第19話 追手



「先輩を連れ戻しにきたっス」


 エリスは普段は敵にも見せないような爛々とした目で、アスベルを睨む。


「……どうやら、お前1人のようだな?」


 対するアスベルは、普段と同じ色のない目で言葉を返す。


「捜索隊の指揮は任されてるっスけど、私はそれとは別に個人で先輩を追ってたんス。先輩ならどのルートを通って、どうやって国境に近づくか。先輩に教えてもらったことを総動員して考えて、ここまできたっス」


「なるほど。大勢で追うと、どうしても騒ぎになって俺に気づかれる可能性が高くなる。……成長したな、エリス」


「こんな時に褒めてもらっても、嬉しくないっスよ」


「だろうな」


 冷たい夜風が、音もなく2人の間を吹き抜ける。


「どうしてあたしに何も言わず、勝手なことをしたんスか? サキュバスに情けをかけるなんて、先輩らしくないっス」


「俺の独断専行はいつものことだろ? 俺は常に、自分の価値観に沿って行動している」


「……騎士団内では先輩がサキュバスに落とされたって、噂されてるんスよ? 私、悔しいっス。先輩がサキュバスなんかに誑かされるなんて、そんなことある訳ないのに……!」


「お前は俺を信じてくれるのか?」


「当然っス! 先輩はどんな時でも、間違わないっス!! 周りが何と言おうと、私だけは先輩の正しさを信じ続けるっス!」


「……しかしお前は、さっき言ったな? 俺を連れ戻しにきた、と。無論、その言葉にも嘘はないのだろう?」


「…………」


 エリスは手をぎゅっと握りしめ、空を見上げる。分厚い雲が邪魔をして、月は見えない。路地は薄暗く、少し離れると目の前のアスベルの顔まで見えなくなってしまいそうだ。


 エリスは痛みを耐えるよう手を握り締めたまま、言う。


「先輩の考えは、なんとなく分かるっス。というか、グラン団長に教えてもらったっス。ここで魔族の国で立場のあるサキュバス……リリアーナを処刑すると、また戦争になるかもしれない。だから先輩は、リリアーナを連れて逃げたって」


「そうだ。一部の過激派が無理を言って、処刑を強行する。そうなれば、魔族の国との争いは避けられない。今まで何度も、同じような手口を見てきた。これ以上、つまらん金儲けと野心の為に血を流すことに意味はない」


「でも、私と先輩なら魔族なんかに負けないっス!」


「勝ち負けの問題ではない。俺が死なずとも、部下たちはそうではない。お前も、仲のいい同僚が血を流している姿は見たくないだろう? 戦争が長引けば、お前の友人にも累が及ぶかもしれないんだぞ?」


「……っ。でも! それでも! 先輩が魔族に肩入れするなんておかしいっス!! 先輩はあたしと同じで、魔族に……家族を殺されたんスよね? 先輩がそんな性格になったのも、目の前で家族を……っ!」


 エリスの声が震える。彼女もまた、魔族の理不尽な侵攻により家族を失った。エリスはその復讐の為に騎士団に入り、そしてアスベルと出会った。


 自分と同じく家族を失い、それでも誰よりも果敢に戦い続ける英雄。昇進も賞与も求めず、ただ正しさの為に戦い続けるその後ろ姿にエリスは憧れた。


「そんな先輩が魔族に肩入れしてるとこなんて、私、見たくないっス!! そんなの、先輩らしくないっスよ!!!」


 エリスが魔族を恨む気持ちは、アスベルにも理解できた。しかしそれ以上のものを、彼は持ち合わせていない。理解はできるが、彼女と同じ痛みを感じることはできない。


「だがな、エリス。その考え方は間違えている」


「……何が間違ってるって、言うんスか?」


「確かに俺は……家族を魔族に殺された。しかしだからと言って、魔族全てが悪だとは思わない。俺だって魔族を……いや、同族である人間も何人も殺してきた」


「それは先輩が……」


「いくら俺が正しいと思おうが、俺がしてきたことが正当化される訳じゃない。誰にどれだけ感謝されようと、悪事が正義に変わることなどあり得ない。俺は今まで、沢山の間違いを犯してきた。そしてそれは、今も変わらない」


 アスベルはどんな時でも、自分の価値観に従って生きている。彼はどんな時でも迷わない。しかし彼は、決して自分を赦さない。誰かの為に誰かを傷つけるという正義が内包した悪辣に、彼は誰より自覚的だから。


「……でも先輩、今回は本当に騎士団をクビになるかもしれないんスよ? 今までの実績を加味しても、今回のことはきっと許されないっス」


「覚悟の上だ」


「もしかしたら先輩が、牢屋に入れられるかもしれないんスよ!」


「構わない。全て覚悟の上で、俺はこういう生き方をすると決めた。自身の幸せなど、俺には必要ない。残るものだけ残れば、俺に後悔はない」


「……っ」


 エリスも説得が無理だというのは、初めから理解していた。それでもここに1人できたのは、もしかしたら……頼ってもらえるかもしれないと、そう思ったから。ずっと憧れだった先輩の力になりたい。それだけの想いで、エリスはここまでやって来た。


 けれどやっぱりアスベルは、誰かを頼るなんて真似はしない。どれだけボロボロになろうと、たった1人で戦い続ける。その事実に、エリスは更に胸を痛める。


「最後にもう一度だけ、訊くっス。……私と一緒にサキュバスを連れて、騎士団に戻るっス。そうすれば、許してもらえるかもしれないっス」


「悪いが、それは聞けない」


「可愛い後輩の頼みでもっスか?」


「誰の頼みでも、俺は自分の道を決して曲げない」


「……残念っス。なら、力づくで連れ帰るしかないっスね」


 エリスが剣を抜く。それだけで、彼女の纏う雰囲気が変わる。エリスもまた戦争を生き抜いた古兵。そこらの盗賊とは、比べ物にならない力を持つ。


「……仕方ない」


 アスベルは腰を下ろし、拳を構える。


「剣、抜かないんスか?」


「可愛い後輩に剣抜く馬鹿が、どこにいる?」


「尊敬する先輩に剣を抜く後輩は、目の前にいるっスよ?」


「お前はまだ、俺を先輩だと思ってくれるのか?」


「当然っスよ! 先輩は私の憧れっスから!!」


 エリスが地面を蹴る。路地裏の薄暗さも相まって、一瞬、アスベルの視界からエリスの姿が消える。


「いい動きを、するようになったな」


「……っ!」


 しかし、彼女とアスベルでは経験が違う。姿が見えなくなっても、足音まで消える訳じゃない。そもそもこの路地は狭い。攻撃の方向は自ずと絞られる。タイミングさえ上手く合わせれば、カウンターを入れるのは容易い。


「悪いが、少し寝ててくれ」


 綺麗に鳩尾に入った拳。たったの一撃で、騎士団でも実力者であるエリスが倒れる。


「ま、まだっス……」


 それでもエリスは残った最後の力を振り絞り、アスベルの服を掴む。


「せ、先輩は本当に……それで、いいん……スか? それで……せん、ぱいは……幸せに……なれる……ん、すか?」


 後輩の最後の問いに、アスベルは何かを飲み込むように一瞬だけ目を瞑り、答える。


「幸せなぞ、俺には必要ない。楽しみも、幸福も、温かさも、俺には全て必要ない。俺にあるのは、昔も今も……俺が信じる正しさだけだ」


 後輩が向けてくれた好意と誠意への、アスベルなりの精一杯の返答。エリスはそれに苦笑いのような笑みを返し、目を閉じる。


「ほんと、先輩は馬鹿な人っス……」


 そこでエリスの身体から、力が抜ける。


「……このまま、ここに放置する訳にもいかないか」


 アスベルはそんな彼女を担いで、いざという時のためにとってあったリリアーナがいる宿とは別の宿に彼女を運ぶ。


「…………お前を本当に、何を考えている?」


 そして、その宿屋からの帰り道。アスベルを待ち構えていたのは、宿で待っている筈のリリアーナ。彼女はどうしてか酷く不機嫌そうな顔でアスベルを睨み、言った。



「──今から、遊びに行くわよ?」


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