

「へぁ?」


 思いもよらない言葉に私は呆けてしまった。


 庇ったって……。

 頭が痛い。傷がずきんと痛みを訴えて、そして、記憶が一気に弾けた。


 そうだ。なぜ私が頭を怪我して、こうしてベッドに横たわっているのか。すべてを思い出した。


 今日は年に1度の剣闘大会が開催される日だった。

 この国で毎年開かれている一大イベントだ。


 アイルはお忍びでそれに参加していた。フードで耳を隠し、王子の身分を詐称した。アイルは剣の才覚に優れ、身体能力も高い。あっという間に対戦相手を蹴散らし、決勝戦まで勝ち進んだ。


 しかし、決勝戦の最中、相手の剣先がフードをかすめ、猫耳が露わとなってしまう。すると、観客席からどよめきの声が上がる。『半端者が出るなんて聞いてないぞ!』どこからか怒号が響いた。それを皮切りに、アイルを侮蔑する言葉が飛んできた。聞くに堪えないような獣人を罵倒する言葉の数々だ。


 そして、観客席から石が投げこまれた。それはアイルの顔に一直線に飛来し――その直前で。


『危ない!』


 ルイーゼ……つまり、私が咄嗟に彼の前に躍り出た。

 アイルは王族だが、その存在は民衆には隠されている。彼のことは一部の城仕えの者しか知らない。ルイーゼは王宮に仕えるようになって、アイルの存在を知るようになる。それからは孤独な王子のことを気にかけ、心を痛めていた。


 そして、先日の剣闘大会の日――ルイーゼは大会の運営を手伝うために会場にいた。

 アイルに向かって石が投げこまれた時、彼を庇って負傷するのだ。


 このイベント! ゲームではアイルの回想シーンという形で短いムービーが流れる。


 この国は人間の王が玉座に着いている『レグシール王国』。

 世界には人間以外の種族が存在し、それぞれの国を治めている。獣人や竜人といった人外種族だ。


 そして、アイルは人間の父と獣人の母を持つ少年――半獣人なのだ。


 だから、アイルは人間が支配するこの国では肩身が狭い。


 陰口は当たり前、時に正面から暴言を吐かれる。アイルを「汚らわしい獣の子」として、忌み嫌う人が大勢いる。

 そんな中で育ったアイルは周りのすべてを信用できないでいた。


 アイルは他人に心を開かず、1人で何でも抱えこんで生きてきた。

 そんな彼を初めて身を呈してかばった人物――それがルイーゼ。つまり今の私なわけだ。


 なぜルイーゼが自分を庇ったのか、アイルは理解できない。生まれてからずっと彼の周りには敵しかいなかった。自分のことを大切にしてくれる人物なんて存在しなかったのだ。


 『なぜ僕を庇った?』アイルの問いにルイーゼはゲーム中ではこう答える。


『アイル様はわたくしの大切なご主君様だからです』


 その言葉で固く閉ざされていたアイルの心が開かれる。そして、これ以降、アイルはルイーゼにだけは素直な姿を見せてくれるようになるのだ。


 冷たい少年が、唯一、心を開く女性――

 ああ、なんて尊いのか。

 しかも、今は私がその人物。ルイーゼになった。


 神様、ありがとう……。

 この世界に生まれ変わらせてくれて。アイル様と会わせてくれて。私をルイーゼにしてくれて。


 私は息を吸いこんで、アイルの問いに応えるべく口を開いた。

 私の手で、あの名イベントを再現するのだ。


 孤独な少年の閉ざされた心の扉を開くべく! ゲーム中の台詞と同じ言葉を……!


「アイル様は私の大切な推しだからです!!」


「…………は?」


 あ……やってしまった。

 推しが目の前にいる興奮のあまり、私はとんでもないことを口走ってしまった。


 アイルが振り返って、「理解不能」という顔でぽかんとしている。


「おし……? おし、とは何だ?」

「えっと……それは……」


 私は慌てて弁解の言葉を考える。


「つまり、ですね……大切な存在と言いますか……つまり、大好き、とか……そういうこと、ですね……」


 じわじわと顔が熱くなっていくのがわかる。

 恥ずかしい……。

 オタク用語を解説しなければならないという恥にくわえて、自分の好きな人物にその思いを告げる行為。

 恥ずかしすぎるでしょ……。穴があったら入りたい……。


 私は布団をたぐり寄せて、それで口元を隠した。


「な……」


 アイルが絶句している。

 無理もない。

 いきなりこんな変な女に告白されたら、ドン引きものだよね……。


 これでは心を開いてくれるどころか、距離を置かれてしまうかもしれない。推しに好かれる千載一遇のチャンスをつぶしてしまった。絶望のあまり、私は蒼白となる。


 アイルはふいっと顔を背けてしまう。私の視界からはアイルの背中しか見えない。しっぽがゆらゆらと小刻みに揺れている。それが震えているようにも見えて、もしかして怒りを堪えているのか、と不安になった。


 怖いくらいの沈黙が流れた。


「…………医者を呼んでくる。安静にしていろ」


 ぶっきらぼうな声が飛んでくる。

 一瞬だけ横顔が見えた。その頬はわずかに赤くなっていた。アイルは足早に部屋を出て行く。


 どうしよう……!

 怒ってる! アイル様、今の発言にものすごく怒っているよ……!


 推しに嫌われてしまったかもしれない……という恐怖で、私はへなへなと倒れた。


 彼のグッズが欲しくて、発売日にネット注文でPC画面を何百回とリロードした。

 ガチャガチャで手に入れた他キャラのグッズはすべてSNSでアイルのグッズと交換トレードしてもらった。

 UFOキャッチャーで彼のぬいぐるみだけゲットできなくて、泣いてしまったこともある。


 彼のためにいったいどれほどの時間と情熱と日本円をつぎこんだのか、私は覚えていない。

 だから、あのイベントを見た時、私は本当に絶望した。


 まさかストーリー中に、あんなことが起こるなんて。


 ……ん? あんなこと?

 そこで私は気付いた。


 待って。ここはきっとゲームの世界。前世の私がやりこんだ『 フェアリーシーカー』の世界で間違いない。ということは、ゲーム中のストーリーはこれから起こること。つまり予知に等しい。


 え、嘘でしょ?

 ということは……あのイベントも起こるってこと?


 フェアリーシーカーの中で最も衝撃的な事件。

 アイル・レグシールはストーリー中、仲間の1人に刺し殺され、その短い生涯を終える。


 そのことを思い出して、私の全身から血の気が引いていく。


 そうだよ。

 アイル様……死ぬんだった。

 フェアリーシーカーのストーリ上で。

 お亡くなりになられるんだった。


「そんなことってある~~~~~!?」


 私は思わず叫んでしまった。


 このままだとアイルが死んでしまうなんて!!


 前言撤回。

 神様……! この仕打ちはあまりに残酷すぎます!

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