第33話 策略



「た、大変っス! グラン団長!」


 そんな声を響かせながら、執務室で書類を睨みつけているグランのところに、エリスがやってくる。上官への礼儀も何もあったものじゃない部下を前に、グランは大きく息を吐く。


「そんな慌てなくても、知ってるよ。処刑の最中にサキュバス……リリアーナちゃんが乱入してきて、アスベルに逃げられたんだろ?」


「な、なんだ……知ってたんスか」


 エリスは乱れた息を整えて、グランを見る。


「当たり前だ。部下が処刑されるってのに部屋でボケーっとしてるほど、僕は間抜けじゃないよ」


「それは、そうっスよね……あはは」


 エリスは誤魔化すように、視線を逸らす。


「それで、どうするんスか? ……先輩、私があれだけ説得しても首を縦に振らなかったのに、あんなサキュバスと逃げ出して……」


「ははっ、やっぱり女の子としてプライドが傷つく?」


「そんなんじゃないっス!」


「ま、相手は世界一の美女だ。比べる相手が悪い。そう落ち込むな。エリスくんも、十分魅力的だよ」


「だから、そんなんじゃないっス!」


 エリスはグランの机をドンっと叩いて、言葉を続ける。


「またサキュバスにしてやられて、先輩にも逃げられて……。このままだと、騎士団はただの恥晒しっス!」


「それは確かにそうかもしれない。けど君も、アスベルが処刑されるのは嫌だろ?」


「それは当然っス。……最悪、私はあの処刑人を殺してでも先輩を連れ去るつもりだった。なのに、誰かさんが私を警備から外した所為で、こんなことに……」


「ははっ、悪かったよ。……ただまあ、あそこは彼女じゃないと駄目だった。僕もいくつか危ない橋を渡ったんだ。下手な邪魔はされたくない」


「……それってもしかして、グラン団長があのサキュバスをけしかけたんスか?」


 驚いたように目を見開くエリスに、グランは小さな笑みを返す。


「けしかけたっていうのは、語弊があるな。彼女は無論、彼女の意志でこの国に来た。でもまあ流石に、あの子1人で警備を掻い潜って、この国に入るのは無理だ。いくら世界一のサキュバスで空を飛べると言っても、僕らも馬鹿じゃない。対策はいくらでも用意している」


「……でも、グラン団長。そんなことしてバレたら、クビじゃ済まないっスよ?」


「分かってるよ。バレたら最悪、僕のクビが飛ぶ。言葉通りの意味で、ね」


 そこでどうしてか、グランは笑う。まるで悪戯前の子供のような顔で頬を緩め、グランは言う。


「ただね、エリスくん。自慢じゃないけど僕は、子供の頃から悪戯がバレたことは一度もないんだよ。だから今回もきっと、上手くいくさ」


「いやいや、あたしにバラしちゃってるじゃないっスか……」


「ははっ、これで君も僕と共犯だ」


「勝手に巻き込まないで、欲しいっス!」


 リリアーナの入国に関して、グランはと取引し、魔族の国から彼女が逃げ出せるよう手を回した。この国の貴族が一枚岩ではないように、魔族の国もいろんな勢力が対立している。グランはそこにつけこんだ。


 彼女が人間の国で死んでくれるなら、その方が都合がいい。そう考える魔族も少なからずいる。アスベルという異常が、いろんな目的の末、処刑されそうになったように。リリアーナもまた、いろんな目的の末、見逃されたに過ぎない。


「だからまあ、僕としては彼らにはこのままどこかに雲隠れして欲しいんだけど……」


 グランはそこで、先ほど見ていた1枚の書類に視線を向ける。その書類に書かれた情報が公になれば、今のこの状況全てが覆ってしまうだろう。……でもだからこそ、その情報を握っている限り、貴族も魔族もグラン……騎士団には手を出せない。


「その……1つ、訊いてもいいっスか?」


 考え込んでしまったグランに、エリスが尋ねる。


「なに? 残念ながら僕の好みは、歳上だよ?」


「そんなどうでもいいことは、訊いてないっス! ……じゃなくて、どうしてグラン団長はそこまでアスベル先輩に肩入れするんスか? その……言っちゃあれっスけど、団長にとって先輩はただの部下の1人っスよね?」


「それを言うなら、君だってそうだよね?」


「私は……! ……私は、助けてもらったから……」


 グランから距離を取り、窓の外に視線を向けるエリス。雲一つない綺麗な青空。アスベルは今もこの青空を、あのサキュバスと一緒に泳いでいるのだうか?


「…………」


 嬉しいのか悲しいのかよく分からない感情が、エリスの胸を締めつける。エリスは肩に入った力を抜いて、言った。


「あの人が……アスベル先輩が、あたしを助けてくれた。あの人が自分の正しさを信じて戦ってくれたお陰で、私は今もこうして生きてられるんス」


 決して忘れることのできない、あの血に濡れた赤い剣。助けてと叫ぶ自分をいたぶるように傷つけ、笑っていた魔族たち。アスベルはそんな魔族を、ものの一刀で倒してみせた。


 まだ子供だった自分には、そんなアスベルが王子様のように見えた。……いや、今だってそう見える。強くて、真っ直ぐで、決して折れない憧れの人。自分はあんな風には生きられないけど、でもだからこそあの人の力になりたいと思った。


「乙女な顔してるねー、エリスくん」


「うるさいっス! ……で? 団長の方はどうしてそんなに、アスベル先輩に肩入れするんスか?」


 エリスの問いに、グランは小さく息を吐く。


「だから別に僕は、肩入れなんてしてないよ。……ただあいつ、ほっとくと危なっかしくて見てられないだろ? だから仕方なく、世話を焼いてやってるんだよ」


「それだけっスか? 本当はアスベル先輩に惚れてるとか、そういうのはないっスよね?」


「……君ね。冗談にもなってないこと、言わないで欲しいな」


 呆れたように息を吐いて、グランは続ける。


「僕にとってあいつは、出来の悪い弟みたいなものなんだよ。だからつい、構っちまう。……それだけだよ」


 露骨に誤魔化しているような言葉。それでもグランがそう言い切るなら、部下であるエリスが深掘りする訳には──。


「いや、どう考えても嘘っスよね? グラン団長は甘やかされて育った末っ子タイプっス。弟の面倒を見るとかそんなのは、キャラじゃないっス」


「お前な……。上官がいい感じに誤魔化してんだから、あんま深掘りするんじゃねーよ」


 グランは笑う。アスベルが今まで戦ってこれたのは、この真っ直ぐな少女が側に居てくれたからもしれない、と。


「ま、とりあえずエリスくんは、アスベルの捜索隊に合流してくれ。ある程度、自由に動けるよう根回ししておいたから、駆け落ちしたいなら好きにしていいよ」


「そんなことはしないっス」


「でも、アスベルがいない騎士団に執着する理由もないだろ?」


「それはそうっスけど……。でも団長はこれから、どうするんスか? 流石にこうも逃げられてばかりだと、いろいろ怒られたりするんじゃないっスか?」


「いいんだよ、上官は怒られるのが仕事だから。だから君も、生意気にこっちの心配してないで、ガキはガキらしくやりたいことをやればいい。尻拭いは僕の得意技だから、こっちを気にする必要はない」


 しっしっと手を振って、エリスを部屋から追い出すグラン。エリスは不服そうに部屋から出ていき、グランはタバコに火をつける。そして彼はそのまま、机の上に置かれた先程とは違う別の書類を睨みつける。


「……どうも最近は、タバコが不味くて仕方ない」


 自分の判断は、或いは最初から全て間違っていたのかもしれない。リリアーナの監視と警護をアスベルに任せたこと自体が、大きなミスだった。


 そんな考えが、グランの頭を過ぎる。


「くそっ。なんでこう、上手くいったと思った矢先に別の問題が起こるんだよ……」


 グランは珍しく感情的に、思い切り机を叩いた。


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