第6話 小さな少女



 アスベルが定期報告で騎士団本部へ戻っていた頃。リリアーナはベッドに寝転がり、アスベルが持ってきた本を退屈しのぎにダラダラと読んでいた。


「リリアーナ様、ご無事ですか!」


 そんな時、換気用の小さな窓の外から声が響く。


「……もしかして、ミミィ? 待って、今開けるから」


 リリアーナは本を置いて立ち上がり、背伸びをしてなんとか小さな窓を開ける。するとそこから、手のひらにすっぽり収まるような小さな緑髪の少女──ピクシーのミミィが、姿を現す。


「お久しぶりでございます、リリアーナ様」


「久しぶりね、ミミィ。元気してた?」


「もちろんでございます」


「そ、ならよかった。……でも、どうして貴女がここにいるの? 今は人間の国……特にこのヴァレオン王国は、魔族の出入りに制限をかけているでしょう?」


「そんなの、決まっているではないですか。リリアーナ様が人間どもに捕まったと聞いて、急いで駆けつけたのです!」


 ミミィは綺麗な純白の翼をはためかせ、真っ直ぐにリリアーナを見る。


「人間ども、許せません! 友好条約なんて適当なことを言って、リリアーナ様をこんな狭い場所に閉じ込めるなんて……! でも、大丈夫です。今すぐ私が鍵を開けますから、2人で逃げましょう!」


「あー、それなんだけど。ここの見張りをしてる人間が変な奴で、なかなか難しいのよね」


「大丈夫です! 私の魔法を使えば、こんなチンケな鍵、簡単に壊せちゃいます!」


 ミミィは小さな翼で飛び上がり、牢屋の鍵穴の前まで移動する。


「アペリオ!」


 淡い紫色の光が鍵穴に吸い込まれていく。どんな鍵でも開けてしまう、ピクシーに伝わる魔法。ミミィは魔族の中でも随一の魔法使いであり、彼女に開けられない鍵なんて……。


「……開いてないわよ? ミミィ」


 何度か鉄格子を引っ張り、鍵が開いていないことを示すリリアーナ。


「……おかしいですね。もう一度、試してみます。……アペリオ!」


 と、再度、魔法を発動するが、やはり鍵は開かない。


「人間の技術も進歩してるってことよ。あたし、しばらくいろんな国を遊び回ってたから知ってるけど、人間たちの進歩の早さは凄いわ。特にこの国は、魔法への対策に抜かりがない」


「そ、そんな……。ではまさか、姫様はこのまま人間たちの見せ物にされ続けるのですか……?」


「そんなことにはならないわ。見張りの人間の話だと、あと一月もしない内に、あたしはあの辛気臭い国に送り返されるらしいわ。……というか、姫様って呼び方は辞めてって、前に言ったでしょ?」


「……すみません。リリアーナ様」


 露骨に落ち込むミミィ。リリアーナはベッドに腰掛け、長い脚を組む。木製のベッドが、みしっと軋んだ音を立てる。


「正直に言うとね、ミミィ。あたし、あの国に帰りたくないのよ。あそこって辛気臭いし、料理も美味しくないでしょ?」


「それでも、イリアス様がリリアーナ様のことを心配しておられます」


「……あいつのあれは、心配なんかじゃないわ。そもそも、あたしももう子供じゃないんだし、好きにさせて欲しい」


「ですが、そうやって好きになされた結果が、今のこの状況なのではないですか?」


「…………それは、そうだけどさ」


 痛いところを突かれたリリアーナは、逃げるように鉄格子の外に視線を逃す。無表情で無感動な見張り役の男。彼の姿はまだない。


「でも、大丈夫よ。あたしはあたしだけ力で、生きていける。今だって見張り役の男を誑かしてる最中なの。そう遠くないうちに、ここから抜け出してみせるわ」


「さ、さすがです、リリアーナ様」


「そ。あたしは凄いのよ。傾国の魔女。サキュバスの中のサキュバス。リリアーナ・リーチェ・リーデン。あたしに不可能はない。あたしはいつだって、あたしのやりたいように生きる」


「……リリアーナ様のお考えは立派だと思います。ですが、リリアーナ様には立場が……」


 テーブルの上に乗って、言いにくそうに視線を下げるミミィ。そんな彼女を、リリアーナは冷めた目で見つめる。


「そういうのが1番ウザいのよ。あたしが産まれとか力に縛られるのが嫌いなの、貴女も知ってるでしょ?」


「……では、リリアーナ様。しばらくは私も、ここで生活させて頂きます。リリアーナ様だけを、こんな狭い牢屋に閉じ込めておく訳にはいきません」


「駄目よ。ここの見張り役、めちゃくちゃ勘が鋭い奴なの。きっとすぐに気づかれるわ」


「で、ですが……」


「あたしは大丈夫よ。この程度の状況、1人でどうにかしてみせる。……上手くここから出られたら連絡するから、貴女はそれまで適当に街でも観光してなさい」


 どこか突き放すような冷たい言葉。ミミィはしばらく黙ってリリアーナを見つめ続けるが、リリアーナはそれ以上なにも言わない。


「……分かりました」


 ミミィは諦めたように息を吐き、翼をはためかせ宙に浮かぶ。


「では私もしばらくこの街に潜伏し、少しでもリリアーナ様のお役に立てるよう情報を集めます。……何かあればすぐに駆けつけますので、有事の際はいつものやり方でお呼びください。では……」


 それだけ言って、ミミィは来た時と同じように小さな窓から外に出ていく。


「……ねぇ、ミミィ」


 その途中、ミミィの方に視線を向けないまま、リリアーナは言う。


「…………心配して駆けつけてくれたのは、嬉しかった。ありがと」


「いえ、当然のことをしたまでです。なんせ私とリリアーナ様は、友達なのですから」


 ミミィは最後に華やかな笑みを浮かべて、そのまま窓から出ていく。リリアーナはベッドに寝転り、今後のことを考える。


「……あと一月で、あの男を落とす」


 当初はもっと簡単にいくと思っていたが、どうやらあの男は今までの男たちとは違うようだ。強靭な意志というよりは、まるで本能というものが抜け落ちているような人間。流石のリリアーナも、意志のない人形を誑かすことはできない。


「でもあたしには、これがある……」


 リリアーナはベッドに寝転がったまま、右手の人差しにはめられた指輪を見つめる。……彼女には奥の手があった。たとえ相手が人形でも、力づくで言うことを聞かせられる奥の手が。


「大人しくしているようだな」


 そこでアスベルが姿を現す。いつも通りの色のない目。リリアーナは覚悟を決めるように手をぎゅっと握りしめ、指輪を外そうとする。



 けれど、それを遮るようにアスベルは言った。



「サキュバス、お前に1つ頼みがある」



 普段とは少し雰囲気の違うアスベル。そんなアスベルの姿を見て何かを感じ取ったリリアーナは、指輪から手を離しニヤリと口元を歪めた。


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