第16話 過去



「大人しくしていたようだな」


 リリアーナが宿の主人と会話をしてから、しばらくした後。両手に抱えきれないほど沢山の食べ物を持ったアスベルが、部屋に戻ってくる。


「あんた、そんなに沢山どうしたのよ?」


「……いろいろあってな。まあ、このくらいなら食べ切れるだろう?」


「そうだけど……ま、いいわ」


 リリアーナはテーブルに置かれた料理の中から、分厚い肉が挟まったサンドイッチを手に取り、頬張る。


「……! 美味しい! 美味しいじゃない! これ!」


「そうか。よかったな」


 と、アスベルは棒に刺さった肉に大量の唐辛子をかけ、大きな口でかぶりつく。


「あんた、そんな唐辛子かけて味わかるの?」


「人の好みに口出しするな」


「それはそうだけど……ま、いいわ。それより、ここの宿の主人があんたにお礼を言いに来てたわよ? あんたも意外と、隅に置けないわね? なに? 昔の女だったりするの?」


「そんな訳あるか」


「じゃあなによ? ただ、重い荷物を持つのを手伝ってもらったーとか、そんな風には見えなかったけど?」


「…………」


 アスベルはまた唐辛子で真っ赤になった肉にかぶりつき、少しの間考えるように目を瞑る。


「なに? そんなに言いにくいことなの?」


「いや、違う。この宿……というよりこの街は、本来、見捨てられる予定だったのだ。近くの山で異常発生した知性を持たない魔獣。国は、王城の警備を減らしてまでこの街を守る価値はないと判断し、増員を送らなかった」


「それで?」


「それで、それが不当だと思った俺がその命令を無視してこの街に出向き、1人で魔獣を殺し尽くした。それだけのことだ」


「なにそれ……」


 リリアーナはまじまじと、アスベルの顔を覗き込む。この男は簡単に言っているが、それはとても大変なことなのではないだろうか?


「街を滅ぼすような魔獣を1人で殺し尽くすって、あんた何気にやばいわよね?」


「たかだか数千の魔獣を殺しただけだ。騒ぐようなことじゃない」


「……あんたってあれよね? クソ真面目に見えて、頭のネジが何本か外れてるわよね?」


「当時、上官にも同じようなことを言われたな。少しは後のことを考えろ、と」


「そりゃそうでしょ。あんたの上官って、大変そうよね。優秀だけど絶対に自分を曲げない男とか、扱いにくくて仕方ないじゃない。あたしは御免ね」


「だから俺は、騎士団内でも浮いている。……インポのアスベルというのも、そんな俺へ不満の表れなのかもしれないな」


 リリアーナはサンドイッチを食べながら、騎士団内でのアスベルを想像してみる。ルールに厳しい癖に、自分は簡単にそのルールを破る。力づくで結果だけは出すが、疎まれることも多い。そして極め付けは、この真っ黒に澱んだ瞳。


「ははっ、あんたやっぱりモテないわ」


「だから別に、それで構わないと言っているだろう」


「でも、あの雑貨屋……じゃなくて武器屋のお婆ちゃん。あの人、あんたのこと心配してるんじゃないの?」


「騎士団で働くということは、いつ死んでもおかしくないということだ。それはあの人も十分に理解している」


「だったらいつまでも、そんな辛気臭い顔してもしょうがないじゃない」


「かもな。……ただ俺は、いつ死ぬか分からないからこそ、自分の道を曲げるような真似はしたくないんだ」


「…………」


 そこでリリアーナは気がつく。それはつまり、いつ死んでも構わないというだけのことなのかもしれない、と。この男が一切迷いなく行動するのは、そもそも初めから何も思い残すことがないから。


 いくら正しくて、多くの人間を救ったとして、それで生きていると言えるのだろうか?


「やっぱあたし、あんたのこと嫌いだわ」


「そうか」


「……そうかって、そういうところよ。あんた、あたしを助けたせいで、騎士団をクビになるかもしれないんでしょ? それなのに、あたしに嫌いとか言われてムカつかないの?」


「お前が何を思おうと、俺のやるべきことは変わらない」


 どこまでも、色のない目。リリアーナは八つ当たりするように、サンドイッチを頬張る。


「……なんかムカつく。お腹いっぱいになったら、エッチな気分になってきた。助けてくれたお礼に、抱かせてあげようか?」


「馬鹿なこと言ってないで、食ったならさっさと寝ろ。明日も1日、歩き通しだ」


「ちぇ、つまんないの。あんたがどういう風に女の子を抱くか、ちょっと興味あったのに」


「そもそも俺はインポだ」


「それってあだ名じゃなくて、本当にそうなの?」


「そうだ。そもそも俺は……」


 アスベルはそこで言葉を止め、扉の方を睨む。しばらくしてから、リリアーナの耳にもこちらに近づいてくる足音が聴こえる。


「……あんた、どんな耳してるのよ」


「いいから、黙れ」


 足音はアスベルたちの部屋の前で止まり、またコンコンコンと扉をノックする音が響く。


「……誰だ?」


「この街の警備を任された騎士団の者だ。実は、王都で凶悪犯が逃げ出したという知らせがあり、見回りを行なっている。悪いが少し──」


 男が言葉を言い終わる前に、アスベルは迷うことなく扉を開け、男の鳩尾を殴る。


「なっ……!」


 男は乾いた息をこぼし、倒れる。


「ちょっ、あんた! 何やってるのよ!」


「居場所がバレた、移動する」


「いやでも、いきなり殴ることないじゃない……」


「加減はした。こいつには悪いが、必要なことだ。……俺が跡をつけられていたなんてことはないが、この男もどこかで足取りを掴んでいたのかもしれない。油断はできない」


 そのまま荷物を持って部屋を出て行こうとするアスベル。しかしそこでまた、別の乱入者がやってくる。


「お待ちください、アスベル様」


 そこで現れたのは、この宿の主人を名乗った女性。


「お前は……」


「この宿の主人であるアリーシャです。アスベル様は覚えておられないかもしれませんが、貴方に助けて頂いた者の1人です」


「いや、覚えている。しかし今は、話をしている時間は──」


「地下の部屋をお使いください。あそこなら、誰かに見つかる心配はありません。この辺りの山道は、夜になるとまた魔獣が出るとの噂です。ですから夜まではここに身を隠し、出発は明朝にされるのがよろしいかと」


「…………いいのか?」


「はい。どうか、ご恩返しをさせて欲しいのです」


 女性は笑う。それはどう見ても恋する乙女の顔で、しかしアスベルはそのことに気がつかない。


「分かった。では、地下の部屋を借りる。だがもしもの場合は、俺に脅されただけだと騎士団の人間に伝えろ」


「はい。お気遣いありがとうございます」


「聞いていたな、行くぞ?」


 淡々と歩き出すアスベル。リリアーナはそんなアスベルの背中に続こうとして、けれどその前に宿屋の主人である女性に声をかける。


「貴女、いいの?」


「いいとは、何がでしょうか?」


「いや、貴女あいつのことが好きなんでしょ? あの朴念仁には、はっきり言わないと伝わらないわよ?」


 心を見透かしたようなリリアーナの言葉に、女性は一瞬、驚いた顔をする……が、すぐに笑みを浮かべる。リリアーナの知らない、温かで眩い笑み。


「……っ」


 その笑みにどうしてか、リリアーナの方が動揺してしまう。


「いいのです。あの方は今も、誰かの為に戦っておられるのでしょう? 私がその邪魔をする訳にはいきません」


「でも……」


「先程のアスベル様、抱えきれない程の料理を持っていらっしゃったでしょう? あれは、あの人に感謝する街の住人が、無理やりあの人に押しつけたものなのです。アスベル様は自覚がないのでしょうけど、皆あの人に感謝しているのです。……だから私も、あの人の力になれるだけで十分、幸せなのです」


「……っ」


 その笑みは、決してリリアーナには向けられてこなかった笑み。多くの貢物を受け、多くの人間に愛された。それでも誰かに感謝なんてされたことなんて、一度だってありはしない。


「何をしている? 追手が来るかもしれない。早く行くぞ?」


「……分かってるわよ」


 リリアーナはアスベルの背中を追う。


「ねぇ、あんたさ……」


「なんだ?」


「……ううん、何でもない」


 その静かな背中に、どんな言葉をかけようと思ったのか。リリアーナは自分でも、よく分からなかった。


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