第20話 怒り
「──今から遊びに行くわよ?」
そんなことを言って、強引に歩き出すリリアーナ。時刻は既に深夜。明日も早いし、何よりつい先ほどエリスに捕捉されたばかりだ。エリスは個人で動いていると言ったが、他の追手だっていつ来るか分からない。
そんな状況で馬鹿なことをやって、余計なリスクを増やすようなリリアーナの行動に、流石のアスベルも眉を顰める。
「……お前、部屋で大人しくしていろ言った筈だが?」
「それは分かってるけど……嫌な予感がしたのよ」
「予感?」
「そ。あたし、こういう時の勘は外したことがないの。だから、部屋を出てあんたを探すことにしたのよ」
「…………」
魔族の中には、そういった超感覚を持った種族も存在する。サキュバスがそんな能力を持っているなんて聞いたことがないが、リリアーナはただのサキュバスではない。
戦場でそういった能力を持つ魔族と戦ったことがあるアスベルは、彼女の言葉を真っ向から否定はしない。
「お前が部屋を出た理由は分かった。魔族の直感が信じるに足ことも、俺も知っている。だが、これから俺たちが取るべき行動は、宿を変えて明日に備えることだ。遊び回る理由などない」
「今の時間から、別の宿なんて無理でしょ?」
「この街には知り合いがいる。一晩くらい、そいつの所に泊まればいい」
「…………」
リリアーナは不機嫌そうに息を吐き、アスベルの方に視線を向ける。いつもと変わらない色のない瞳。その瞳の奥に何があるのか、百戦錬磨のリリアーナを持ってしても見通すことはできない。
「でもあたしは、納得できない」
「なんだ、急に……」
「あんたとの旅……退屈だったわ。ろくに観光してる暇もなかったし、大抵は歩き回って宿に籠るだけで、ほんと……こんなにつまんない旅は、初めてよ」
「当然だ。遊びじゃないんだ」
「でも! ……楽しいことが、ない訳じゃなかった!」
リリアーナは叫ぶ。今の状況も、アスベルの心境も無視して、ただ彼女は自分の想いを叫ぶ。
「あんたがあたしを盗賊から助けてくれたり、宿で一緒にご飯食べたり、いろんな話をしたり、花畑を見たり……。いろんなことがあった! あたしは……楽しかった。こんなつまんない旅でも、楽しいことが沢山あった。……無表情なあんたも、少しくらいは同じことを思ってくれてるんだって、そう……思ってた。なのに……!」
リリアーナは怒っていた。不機嫌なのはいつものことだが、彼女がここまで自分の感情を露わにするのは初めてだ。何が彼女の琴線に触れたのか、アスベルには全く理解できない。……いや、する必要もない。
自分はただ粛々と、正しいことを行うだけ。余計なリスクを負う必要などない。……その筈なのに、リリアーナの言葉を否定できないのは、多分……ついさっき聞く必要のない後輩の話を聞いてしまったのと、同じ理由。
「何が、俺にあるのは俺の信じる正しさだけだ、よ」
「……聞いていたのか?」
「まあね。……あたしはこの旅、いろいろあったけど楽しかったなーとか思ってた! なのにあんたは、そうじゃなかった。あんたはあたしとご飯食べてる時も、話してる時も、少しも楽しいなんて思ってなかった。あんたにとってこの旅は、自分の正しさを証明する為だけのもので、あんたは初めから……あたしなんて……見てなかった」
「だから、なんだ? そんなのは最初から分かっていたことだろう? 俺は不能だ。俺に誰かを好きになる……何かに感動するような、感情はない。お前も子供じゃないんだから、あまりわがままを──」
「お前じゃない! あたしは、リリアーナ! リリィって呼んでって言ったのに、あんたは一度だってあたしのことをそう呼んでくれなかった!!」
厚い雲のせいで月光も差さない夜に、少女の声がただ響く。辺りに人影はなく、見えるのは冷たいの夜の闇だけ。
「あたしは、傾国の魔女。サキュバスの中のサキュバス。リリアーナ・リーチェ・リーデンよ? このあたしの隣にいて、楽しいことが何もなかったなんて言わせない! そんなの、あたしは絶対に許さない!!」
「……くだらない。お前は──」
「あんたもあたしと同じじゃない! あんたは自分の幸せより、自分の正しさを信じた。自分が損をするだけだと分かっていながら、あたしを助けた。あたしもそれと同じよ。……あたしはこれからのことより、あんたのさっきの言葉が……許せない!」
「……なんなんだ、お前は……」
アスベルは珍しく、困惑する。先ほどアスベルに、お前は間違っていると語ったエリス。アスベルはその言葉を、自分の価値観だけで否定した。その時エリスが見せた、あの諦めと怒りがないまぜになった表情。
きっと今の自分も、そんな顔を……。
「……していないか」
アスベルは諦めるように息を吐く。リリアーナの為に、自分の正しさを捨てるような真似はできない。けれどその正しさを押しつけて、他人の価値観を否定しようとも思わない。
「分かった。どうせ最後の夜だ。今日くらい、お前のわがままを聞いてやる」
「やったっ! そうじゃないとね! このあたしと旅をしておいて、つまんなかったーなんて感想で別れられたら、末代までの恥よ」
「その代わり、明日は覚悟しておけよ? いくら弱音を吐いても、おぶってやったりはしないぞ?」
「大丈夫! その時は無理矢理にでも、背中にへばりつくから!」
リリアーナは上機嫌で歩き出す。さっきまで怒っていたのに、今は本当に嬉しそうな顔で笑っている。
「……コロコロと表情が変わる奴だな」
リリアーナに聴こえないよう、小さな声で呟く。
「それで? どこに行くんだ? 今の時間だと、酒場ももう閉まってる筈だぞ?」
アスベルの言葉にリリアーナは振り返り、満面の笑みで答える。
「実はあたし、いいとこ知ってるの。だからあんたは、黙ってついてきなさい!」
光のない夜。音のない夜。何も見えない、闇だけしか見えないようなとても静かな夜。なのに目の前の少女は、太陽よりも明るい顔で笑う。
「……何が、傾国の魔女だ。ただのわがままな子供だ」
アスベルは疲れたように、大きく息を吐いた。
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