第48話 亜人
「僕を責めないのかい? エリスくん」
主人のいないベッドの前で立ちすくむグランに、エリスは呆れたような表情で言葉を返す。
「自分が悪いことをしたからって、誰かに責めてもらって楽になりたいなんて思うのは卑怯っスよ? グラン団長」
「ははっ、手厳しいね」
グランは笑う。笑ってアスベルのいなくなったベッドに腰掛ける。エリスは壁に背を預け、言う。
「そもそも、分かってたことっスからね。先輩があの目……あの、前だけを見つめ続ける真っ直ぐな目をした時は、何を言っても止められないって」
「でも君のことだから、アスベルについて行くとか無茶を言い出すんじゃないかと思って、実は内心ヒヤヒヤしてたんだよ」
「私も……そこまで子供じゃないっスよ。自分とアスベル先輩の実力の差は、分かってるつもりっスから」
「ま、あいつは騎士団でも特別だったからね。アスベルと正面からやり合えるのは、うちのバカ兄貴くらいだ」
「アランさんっスか。騎士団始まって以来の剣の天才らしいっスけど、アスベル先輩に勝てるとは思えないっス」
エリスは拗ねるような顔でグランを見る。グランは苦笑して、続ける。
「ははっ、そうかもね。……でも、人間の中にも化け物が産まれることがある。もっとも、アスベルは人間ではないらしいけど」
「それって結局、ほんとなんスか? 私は、アスベル先輩の正体がなんであっても気にしないっスけど、いきなり魔族とか言われても信じられないっス」
エリスは壁にもたれかかったまま、肩口で切り揃えられた髪を指に絡める。グランはそんなエリスの方に視線を向けず、自身が座ったベッドを軽く叩いて言う。
「魔族かどうかはともかくとして、あいつが普通じゃないのは確かだ」
「それは私も、否定しないっスけど……」
2人はついさっきのアスベルの様子を思い出し、困ったような表情を浮かべる。
「常人ならまず間違いなく死ぬような大怪我だった。お腹に大きな穴が空いて、全身もボロボロ。一命を取り留めただけでも奇跡だ。長い付き合いの僕も、あそこまでの怪我を負ったアスベルは初めて見た。だから僕も、流石にしばらくは動けないと思っていたのに、あいつはたった3日でこの部屋から飛び出した。……しかも、その時にはもう傷のほとんどが塞がっていた」
「治癒の魔法があったとはいえ、あり得ない速度っスよね」
「彼は特別なんだよ。その特別ゆえに、走り続けてこられた」
「……それは違うっスよ。アスベル先輩は、ずっと走り続けてきたから、特別なんス」
「それは……そうかもね」
2人は同じような表情で、窓の外に視線を向ける。朝日が眩しい心地のいい天気。アスベルの行動次第では、世界が滅びてもおかしくないような状況だ。それでも2人は、どこか落ち着いた雰囲気で話し続ける。
「騎士団にはまだ、待機命令が続いてるんスか?」
「そうだね。お上はもう歳だから、腰が重くて仕方がないんだろう。……まあでも、そのお陰でこうして若者が走る余裕ができたんだから、今度マッサージにでも行ってあげないとね」
「勝手に動いたら不味いんじゃないっスか? いくらアスベル先輩が騎士団をクビになっているとはいえ、少し調べればグラン団長との繋がりや、ライ卿の思惑に気づかれる筈っス」
「その時はその時さ。アスベルが失敗して神様を怒らせたら、僕らはこの世界と一緒に滅びるしかない」
「私は戦うっスよ。最後まで諦めないことを、私はアスベル先輩から学んだんスから」
真っ直ぐなエリスの言葉に、グランは笑う。笑ってポケットからタバコを取り出し、マッチを擦る。
「病室は禁煙っスよ?」
「1本くらいなら大丈夫さ」
「そうやってルールを守らない人たちのせいで、真面目にやってる人たちが迷惑を被ることになるんス。1本でも駄目なものは駄目っス」
「手厳しいな。……ま、いっか。どうせ、不味いタバコだ」
タバコをへし折り、グランは大きく息を吐く。
「禁煙した方がいいんじゃないっスか?」
「世界が滅びるかもしれないのに?」
「死んだらきっと、天国で好きなだけタバコを吸える筈っス。だから生きてる間は、我慢すればいいんスよ」
「天国にタバコなんてあるのかな。そもそも僕、結構悪いことしてきたからな。天国に行けるのかどうか……」
「行けるように、今から頑張ればいいんスよ。……大丈夫っス! アスベル先輩は負けないっスから!」
華やかに笑う部下に、グランはまた苦笑を返す。自分がアスベルに伝えたこと。彼が選んだ道。それを考えれば、やはり自分は天国に行くことなどできないだろう。……しかしそれでも、誰かの為に必死に走った部下の前で、これ以上情けない姿を晒す訳にはいかない。
「エリスくん。これから少し悪巧みをしに行くつもりなんだが……ついてくるかい?」
「当然、お供するっス!」
2人は病室から出て行く。小さなテーブルに置かれた花瓶には、なんの花もいけられてはいなかった。
◇
「さて、行くか」
身体中に巻き付けられた包帯をとって、アスベルは軽く伸びをする。
木々が鬱蒼と生い茂る深い森の中。遠くに見えるのは、空に座した神のような少女。彼女は未だに沈黙している。その理由……彼女が動かない理由と、リリアーナを助けられるかもしれない方法。
それらをグランから聞いたアスベルは、問題なく身体が動くようになってから、病室を出てこの場に来た。
「……問題ない」
不思議と昔から、戦わなければ……守らなければと思えば思うほど、傷の治りが早くなった。流石のアスベルもそれは少し変だなと思っていたが、どうやらそれにも理由があったようだ
「いいさ。構わない。お前を救えるのなら、俺は何にでもなってやる」
アスベルは踏み出す。神はそれでも、ただ遠くを見つめ続ける。近くを飛ぶ羽虫に、意識を割く必要はないと言うかのように。
「お前は、探しているのだろう?」
と、アスベルは言った。神は答えない。
「お前は、恐れている。サキュバスクイーンを滅ぼした、唯一、神に対抗できる力を持った種族……亜人を。だが残念なことに、奴らはもう滅びた。お前の復讐相手は、初めからこの世界には存在しない」
アスベルは笑う。冷たい冷たい鬼の顔で、見下すようにただ告げる。
「──ここにいる、俺以外はな」
「……!」
その言葉を聞いた瞬間、少女の顔色が変わる。神は今、確かにアスベルを見た。
「お前の復讐相手は、この世界に俺だけだ! 俺が亜人の最後の生き残りとして、お前を地獄に送ってやる! お前の怨嗟が本物なら、俺を殺してみろ!!!」
アスベルか地を蹴る。
「──はっ」
神は、笑う。ただただ楽しそうに笑って、彼女はアスベルを敵だと認識した。
「殺してやる! 出来損ないが!!!」
そうして、2人の戦いが幕を開けた。
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