第25話 戦いと結末
「俺はこの旅が終わるまで、そこの女……リリィの監視と警護を務める騎士だ。……だから、彼女を守りに来た」
アスベルが剣を構える。その顔はいつもと変わらない無表情。とても何十、何百もの騎士を相手取ってきたとは思えない。
「アスベル……」
しかし、リリアーナはすぐに気がつく。よく見ると、その身体には無数の切り傷があり、呼吸も乱れていて、汗もかいている。いつも無表情で、何があっても死にそうにない男。しかし彼は、確かにここに生きている。剣で刺されたら死ぬ、ただの人間に過ぎない。
リリアーナの胸には嬉しさと、どうしようもない痛みが走る。
「弟が世話になってるみたいだな、アスベルくん」
そんなアスベルを見て、目の前の青髪の男は友人に声をかけるような気やすさで、軽く片手を上げる。
「……お久しぶりですね、アラン指揮官」
「なんだ、覚えてたのか。お前がガキの頃はよく稽古つけてやったのに、忘れられたんじゃないかとおじさんショックだったんだぜ?」
「あんたたち、知り合いだったの……?」
リリアーナが驚いたように2人の顔を見る。アスベルは軽薄に笑う青髪の男──アランに視線を向けたまま、言葉を返す。
「……この人は今の騎士団の団長の兄──アラン・カムレット。俺の元上官で、騎士団最強と呼ばれている男だ」
「おいおい、僕みたいなおっさんを捕まえて最強とか、くすぐったいから辞めてくれ。……特に戦場を終わらせたと言われる鉄の鬼にそんなこと言われちゃ、立つ瀬がない」
「貴方がもう少し真面目に働いてくれると、団長も随分と楽ができると思いますよ?」
「はっ、女に誑かされて逃避行してるお前に、んなこと言われてもねぇ」
警戒心をにじませながらも、どこか親しげに話す2人。
船の出航までまだ時間はある。それでも長引けば長引くほど、不利になるのはアスベルたちの方だ。それが分かっていながら動かないのは、誰よりアスベルが目の前の男の実力を知っているから。
アスベル1人ならまだしも、弱ったリリアーナを庇いながらでは勝機はない。彼は必ず、弱ったリリアーナから狙う。
──この男の前では、少しのミスも許されない。
「……はっ」
そんなアスベルの心境を知ってか知らずか、アランは楽しげに口元を歪めて言う。
「ま、なんにせよお互い、真面目とは程遠い身だ。……いや、お前の場合は真面目すぎるのかな? グランの野郎が言ってた通り、冷めた目をしてやがる。女に騙されたってのは、やっぱりガセか?」
「……どうでしょう。案外、本気かもしれませんよ?」
「はっ、だったら笑ってやるよ。女の為に剣を握るなんざ、今どき流行らねーってな」
アランは笑う。アスベルは笑わない。彼はいつもよりずっと色のない目で、目の前の男を睨み続ける。
「おー、怖い顔。……いい加減、大人になれよ、アスベル。お前は正義の味方のつもりかもしれないが、お前の軽はずみな言動で迷惑してる人間が大勢いる」
「だとしても、リリィ……この女が死ねば、戦争の火種になるかもしれない。そうでなくても、今の情勢で魔族の国を刺激するような真似はするべきではない」
「残念ながらそれは上が考えることだ。いつの時代も、下っ端は言われた通りに動くしかない」
「その結果、大勢の人間が死ぬようなことになったとしても?」
「それがこの世の
「……くだらない」
アスベルは珍しく怒りを露わにした目で、アランを睨む。
「俺は今まで一度も、そんな安い理の為に剣を握ったことなどない。枯れた理に縋るしかないなら、そこを退け」
「……はっ、青くせぇな。心底から青くさい。戦場の生き残り。あの地獄を終わらせた鉄の鬼が、んな甘えたことを言うなよ。……ま、戦争で生き残っちまった奴は皆んな、どっか頭のネジが外れちまってるから仕方ないか」
「それは貴方も同じでは?」
「……さて、どうだったかな」
アランが剣を鞘にしまう。そして戦いはもう終わったと言うように身体から力を抜き、肩をすくめて笑う。
「……残念。タイムアップだ。向こうを見ろよ、アスベル。そこの嬢ちゃんたちが乗るはずだった船が、もう出てる」
「古い手を……」
「違う、アスベル! ほんとに船がもう出てる! まだ時間、あるはずなのに!」
そのリリアーナの声を聞いて、アスベルは海の方に視線を向ける。……確かに遠くに船が見えた。それはリリアーナたちが乗るべき筈だった船。今からどれだけ急いでも、もう間に合わない。
「魔族の国の役人どもがどう思ってるかはともかく、商人たちは余計な揉め事は御免ってことだ。何か騒ぎがあれば、出航を早める。当然のことだな。少し判断が遅かったな? アスベル」
「……っ!」
アスベルがアランに斬りかかる。しかしそれは、感情任せの一撃。鋭く重い一撃ではあるが、経験ではアスベルを凌駕するアランにそんな攻撃は通じない。
「くっ!」
アスベルの剣が空を斬る。アランから外れた剣は、そのまままるでバターでも斬るかのように、近くの街路樹を両断する。
「……なんつー力だよ。こりゃ、正面からの斬り合いじゃ勝てないな……」
アランは剣を鞘にしまったまま、重心を落とす。……居合。東洋に伝わる抜刀術。
膂力と頑丈さがアスベルの強みなら、アランの強みは経験と手数。決して相手のペースに合わせないことで、自分のペースに持ち込む。そうやって彼は、幾たびの戦場を超えてきた。
「…………」
「…………」
2人は黙って睨み合う。アランは、アスベルであっても簡単に打破することはできない強者。そもそも船はもう出てしまった。今から何をしても、状況を変えることはできない。
──奇跡なんて、起こりはしない。
リリアーナの胸に重い諦めがのしかかる。……しかしそれでもアスベルは、いつもの無表情で口を開く。
「……先ほどの一撃で向こうの出方は分かった。俺がもう一度、斬りかかる。そしたらお前は、倒れたピクシーを連れて走れ」
「でも、もう船が……」
「何を言っている。お前は……飛べるのだろう?」
「……!」
どうして思い至らなかったのかと、リリアーナは目を見開く。
騎士団員の多くはアスベルに倒され、まだ混乱は収まっていない。この街が、空飛ぶ魔族にどれだけの対策をしているのだとしても、アスベルを抱えてあの速度で飛んだリリアーナを捕捉できるとは思えない。
「……ふっ」
一瞬、アスベルの脳裏にあの眩い星空が蘇る。きっと、一生忘れることができない思い出。
アスベルは彼女……リリアーナの為に戦った訳ではない。アスベルは偏に、彼女が死ぬことで困る沢山の人たちの為に戦った。ここまで、戦い抜いた。
「……ふっ」
しかしそれは、もしかしたら間違いだったのかもしれない。なんてらしくもない思考が、アスベルの脳裏を過ぎる。
この旅の報酬があの夜空なら、こんなところで旅を終わらせることはできない。あの夜空に相応しい対価を払うまで、アスベルは決して足を止めない。
「リリィ。お前の見せてくれた景色は、今も目に焼きついている。楽しかった……とは言ってやれないが、忘れられない思い出ができた」
アスベルは笑う。下手くそに、照れ臭そうに口元を歪め、ただ前だけを見つめながら笑う。
「──お前は噂に違わぬいい女だった。……だから、生きろ。お前の自由を俺が切り開く!」
アスベルが地面を蹴る。リリアーナの動体視力では、消えたと錯覚する程の速さ。
「…………」
しかしそれでも、アランはギリギリまで剣を抜かない。限界まで身体から力を抜き、アスベルが剣を振り上げる一瞬の隙を狙う。
「今です! リリアーナ様! ……ルミナ!!」
瞬間、辺りが光に包まれる。意識を取り戻していたミミィが最後の力で、視界をくらます光の魔法を発動する。
「くっ!」
流石のアランもアスベルを前に倒れたミミィまで意識を向けておらず、一瞬だけ対応が遅れる。
「いい加減、そこを退けっ!!!」
アスベルの剣が振り下ろされる。戦場で見せるのと同じ、鬼の一撃。
「舐めるな、若造がっ!」
しかし、対するアランもまた戦場を生き抜いた古兵。彼は体勢を崩しながらもなんとか剣を抜き、アスベルの一刀を受け止める。
「……っ!」
しかし、まともに撃ち合えば競い合うことになるのは膂力。この世界でアスベルの一刀を受け止められる人間なぞ、存在しない。
「少し寝ていろ!」
「くっ……!」
アスベルの圧倒的な力の前に、アランは近くの壁まで吹き飛ばされる。その隙に、リリアーナはミミィを抱きしめ空へと駆ける。
「アスベル! いつか絶対、またこの国に戻ってくる! あんたに会いに、この国に帰ってくる!! だから……だから絶対、まあ会おうねっ!!!」
空を飛ぶリリアーナが最後に大声でそう叫び、船へと向かう。その速度ならきっと、船に追いつくことができるだろう。あの女ならきっと、そこから先のことくらいどうにかする。
アスベルはようやく、肩から力を抜く。
「またな、リリィ」
アスベルは最後にそう小さく呟いて、口元を歪めた。
そうして、2人の短い旅は終わりを告げた。
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