第18話 最後の



「あー、今日も歩き通しで疲れたー」


 宿に着いたリリアーナは、いつもと同じようにベッドに飛び込み、脚をバタバタとさせる。


「それも今日で終わりだ。明日には、魔族の国……コルディア連邦との国境にたどり着く。余計な面倒が起きなければ、お前との旅も明日で終わりだ」


「……そっか。なんだかんだで、あっという間だったわね」


「そういう言葉は、無事に国に戻ってからにするんだな。……国境の警備は今までとは比べ物にならない。騎士団本部の人間も待ち構えている筈だ」


「また戦いになる? でもあんたなら、大丈夫でしょ?」


「俺はな。だが、お前はそうじゃない。明日は何が起こってもおかしくない。今のうちにゆっくりと休んでおけ」


「退屈だから遊びに行きたいって言ったら? ……って、分かってるわよ。今日はほんとに疲れたし、大人しくしとくわ」


 リリアーナはベッドに寝転がったまま、天井を見上げる。


 彼女の指示で、ピクシーであるミミィが国に戻る為の手筈を整えている筈だ。リリアーナから見ても優秀なアスベルと、同じく優秀なミミィの下準備。


 アスベルは警戒しているようだが、リリアーナは大して心配していなかった。


「でも、あんたとも明日でお別れかー。そう考えるとあれね。本当にちょっとだけ、寂しいかもね」


「魔族の国で、もっといい男でも見つけるんだな」


「冷めてるわね。ま、もうあんたを口説き落とす理由もないし、リップサービスしても意味ないか」


「そういうことだ」


 アスベルは入念に明日の準備を進める。リリアーナは何となんとなくぼーっとそんなアスベルの姿を眺めていると、ふと気がつく。


「あんた、意外と綺麗な肌してるわよね? 戦場に長くいたんだから、もっと傷だらけなのかと思ってた」


「……昔から、傷の治りが早いんだ。切り傷くらいなら、数分で塞がる。一度、腹に穴が空いたこともあるが、傷跡は残らなかったな」


「……ほんと化け物ね。あんた、本当に人間なの? 魔族でもそんなに頑丈なの、中々いないわよ?」


「さあな。自分が誰であるかは自分で決めるさ。それはお前も、同じだろう?」


 どこまでも淡白な言葉。リリアーナは特に気にすることなく、尋ねる。


「あんたってさ、子供の頃からそうなの?」


「なんだ、藪から棒に」


「いや、あんたとも明日でお別れでしょ? だから最後に、あんたのこと聞いておきたいなって」


「…………」


 アスベルは目を閉じ、考え込むように腕を組む。


「なによ? そんなに話したくないの?」


「いや、違う。ただ、子供の頃のことはあまり覚えていないんだ。……昔から、何を考えているのか分からないと言われた覚えはあるがな」


「子どもの頃から、インポだったのね」


「だろうな。……ただ、お前と旅をして思い出したことがある」


 アスベルは遠い過去を見つめるように、目を細める。


「赤い夕焼けが沈んでいく湖。俺はその景色をぼーっと眺めながら、美しいと思った。そんな、どうでもいい些細なことを。だから、子供の頃は今よりも幾分か、人間らしい感情が残っていたのだろう」


「ふーん。湖、ね。あんたみたいな奴が美しいって思うってことは、それは相当綺麗な景色なんでしょうね」


「だがもう、忘れてしまった。それがどこの景色だったのか、誰を……待っていたのか」


 アスベルは息を吐いて、思考を切り替える。


「ま、そんなことはどうでもいい。それより問題は、明日だ。お前も明日は今まで以上に不用意な行動は避けろ。俺が指示をすれば、俺を見捨ててでも走れ」


「分かってるわよ、心配性ね」


「……ならいいが」


 アスベルは最後の確認を済ませ、鞄を閉じる。


「でも、明日はそんな余裕はないかもしれないから、今のうちに言っておくけど……」


 リリアーナは立ち上がり、アスベルを見る。


「あんたの考え方や価値観は正直、理解できない。けど……それでも、助かったわ。ありがとね」


「今さら礼などいらんさ」


「お礼に、エッチさせてあげるって言ったら?」


「忘れたのか? 俺はインポだ」


「そうだったわね」


 と、リリアーナは笑う。アスベルは笑わない。こういうやりとりをするのも明日で最後なのだと思うと、リリアーナは本当に寂しくなってしまう。……たとえそれが、すぐに忘れてしまう感傷なのだとしても。


「ねぇ、あんた。これから──」


「悪いが俺はこれから少し、明日の下準備に出かけなければならない。言いたいことは分かるな?」


「不用意な外出はするな、でしょ? ……はいはい、分かってますよー」


 リリアーナは拗ねた子どものようにまたベッドに倒れ込み、足をバタバタとさせる。


「一応言っておくが、ここは国境に近い。誰かが部屋を訪ねてきても、不用意にドアを開けるなよ? もし騎士団の人間が踏み込んできたら、窓から逃げろ。大声を出せば、俺がすぐに駆けつける」


「分かってるって、しつこいわね。あたしだって子供じゃないんだから、そんなに何回も言われなくても分かるわ」


「なら、しばらく留守にする。食事はそこに置いてあるのを自由に食べろ。俺の分を残す必要はない」


「なによ、あんただけ外食?」


「下準備だと言っただろう? ……明日の朝までには戻る。それまでは大人しくしてろ」


 それだけ言って、アスベルは早足に部屋から出ていく。


「……そういや結局、あいつの笑った顔、一度も見れなかったわね」


 と、リリアーナは小さく呟いた。



 ◇



 アスベルは1人淡々と、夜の街を歩き続ける。


「…………」


 目的地は既に決まっていた。……あまり宿から離れる訳にはいかない。リリアーナも馬鹿ではない。何か問題が起きれば、声を上げるくらいのことはできるだろう。


 普段の子供のような言動で忘れてしまいそうになるが、彼女は傾国の魔女とまで呼ばれた魔族の女だ。修羅場には慣れているだろう。


「さて、そろそろいいか」


 アスベルは小さく呟いて、振り返る。


「尾行が下手なのは相変わらずだな、エリス」


 アスベルは人気のない路地裏で足を止め、背後を睨む。そこから現れたのは、彼の後輩である少女──エリス。


「先輩を連れ戻しにきたっス」


 と、彼女は暗い目でそう言った。


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