3章 別れと騎士
第26話 罪と罰
「今回は随分と派手に暴れ回ったみたいだね、アスベル」
外界の音が全く届かない地下。リリアーナが閉じ込められていた場所とは違い、凶暴な動物を閉じ込めるようなただただ頑強で遊びのない牢屋。
そんな牢屋に閉じ込められたアスベルを見て、騎士団の団長であるグランはいつもと変わらない軽い調子で笑う。だからアスベルもまた、普段と変わらない淡々とした口調で答える。
「久しぶりに、団長の兄上と話をしましたよ。相変わらず、ふざけてるようで隙のない方でした」
「ああ、それならあのアホ兄貴から話は聞いたよ。ドラゴンを相手にするよりきつかったーって」
「それは流石に大袈裟でしょう」
「本当にそうかな? 君1人暴れ回っただけで、国境沿いに配備されてた部隊は半壊。幸い大した怪我人は出てないようだが、向こうでは今でも噂になってるらしいよ? インポのアスベルは本物の鬼だって」
「…………」
アスベルはリリアーナを逃した瞬間、剣を捨て大人しく捕縛された。そのあと厳しい尋問が数日間続き、グランの働きもあって今はこうして本部にある強力な魔族を閉じ込める為の牢屋に入れられている。
「君さ、その気になったら逃げられたでしょ? なのにどうして、わざわざ捕まるような真似をしたの?」
「周囲を多数の団員に囲まれ、アラン指揮官も健在。逃げるのは無理だと考え、投降しただけです」
「嘘つくなよ。君は……自分が逃げたら上官である僕が、全ての責任を取らされると考えた。だから君は最初から、彼女を逃したら投降するつもりでいた。それが1番、正しいことだから」
「…………」
見透かすようなグランの言葉に、アスベルは何の言葉を返さない。
「君は自分では自覚がないのかもしれないけど、この騎士団でも君を慕う者は多い。なんせ君は、英雄だ。戦場で誰より戦い続け、誰よりも血を流し、誰よりも敵を殺した鬼。鉄面鉄鬼のアスベル。君を恐れている者も多いが、同じように君を慕う人間も多い」
「例えそうだとしても、私がしたことは許されるようなことではありません」
「サキュバスに誑かされて、処刑される筈だった彼女をまんまと逃してしまった。確かにお上はカンカンだ。君を処刑しろとまで言ってくる貴族もいる。僕も対応に追われて、最近は徹夜続きさ」
「それは……本当に、申し訳ないことをしました。私の首で済むのなら、この首を切り落として頂いても構いません」
「おいおい。そういう冗談はよくないぜ? 可愛い部下の首を落として喜ぶ上官なんて、いやしない。そんな奴は、最低なんて言葉じゃ言い表せないくらい下劣だ」
グランはいつもと同じように、軽い調子で笑う。しかしその澄んだ青い瞳には、有無を言わせぬ迫力があった。アスベルが自身の信条を決して曲げないのと同じように、グランにもまた絶対に譲れないものがあった。
「実際、君を擁護する貴族も少なからずいる。彼女……リリアーナの処刑は、どう考えても急だったからね。魔族の国との会談に参加しなかった貴族たちの何人かは、ちゃんと抗議してくれてるよ」
「……どの貴族が処刑を決めて、どの貴族がそれに反対しているのか。その情勢を見れば、魔族の国と何があったのか想像がつくんじゃないですか?」
「自分が牢に入れられても、気にするのはそれか」
グランは呆れたように息を吐く。アスベルの表情は変わらない。
「リリィ……リリアーナの処刑が急遽決まった理由。グラン団長なら、既におおよその見当はついているのではないですか?」
「例えそうだとして、重罪人である君にそれをホイホイ教えると思う?」
「…………」
アスベルはいつもの無表情で、鉄格子越しにグランを見る。グランはわざとらしく両腕を上げて、首を横に振る。
「魔族の国との会談で、何か揉めたらしいってことは分かった。それで反魔族派で力のある貴族……バルシュタイン卿の派閥が、無理やり彼女を殺すと決めた」
「魔族憎しの短絡的な決定……では、ないのでしょう?」
「ああ、バルシュタイン卿は狡猾だ。そんな単純な動機で動くことはない。でも、いくら僕が探っても、それ以上のことはほとんど何も分からなかった」
「それだけの事態が、裏で動いているということですか?」
「多分ね。ただ、どうもバルシュタイン卿は、彼女自身……リリアーナちゃん本人を危険視しているらしい。もしかしたら彼女は、僕や君が思っているよりもずっと特別なのかもしれない」
グランはそこでからかうような笑みを浮かべ、アスベルを見る。
「実際、どうだった? 傾国の魔女。サキュバスの中のサキュバス。リリアーナ・リーチェ・リーデンは。インポな君でも、何か感じちゃうくらいいい女だったかい?」
「…………」
アスベルは少しの間、悩むように目を瞑り言う。
「戦闘能力は、大したものではありませんでした。修羅場は潜っているのでしょうが、立ち振る舞いからして戦いに慣れていないのは瞭然」
「そんな話は聞いてない」
グランは呆れたように息を吐く。アスベルは懐かしい思い出を振り返るように続ける。
「振る舞いは思っていたよりずっと、子供っぽかったですね。人の話を聞かない。口を開けば我儘ばかり。確かに美人ではあったのでしょうけど、傾国というのは大袈裟です」
「世界一の美女を相手に辛辣だな。……ま、君らしいと言えば君らしいけど」
「ただ……」
アスベルは珍しく少しだけ頬を緩め、天井を見上げる。ただの薄汚れた天井。しかしアスベル目には、あの輝かしい満天の星空が映る。
「ただ、彼女の隣で見る星空は美しかった。……私があの女について言えるのは、それくらいですね」
「……はっ、助けた価値はあったってことか。ならいいさ」
グランは満足そうな顔で立ち上がり、アスベルに背を向ける。
「後の面倒はこっちで処理しておく。なあに、馬鹿な貴族様のご機嫌をとるのは得意なんだ。だからお前はしばらく、そこで長旅の疲れでも取ってろ」
「いや、私は──」
「悪いが、こんなところで騎士団随一の戦力を失う訳にはいかないんだよ。僕にもいろいろ、考えがあるからね。だからまあ、君は大人しく僕に世話でも焼かれているがいいさ。若者は若者らしく、歳上の言うことには大人しく従っておくんだね」
楽しげに笑って、適当に手を振りながら立ち去るグラン。彼はアスベルが無茶をする度に、そうやって笑って尻拭いを続けてきた。……或いは面倒ごとを嫌う彼が団長なんて立場にいるのも、アスベルの為なのかもしれない。
「……ありがとうござます、団長」
尊敬するべき団長の後ろ姿を眺めながら、アスベルは小さくそう呟いた。……しかし、2人はまだ知らない。彼らが想像している以上に、事態はずっと深刻だということを。
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