第17話 自由な



 アスベルたちが王都を離れて、数日が経った。途中、騎士団の追手に捕捉されそうなることもあったが、その度にアスベルは経路を変えただひたすら、国境を目指して歩き続けた。


 騎士団の人間も本気で、道中でアスベルたちを捕まえる気はないのだろう。アスベルたちの目的地が魔族の国との国境であることは明白であり、それなら闇雲に国中を探し回るより、国境沿いの警備を厳重にした方が効率的だ。


 2人が駆け落ちして身をくらませたのなら、探す手段はない。アスベルが本気で身を隠すなら、見つけるのはまず不可能だ。しかしアスベルの目的はあくまで、リリアーナを魔族の国に送り届けること。騎士団は戦力を国境に集中させる。戦闘は避けられない。


 それでもアスベルは、決して足を止めない。友好条約を結んだ魔族の国との、余計な揉め事の種を消す。彼はいつでも、自分の中にある正しさに従って行動する。


 だから彼には、理解できなかった。


「あ、ちょっと来てみなさいよ、アスベル! あそこ、めっちゃ綺麗な花が咲いてるわよ!」


 山道を、まるで子供のように走り出すリリアーナ。彼女はどんな時でも、どんな状況でも、楽しむ為に全力を尽くす。


 今は逃亡中の身だ。できる限り、目立つべきではない。何が起こるか分からない。体力はできる限り温存しておくべきだ。


 普通ならそう考えるだろう。なのにリリアーナは、まるで観光でもしているかのように、笑っている。その精神性が、どうしてもアスベルには理解することができなかった。


「お前は……まあいい」


 そのリリアーナの心の内を知ることができたなら、或いは自分も何かを楽しめるようになるかもしれない。なんて、らしくもない感傷をアスベルは無理やり飲み込む。


「なによ? 途中で辞めたりして。あんた、偶にそういうことあるわよね? 言いたいことがあるなら、はっきり言いなさい」


 リリアーナは足を止め、真っ直ぐにアスベルを見る。眩い黄金の髪が、風に揺れる。アスベルはいつも通り淡々と口を開く。


「ただ、疑問に思っただけだ。どうしてお前はいつも、そんなに楽しそうなのか、と」


「なにそれ? あたしはただどんな時でも、楽しく過ごすって決めてるだけ」


「どうしてそんな風に思えるのか、俺には理解できないという話だ。……よくも悪くも、な」


「なによそれ。そんなの決まってるじゃない。……というか、あんただって言ってたでしょ? 自分は、いつ死ぬか分からないって」


「そうだ。騎士団の人間は、いつだって死と隣り合わせだ」


「でもそれって、誰だってそうでしょ? あたしもあんたも、誰だっていつ死ぬか分からない。なら、少しでも楽しんでおかないと損じゃない」


 まるで踊るように両手を広げ、華やかに笑うリリアーナ。そんな彼女を讃えるように、空を飛ぶ小鳥たちが歌声を上げる。


「……いくら楽しんでも、死んだら無駄になるとは考えないのか?」


「あんただって、いくら正しくても死んだら何も残らないとは、思わないの?」


「俺が死んでも、俺が行ったことはなくならない」


「…………」


 リリアーナは思わず黙ってしまう。最初はそんなアスベルの考え方が、全く理解できなかった。でもアスベルは、行く先々でいろんな人間に感謝されている。


 アスベルが死んでも、彼が行ったことはなくならない。彼が信じた正しさは、誰かの胸に残り続ける。


「でもそれで、肝心のあんたが幸せじゃないなら、意味ないじゃない」


「どういう意味だ?」


「……さあね。それより、向こうに綺麗な花が咲いてるのが見えたから、少しだけ見ていきましょ?」


 強引にアスベルの腕を引いて、歩き出すリリアーナ。もう何度も無駄なことは辞めろと言っているが、リリアーナは一向に聞こうとしない。


「……少しだけだぞ」


 そんなリリアーナに根負けしたのか、アスベルも最近は休憩も込みで、少しの寄り道くらい許すようになっていた。


 ……いざとなれば、自分がリリアーナを担いで走れば問題ない。国境が完全に封鎖される前に、リリアーナを魔族の国に届ける。その目的が果たされるなら、どれだけ寄り道をしようと問題はない。


 アスベルは思考を切り替える。


「あたし、魔族の国だと結構、立場があるのよね」


 アスベルの方には視線を向けず、リリアーナは続ける。


「姫様とか呼ばれてさ、子供の頃から凄い大切に育てられてきた」


「それは、いいことではないのか?」


「違う。その方が都合がよかっただけ。……サキュバスクイーン。既に絶滅した筈の、本来は存在しない貴重な種族。あたしは突然変異で、特別な力を持って産まれた」


「それがどうして、人間の国を荒らし回る魔女になった? 戦後から、魔族に対する差別の意識は減ってきた。だが、それでも生き辛いのは確かだろう? それなら、魔族の国でお姫様をやっていた方が、お前の言う楽しさに合致するんじゃないか?」


 魔族の国で虐げられていたサキュバスが、人間を騙して成り上がる。それならアスベルにも理解できる。しかし、元々幸せだったリリアーナが、どうして人間の国に拘るのか。その理由が、アスベルにはどうしても理解できなかった。


「だって、それ。あたしじゃないでしょ?」


「……どういう意味だ?」


「誰かが望んだあたしを演じて、誰かに言われるがまま生きる。それって、あたしが生きてるって言えないじゃない。あたしはあたしがここに生きてるってことを証明する為に、いろんなことを楽しんで、いろんなことを笑いたい。それだけなの」


「……お前は、自由なんだな」


「ん? それどういう意味?」


「さあな」


 木々の合間を抜ける。見えたのは、小さな花畑。


「……綺麗」


 誰が手入れしている訳でもない自然が作り出した花々が、暖かな風に揺れる。それは確かに綺麗な景色で、でも同時にどこにでもあるようなありふれた風景だ。


 なのにリリアーナは、まるで奇跡でも目の当たりにしたかのように、目を細める。


「あたし、魔族の国って陰気で嫌いなんだけどさ、それでも1個だけ忘れられない景色があるの」


 リリアーナはしゃがんで、優しく花に触れる。


「人間の国には多分ない花でね、薄い青色の小さな花。その花はね、隣の花が咲くと自分も花開く習性があって、1個咲くと一面がわーって花だらけになるの。まるで、青空が落ちてきたみたいに」


「…………」


 アスベルはその景色を想像してみる。しかし、上手く形にならない。何を見ても美しいなんて思わないアスベルには、目の前の花もリリアーナが語る魔族の国の花も、等しくただの景色でしかない。


「一度、見てみたいものだな」


 なのに自然と、そんな言葉が溢れた。


「……え?」


 リリアーナは驚いて、アスベルを見る。しかしアスベル自身にも、どうして自分がそんな言葉を口にしたのか、理解できていなかった。


「……いや、つまらないことを言った。忘れてくれ」


「どうしてよ、嫌よ」


 リリアーナは笑い、視線を花畑から困ったような顔をしている不器用な男に向ける。


「いつか案内してあげるわ。あの退屈な国の、それでも綺麗な綺麗な花畑。流石のあんたも、あの景色を見たら心動かされる筈よ?」


 リリアーナは歩き出す。アスベルは少しの間、その背中を見つめながら、自身の胸に手を当てる。ふと見えたのは、目の前の花畑でも空想の花畑でもない、ありふれた夕焼け。


 夕焼けがゆっくりと沈んでいく湖。昔、どこかで見た景色。自分が心を失う前に見た、美しい風景。



 ──どうして今まで、忘れてしまっていたのだろう?



「何してるの? 行くわよ? アスベル」


「……分かっている」


 余計な思考を振り払い、アスベルは歩き出す。傾国の魔女。滅びた筈のお姫様。サキュバスクイーン。そんな少女と旅をしている内に、或いは自分も何か変わってしまったのかもしれない。


「……感傷だな」


 けれどそれでも、アスベルは普段と何も変わらない色のない目で、ゆっくりと歩き出した。


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