第46話 運命



「くふっ、あはっ、あははははははは! ようやく……ようやく、わたくしたちの悲願に手が届く……!」


 魔族の国の中央にある城の一室。サキュバスの代表であるイリアスは、普段、人には見せないような品のない表情で、声を上げて笑う。


「下劣な人間も、愚鈍なリザードマンも、劣った種族は皆、神の力によって裁かれる! 我々サキュバスが、再びこの世界の王に返り咲く!!」


 イリアスは初めから、コルディア連邦などという国に興味はなかった。勢力を伸ばし続ける人間に対抗する為に作られた、魔族たちの連邦国。皆が平等に手を取り合って自由に生きるというこの国の理念はしかし、イリアスにとって耐え難いものだった。


「品性のないリザードマンやオークなどと毎日顔を合わせるのも、もうしばらくの辛抱。神の力には、誰も抗うことなどできないのだから……!」


 イリアスは酒にでも酔っているかのように、大きな独り言を叫びながら笑う。全てが上手くいっていた。自分の娘がサキュバスクイーンという種族として産まれた瞬間から、こうなることは運命だった。それが分かっていたからこそ、長い苦難の日々を耐えることができた。


「……しかし、神は未だに動いていないという報告が来ている。もう半月以上経過しているというのに……まさかあのピクシー、しくじったのではないでしょうね……」


 リリアーナが物心つく前からかけ続けてきた特殊な魔法。心の模倣。意識の再現。天才的な魔法のセンスがあるイリアスだからこそできた、埒外の魔法。


 幼い子供の身体では、神の力には耐えられない。リリアーナが成長するまで、彼女の力の本質は隠しておかなければならなかった。……あれが神の力そのものではなく、サキュバスクイーンという種族の怨嗟から産まれた呪いだということがバレれば、リリアーナはすぐにでも処刑されてしまっただろう。


 でも、それももう終わった。あれはもう、十分すぎるほど成長した。あとはタイミングを図るだけだったのだが、彼女の心は予想外の方向に成長し、完全に自分のコントロールから離れてしまった。


 リリアーナの2度目の逃亡でそれを悟ったイリアスは、ミミィを使い彼女の封を解いた。できればもう少し、魔族の国と人間の国の両国が疲弊してくれた方が都合がよかったのだが、その程度は誤差だ。


 サキュバス中心の正しい世界が築けるのなら、イリアスはどんなことでもするつもりでいた。……だというのに、神はまだ人間の国に座したまま動かない。


「わたくしの魔法に、ミスがある筈がない。だとしたら……神の意識がまだ、あの子の身体に馴染んでいない?」


 理由は分からない。しかしわざわざ自分が下劣な人間の国に出向くのも、気に入らない。ミミィからの定期報告も、一時を境になくなってしまった。もしかしたら彼女は、人間に捕まってしまったのかもしれない。


「どういつもこいつも、本当に使えない……!」


 彼女が苛立ちに歯を噛み締めていると、コンコンコンとドアをノックする音が響く。


「いきなりすまない。少し話したいことがあるのだが、お時間構わないかな? イリアス代表」


 響いた声は、忌々しいリザードマン……キードレッチのもの。イリアスは小さく舌打ちをしてから、いつもの上品な笑みを顔に貼り付け、言葉を返す。


「構いませんよ。どうぞ、お入りください。キードレッチ代表」


 扉が開き、自分よりも倍近く身体の大きなリザードマンが姿を現す。


「アポイントもなく急に訪ねて申し訳ない。しかしどうしても、緊急でお話ししたいことがありまして……」


「……キードレッチ代表は、お忙しいようですから、それくらいは構いませんよ」


 種族の違う2人は、同じような作り笑いを浮かべる。


「しかし、キードレッチ代表。貴方は先日、また人間の国に足を運んでいたようですね? 議会を通さない勝手な行動。腹を立てている方も、大勢いると聞き及んでいますが?」


「いやはや耳が痛い。どうも私は、昔から考える前に行動してしまう癖があるようで……」


「貴方が規律とルールを重んじる優秀な方なのは、理解しているつもりです。しかしここ最近の行動は、少し奔放が過ぎるかと。次の議会での追及は、避けられないでしょうね」


「なに、きっと皆、分かってくれるでしょう」


 キードレッチは静かに、イリアスの方に近づく。イリアスは無意識に一歩、後ずさる。


「それより、お耳の早いイリアス代表ですから、当然聞き及んでおられるのでしょうが……リリアーナ嬢の件。大変なことになっているようですね?」


「……どうやらそのようですね。まさかこのタイミングで神の力が宿るとは、想像もしていませんでした。……でもまあしかし、人間の国での暴走というのが不幸中の幸いでしょう。何かあっても、我が国が被害を被ることはないのですから」


「しかし、人間たちからの非難は避けられないでしょう」


「そんなもの、放っておけばよいのです。どうせいずれ、攻め滅ぼす国。寧ろ今が、そのチャンスなのではないですか?」


 イリアスは人間が嫌いだった。というより、人間に良い感情を抱いている魔族は少ない。特に一部のサキュバスやドワーフは、人間たちに奴隷にされていた過去がある。


 ……無論、サキュバスやドワーフに奴隷にされていた人間がいるのもまた事実ではあるが、だからといって許せるようなことではない。イリアスもキードレッチも、本心では人間なぞ皆殺しにしてしまいたかった。


「……だが、それでは何も変わらない」


「……え?」


 キードレッチの呟きに、振り返るイリアス。キードレッチは顔色一つ変えず、言った。


「人間を滅ぼせば、次はこの国で内紛が起こる。そして、そうこうしているうちに別の種族に外から攻められ、また戦争となる。……我々もいい加減、学ぶべきでしょう? 誰かが我慢しなければ、次の世代の平和は訪れないということを」


「キードレッチ代表? 貴方は何を……」


「自分の娘を道具に使ったお前のやり方は、反吐が出ると言っているのだ! クソババァ!!」


「……っ!」


 キードレッチは叫ぶ。イリアスは殺されると瞬時に悟り魔法を発動しようとするが、間に合わない。キードレッチの大きな口が、彼女の喉を噛みちぎる。


「……こ、この、わたくしが……こんな……ところで……」


 赤い血が、リザードマンの大きな口から滴り落ちる。イリアスは怒りと恐怖がないまぜになった表情で、冷たい床に倒れ伏した。


 そうして、全ての黒幕である女は、呆気なく絶命した。


「……さて、あとは向こうが上手くやってくれるとよいのですが……。何せ相手は神。人間の国が滅びた後のことも、しっかりと考えておかなければ……」


 キードレッチはハンカチで口元の血を拭い、いつも紳士的な表情で笑った。


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