第5話 定期報告
「それで? お姫様の様子はどうなのかな? アスベル」
訓練の声も届かない静かな執務室。定期報告にやってきたアスベルに、騎士団の団長であるグランはそう声をかける。
「特にこれといって、異常はありません」
アスベルは普段通りの淡々とした声で、言葉を返す。
「異常なし、か。アスベル、やっぱり君に任せてよかったよ。君以外の奴なら、今頃とっくに籠絡されていただろう」
「……ですかね。私はそういうのに疎いので、よく分かりませんが」
「流石はインポのアスベル……って、ごめんごめん。睨まないでよ、冗談だから」
グランは伸びてきた無精髭を撫で、言葉を続ける。
「でも、自分のことなのに分からないというのは、実に君らしい言葉だよ。一通りの報告は既に聞かせてもらったが、君の所感はどうだい? 彼女はやはり、美人なのかな?」
「だとは思いますよ。ただ、傾国の魔女というのは、いささか大袈裟ではないかと。彼女に、一国をどうにかできるような力があるとは思えません」
「君が思っているほど、貴族様も国王陛下も賢くはないんだよ。人間として産まれてしまった以上、その内には必ず本能というものが存在する。いくら理性で抑えても、完全にコントロールすることはできない。魔が差すというやつだね。そして彼女は、その魔そのものなんだよ」
「…………」
言われてアスベルは、リリアーナのことを思い出す。しかし彼には、グランの言う魔が差すという感覚が分からない。
「できれば僕も、一目見てみたいと思ってるんだけどね。噂に名高いサキュバスが、どれ程のものなのか」
「別に、それくらいなら構わないでしょう」
「いやいや、僕ってば昔から女性には弱いから。様子なんて見に行った日には、すぐに籠絡されて有り金渡して鍵まで開けちゃうよ」
「そういえば団長、飲み屋への借金は返されたのですか? 前に店の娘が、屋敷をうろついていたようですが……」
「さて、僕のことより君のことだ」
強引に話を切り替えるグラン。いつものことなので、アスベルは何も言わず黙って上官の顔を見つめる。
「予定通り明日の朝に、魔族の国……コルディア連邦との会談が行われる。上の方々がどういう風に話をまとめる気なのか、末端である我々の知るところではない。が、それでも予定通りにことが運べば、そこで彼女の引き渡しが決まる筈だ」
「余計な条件をふっかけて、また揉めるようなことになるのは御免ですね」
「この前……って言っても、もう2年か。2年前にようやく友好条約を結んだばかりなのに、また戦争になるのは僕も嫌だね。まあでも、こればっかりはどうにも。所詮、僕らは末端だ」
「…………」
アスベルは何も言わない。グランは言葉を続ける。
「ま、流石にそんな馬鹿なことにはならないと思うけど、話が決裂する可能性は十分にある。……僕の言いたいこと、君なら分かるよね? アスベル」
「魔族の国が彼女を奪還する為に、刺客を送ってくるかもしれない」
「そ。君ならまあ、心配はいらないだろうけど。ただできればあまり、派手な真似はしないで欲しい。彼女の処遇も含めて、僕もいろいろと上に掛け合ってるところだから」
「…………」
アスベルは戦場で手柄をあげ、今の地位まで出世した。対してグランは、貴族の血縁というだけで団長に任命された。そんな彼を疎ましく思っている人間も、少なくはない。
しかしアスベルは、彼のことを信用していた。グランの先を見据える力は、戦うことしかできないアスベルとは比較にならない。
「ま、とにかく引き続き任務を頼むよ? ……ちょっとくらいなら、オイタをしてもいいからさ」
「飲み屋でそんな風に声をかけてきた女性に騙され、借金まで作っている上官がいるので、ほどほどにしておきます」
「ははっ、相変わらず手厳しいね。じゃ……あ、そうだ。戻る前に、エリスくんのところに顔を出してあげて。彼女……君に余計な仕事を押し付けたーって、毎朝僕のところに文句を言いくるんだ」
「分かりました。私の方から強く言っておきます」
「じゃなくて。少し構ってあげて欲しいんだよ。彼女、君の大ファンだからね」
「……分かりました」
手を振るグランに頭を下げて、そのまま執務室から出ていくアスベル。……いや、彼はドアノブに触れる直前で足を止め、振り返り言う。
「1つ聞き忘れていましたが、団長」
「何かな?」
「サキュバスクイーンという種族について、いろいろ調べていたのですが、あれが……繋がっているというのは本当ですか?」
「……どうかな。僕もその辺の事情は詳しくない。でも仮にそれが本当なら、魔族の国でも最重要機密だ。そう簡単に漏れてくることはないだろう」
「…………」
「そんな顔しなくても、大丈夫。何か分かれば、すぐに報告する。だから君は余計なことは考えず、今の任務に集中すること。分かった?」
「分かっています。それでは、失礼します」
そのまま部屋を出るアスベル。
「世界一のサキュバスならもしかしてと思ったけど、やっぱ無理か……」
というグラン言葉は、アスベルの耳には届かなかった。
◇
「さて、エリスのことだから……あそこか」
小さく呟き、静かな廊下を歩くアスベル。できればすぐにでも仕事に戻りたいと思っていたが、上官からの命令では逆らえない。アスベルはいつもの無表情のまま、訓練所に向かう。
「あー、先輩! ようやく任務が終わったんスね! お疲れ様っス!」
しかしその途中、赤毛の元気な少女が抱きつくような勢いで姿を現す。エリス・ミスティア。アスベルが師団長を務める第三師団の直属の部下。
騎士団内でも怖がられているアスベルを慕う唯一の部下が、リリアーナとは違う人の警戒心を解くような表情で笑う。
「久しぶりだな、エリス。仕事の方は滞りないか?」
「もちろんっスよ! アスベル先輩の留守を任されてるんスから、少しの手抜かりもないっス!」
「そうか。では引き続き、その調子で頼む」
「って、どこに行くんスか! もう任務は終わったんスよね?」
「いや、残念ながらまだしばらくかかりそうだ」
「えぇ、そうなんスか?」
「ああ。団長から、詳しい話は聞いているのだろう? 少なくともあと一月近くは戻れそうもない。今日のような定期報告も、今後はできる限りは控えるつもりだ。誰がいつ、狙ってくるとも限らんからな」
流石にアスベルもたった1人で四六時中、リリアーナを見張り続けることはできない。しかしだからといって、交代の人間を用意するのも難しい。
あのサキュバスの魅了は、男女関係なく人の心を操る。なんだかんだ言いながら、この任務の適任は自分以外にはいないと、アスベルはそう自覚していた。
「えー。じゃあやっぱり、まだしばらくは帰って来れないんスね。先輩いないと、張り合いなくてつまんないんスよー」
「俺の留守で迷惑をかけているのは分かってる。だが、こちらも上官命令だからな。なんの理由もなく、逆らうことはできない」
「それは、分かってるっスけどね……」
癖っ毛な赤い髪を指に絡ませ、拗ねたような顔をするエリス。このまま、またグランのところに文句を言いに行かれたら面倒だなと思ったアスベルは、エリスの頭に軽く手を置いて言う。
「そう拗ねるな。任務が終われば何か奢ってやる。だからもうしばらく、俺の留守を頼む。任せられるのは、お前だけだ」
「……! 先輩がそこまで言うなら、仕方ないっスね! もうしばらく、先輩の留守を任されてあげるっス! もうほんと、先輩は罪な男っス! 私がいないと駄目だなんて、先輩はほんと正直ものなんだから!」
「いや、俺はそこまで言ってな──」
「じゃ、私は訓練に戻るっス! 先輩も変なサキュバスに誑かされたら駄目っスからねー!」
それだけ言って、凄い速さで立ち去るエリス。彼女はあれで腕が立ち、アスベルとは違い周りからも好かれている。
「あとはもう少し、落ち着きがあるといいんだがな……」
そう呟き、期待の新人の後ろ姿が完全に見えなくなるのを待ってから、リリアーナが待ついつもの牢屋に向かうアスベル。
「あ、そうだ。先輩、伝えるの忘れてたっス」
背後から響く声。アスベルは呆れたように振り返る。けれどどうしてか、エリスの雰囲気がさっきまでとは違う。どこか落ち込んでいるような、弱りきった子猫のような顔。
「何かあったのか?」
というアスベルの問いに、告げられるエリスの言葉。
「────」
その言葉にアスベルは珍しく、ほんの少しだけ、動揺を見せた。
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