第34話 二度目の逃避行



「はぁ……はぁ……。ちょっと、休憩……」


 断頭台から飛び去り、追手も見えなくなった山道で地面に降りたリリアーナは、両膝に手を置いて肩で息をする。


「やはり、体力がないのは変わらないようだな」


 アスベルは周囲を警戒しながら、軽く息を吐く。


「あんたが重いのが悪いのよ。あんたみたいなのを抱えて、長いこと飛んでられないっての。……しばらく牢屋に閉じ込められてたって聞いたのに、あんたちょっと重くなってるんじゃない?」


「昔から、食べようが動こうが体型は変わらない性質だ。一月程度、引きこもったところで俺の体重は変わらない」


「なにその羨ましい体質。あんたほんと、人間離れしてるわね……」


「どうやら俺は、人間じゃないらしいからな」


「そ。どうでもいいわ」


 リリアーナは呆れたように息を吐いて、擬態の魔法を使い翼とツノを隠す。


「なんだ、翼は隠すのか?」


「下手に飛び回ると疲れるし、何より目立つでしょ?」


「……そうだな。賢明な判断だ」


 アスベルは周囲に誰もいないのを確認してから、ようやく少し肩から力を抜く。


「それで、これからどうするつもりだ? 国境の警備は、以前よりはるかに厳しくなっている筈だ。潜伏するにも、お前は目立ち過ぎる。見つかって捕まるのは、時間の問題だ」


「ほんと、どうしようかしらね。実は勢いで来ちゃったから、何も考えてないのよ。……そもそもかなり無理しちゃったし、魔族の国にはもう帰れないかもね」


 なんてことないように、リリアーナは笑う。アスベルは呆れたように、目を細める。


「やはりお前は、もう少しあと先考えて行動するべきだな」


「あと先考えた結果が、大人しく死を受け入れるなんてことになるあんたに、そんなこと言われる筋合いはないわ」


「いや、俺はただ……」


 アスベルは反論の言葉を口にしようとするが、途中で飲み込む。こうして彼女と一緒に逃げ出してしまった以上、何を言っても言い訳にしかならない。


「なによ、黙り込んで。……やっぱり怒ってる? あたし、勝手なことしたから……」


「いや、お前を拒絶することはできた。死のうと思えば、あの場で自分の首を斬り落とすことも俺にはできた。なのに俺は、お前の手を取った。そんな俺に……お前を責める資格などないさ」


「…………そ。ならいいのよ」


 少しの間、なんとも言えない空気が辺りに広がる。暑くもなく寒くない、木々に囲まれた山中。心地いい風が、2人の間を吹き抜ける。


「ま、だから俺も生きたいように生きてみるさ。まだ先は何も見えないが、生きていれば何か見えてくるかもしれないからな」


「そうするといいわ。あんたは何でも、即断即決過ぎるのよ。あんたはもう少し、自分が傷つくことで誰かが傷つくこともあるってことを、学ぶべきよ」


「耳が痛いな。きっと今は、お前が言うことの方が正しいのだろう」


 アスベルはいつもの無表情で頷く。リリアーナは、この男ほんとに分かってるの? と苦笑する。


「では、この礼はいつか必ずする。……お前も、あまり無茶ばかりするなよ?」


 それだけ言って、1人で勝手に歩き出そうとするアスベル。そんなアスベルを、リリアーナは慌てて止める。


「ちょいちょい! 待ちなさいよ! あんたなに勝手に、1人でどっか行こうとしてるのよ!」


「……? これ以上、俺と来る意味はないだろう?」


「いや……は? あんた、なに言ってるの?」


「いや、リリィ。お前は自由に生きたいのだろう? やりたいことを、やりたいようにして生きる。俺にはまだその生き方の価値は分からないが、それでも俺はそんな風に生きるお前が……嫌いではない」


「……それがどうして、1人で行くことになるのよ?」


「この国で俺はもう、お尋ね者だ。俺が魔族だという噂も流れている。しばらくは、人前に出るような生活はできない。だから今後はしばらく、どこか人も魔族も寄りつかないような山奥に潜伏し、今後のことを考え直してみるつもりだ」


 アスベルの声は、やはり淡々としている。リリアーナはこの男の鈍感さに、段々と腹が立ってくる。


「……行く場所がないのは、あたしも同じだけど?」


「お前は……お前なら、またいくらでも貴族を騙して潜伏できるだろう? 俺を匿ってくれるような貴族なんていないが、お前なら匿うという男は腐るほど──」


「てい!」


 そこでリリアーナは、アスベルの頭を叩く。


「なんだ? 虫でもいたか?」


「ちゃうわ! ……あんたね、ほんと……鈍いとかそういう次元じゃない。『虫でもいたか?』じゃないわよ、ほんと」


 リリアーナは呆れたように息を吐いて、アスベルを見る。


 180cmを超える高い身長。艶やかな黒髪に、同じく漆黒の瞳。この前の戦いでついた傷は既にもう治っており、長いあいだ牢屋に閉じ込められていたとは思えないほど、肌も綺麗だ。


 ……悪くない。寧ろここまでのは、魔族にも人間にも中々いないだろう。きっとこの前の宿屋の主人のように、或いは止めにきた騎士団の少女のように。彼の鈍感さに苦しめられてきた女性は、数多くいるのだろう。


「ま、それでも、それを全部帳消しにするくらい、性格がぶっ飛んでるんだけど」


 ほんと、こんな男の何がいいのだろう? と、リリアーナはアスベルの顔を覗き込む。


 確かに、悪い男ではないのは分かる。しかしそれでも、自分ならもっともっといい男を捕まえられる。それこそ本気になれば、国王にだってみそめられる自信がある。


「……でもまあ、仕方ないじゃない。惚れちゃったんだから」


「……ん? 何か言ったか?」


「山奥の暮らしも、偶には悪くないんじゃないのって言ったの! ……星とか綺麗そうだし。日がな一日、本でも読みながらのんびり釣りっていうのも、悪くないかもね」


「……? お前は、何を……」


「だ、か、ら! あたしもついて行くって言ってるの! ……いいでしょ? どうせ、あんたみたいな奴が1人でごちゃごちゃ悩んでも、大した答えなんて出せないんだし。だからあたしが、付き合ってあげるわ!」


 うっすらと頬を赤くして、怒ったような顔でアスベルを睨むリリアーナ。それでもアスベルは、本気で分からないと言うように首を傾げる。


「俺と来ても、退屈なだけだぞ?」


「大丈夫。あんたと旅をして、退屈した時なんて一度もなかったから」


「だが、俺は──」


「あーもう、しつこい! 行くって言ったら、行くの! ……あたしは傾国の魔女。サキュバスの中のサキュバス。リリアーナ・リーチェ・リーデンよ? これ以上、あたしに恥をかかせるような真似をさせないで!」


 背伸びをして、くしゃくしゃとアスベルの髪を無茶苦茶にするリリアーナ。アスベルにはやはり、そんな彼女の気持ちが分からない。


「……やはり、敵わないな」


 しかしそれでも、そんな彼女を見ていると、胸が軽くなるのは確かだった。


「分かった。なら、一緒に来るか? リリィ」


 乱暴に撫でられたせいでボサボサになった髪を直しながら、アスベルはリリアーナを見る。


「だから、行くって言ってるじゃない。せいぜいあたしを楽しませてよね? アスベル」


 そんなアスベルを見て、リリアーナは笑った。その笑みは普段の彼女の笑みとは違う、どこにでもいるただの少女のような笑みだった。


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