第47話 覚悟



「や、久しぶり……というわけでもないか、アスベル」


 いきなり病室にやって来たどこか疲れた様子のグランに、アスベルは普段と変わらない淡々とした声で応える。


「グラン団長。わざわざこのタイミングに1人で来たということは、もしかして貴方も……騎士団に隠れて個人で動いているのですか?」


「……ま、そんなとこかな。こっちもいろいろあってね。いくつか、話しておきたいことがあるんだ。だから……悪いけど、エリスくん。君は少し外してくれないかな? できればアスベルと2人で、話がしたいんだ」


「……嫌っス。グラン団長がそういうこと言う時は、決まって悪巧みする時なんス。私を仲間外れにしないで欲しいっス!」


「まあまあ、そう言わないで。……ほら、お小遣いあげるから。向こうのお店でケーキでも食べておいで」


「わーい、ありがとうございますっス! ……って、子供扱いしないで欲しいっス!」


 その後もエリスはしばらくわーきゃーと騒いだが、グランの目が普段と違いとても真剣であることに気がつき、


「ま、仕方ないっス。ちょうどお腹減ってたところっスから、ちょっと休憩してくるっス」


 そう言って、部屋から出て行く。そんなエリスを見送った後、グランは迷うことなく頭を下げた。


「すまなかった、アスベル。僕が勝手なことを言ったせいで、彼女があんなことに……」


「頭を上げてください、グラン団長。貴方に責任はありません」


「だが僕のせいで、彼女は──」


「違うんです。俺はリリィを殺す道を選ばなかった。彼女の隣で生きようと、そう決めたんです。だから、リリィがああなったのはグラン団長とは関係のないことなんです」


 それを聞いて、グランはゆっくりと顔を上げる。アスベルはこんなことで、嘘を言うような奴ではない。グランは安堵するように、小さく息を吐いた。


「僕は魔族の国の要人……キードレッチに、リリアーナのことを聞いた。魔族の国のサキュバスの代表であるイリアスを中心とした派閥が、彼女……神の力を使って何か企んでいると」


「その結果が、あれですか。……正直、あれは個人の力でどうにかできる範疇を超えている。エリスの話では未だに動きはないようですが、あれが本気になれば国がどうとかそういう問題ではなくなるでしょう」


「ああ、最悪この大陸そのものが消えてなくなるかもしれない」


 グランは苦笑いをし、天井を仰ぎ見る。その顔は見るからに疲れている。……きっと彼は他にも何か言いにくいことを抱えているのだろうと、アスベルは推察する。


「騎士団は、どう対応するつもりなのですか? 動きがないからといって、いつまでも放置という訳にもいかないでしょう」


「……さあ? それは僕にも、まだ分からないんだよ」


「いや、貴方は騎士団の……この国を守る組織のトップでしょう? 貴方が分からないでは……いや、上が揉めてるんですね?」


「そ。ギルバルト卿が何やら魔族の国と取引をしているらしくてね。国王陛下直属のロイヤルナイツが動くみたいで、僕らにはずっと待機命令。不貞腐れた僕は仕事をサボって、ハイキングにきたってわけさ」


 苦笑するグランに、アスベルは顔色一つ使えず尋ねる。


「私に何か、伝えたいことがあるのでしょう?」


「どうしてそう思うの?」


「理由なんてありません。ただ貴方は昔から大切な話をする時、決まって疲れた顔をしている。何かあったのでしょう? ……先ほど貴方はサボってきた言いましたが、貴族から何か密命を受けてきたと考えるのが、自然です」


 その言葉を聞いて、グランは笑う。どこかヤケクソな顔で笑って、彼は言う。


「お前、いつからそんな鋭くなったんだよ。……いや、お前は昔から無表情な癖に妙に鋭いところがあったな」


「単なる当てずっぽうですよ。気に入らなければ、笑い飛ばして頂いて構いません」


「笑い飛ばせるようなことなら、こんなところには来てねーよ」


 グランは窓の外に視線を向ける。吹き抜ける心地いい暖かな風。彼はアスベルの方に視線を向けないまま、口を開く。


「お前さ、サキュバスの彼女……リリアーナちゃんを殺さなかったんだろ? それってさ、やっぱり惚れたからか?」


「さっきエリスにも同じようなことを訊かれましたが、人を好きになるという感情が、俺にはまだよく分かりせん。ただ……」


 そこでアスベルは目を瞑り、彼女との日々に想いを馳せる。面倒も多かった。失敗も沢山した。それでも思い出すのは、彼女の楽しそうな笑顔ばかり。


「俺はただ、彼女の側に居たいと思った。彼女の笑顔をずっと側で見ていたいとそう思った。それがたとえ、今まで積み重ねてきた正しさを裏切ることになったとしても……俺は、リリィの側に居たい」


 アスベルはグランを見る。グランは窓の外からアスベルの方に視線を向け、肩から力が抜けるような顔で笑う。


「もし仮に彼女を救う方法があると言ったら、お前はどうする?」


「何をしてでも、遂行します」


「その結果として、お前が彼女の側に居られなくなるとしても、か?」


「それは……」


 アスベルは胸の内に生じた、小さな痛み。しかし彼は、それを些事だと笑い飛ばす。


「例え俺がリリィの側に居られなくなったとしても、あいつがどこかで笑って生きていけるなら、俺はそれで構いません」


「自分が死ぬことになったとしても、か?」


「はい。死が怖いと思ったことは、今まで一度もありません」


 アスベルの答えにグランは泣きそうな顔で頷き、近くの椅子に座る。


「自分が死ぬより、大切な誰かを見送る方が辛い。それは僕にもよく分かる。だから僕が知っていることを、全てお前に話す。そこからどうするかは、お前自身で決めろ、アスベル」


 アスベルは無言で頷きを返し、グランは語った。まるで懺悔でもするかのように鬱々とした表情で、魔族の国……キードレッチと取引した内容を全てアスベルに伝える。


「お前がリリアーナちゃんの見張りをすることになったあの時から、こうなることは決まっていたのかもしれないな」


 冗談めかしたグランの言葉に、アスベルは珍しく苦笑する。運命なんて馬鹿らしい言葉だが、今はそんな言葉も悪くないと。


「魔族の国の奥の手なんて、使う必要もない。なんせ、アスベル。ここには、お前がいる。これは、この世界でお前にしかできないことだ。……あの子を救えるとしたら、それは……お前だけなんだよ」


「ありがとうございます、グラン団長。おかげで、自分がやるべきことが定まりました」


「……死に急ぐなよ? 絶対に死ぬんじゃないぞ? 僕はもう、部下を見送って自分だけ生き残るのは嫌なんだ」


「死にませんよ。俺は鉄面鉄鬼……いや、インポのアスベルですから。神ていどの女に、落とされたりはしません」


「はっ、ならいいさ。……これが、さっき言った僕からの餞別だ。タイミングを間違えればお前が死ぬ。使うかどうかは、自分で決めろ」


 最後にグランは、頑丈な革製の袋をアスベルに手渡す。アスベルは無言で頷き、それを受け取った。


「……待ってろ、リリィ。すぐに迎えに行く」


 アスベルはその皮袋を握りしめ、覚悟を決めた。……もう一度、あの神と向き合う覚悟を。


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