第32話 心の在りか
「ネックレスが壊れちゃったから、新しいのを探しにきたの。……付き合ってくれるわよね? アスベル」
現れたのは今、絶対にこの場に来る筈のない少女。あんなに苦労してようやく国に帰った筈のサキュバスが、またいつものバカみたいな笑みを浮かべ、アスベルを見る。
「ま、魔族の襲撃だ!!」
突如として、空から舞い降りたサキュバス。その姿は人間の国で活動していた時とは違い、禍々しい角と大きな翼が露わになっている。擬態の魔法を使わない本来の彼女の姿を見て、集まった民衆に動揺が走る。
逃げ出す者。取り乱す者。或いは彼女の美しさに、見惚れる者。騒ぎは一瞬で広がり、アスベルの監視を務めていた騎士団の人間が剣を抜き駆け出す。
「こんな場所にのこのこ現れるとは、本当に馬鹿な女だ。ひっとらえて、2人まとめて斬首してやる!」
「油断するな! 国境を警備している人間は、こいつら2人に全滅させられたって話だ。余計なことは考えず、殺すつもりで捉えろ!!」
騎士団の人間が、リリアーナに迫る。大した戦闘能力を持たない彼女では、彼らを止めることはできない。このままだとアスベルだけではなくリリアーナまで、処刑されることになってしまう。
「くそっ! なんなんだ、お前は……!」
そんな事態を前に、アスベルは強引に手枷を壊し、迫る騎士団員を殴り飛ばす。
「ぐっ……! な、なんだこの力は! ば、化け物……!」
「怯むな! 数で囲めばどうにでもなる。……くそっ、これだから戦争も知らないガキはっ!」
暴れるアスベルを誰も止めることはできない。時間が経つ毎に騒ぎは広がり、騎士団から応援の人間が駆けつけてくる。
「……っ! 道を開けなさい! ぐっ……このまだと奴らに逃げられる!!」
しかし、見物に集まった民衆が暴れ回るせいで、誰も断頭台に近づくことができない。その隙にアスベルは処刑人もろとも騎士団の人間を殴り飛ばし、今、断頭台の近くにいるのはアスベルとリリアーナの2人だけ。
「あー、くそっ!」
苛立ちをぶつけるように、アスベルは断頭台を蹴り飛ばす。100年以上も罪人の首を切り落としてきた断罪の象徴。それは、いとも容易く壊れてしまう。
「どうして戻ってきた! お前、自分の立場を分かってないのか!!」
アスベルは珍しく感情を露わにし、リリアーナを睨む。
「どうしてって、それはもう言ったでしょ? あのお婆ちゃんから貰ったネックレス。気に入ってたのに、壊れちゃったのよ。だから、新しいのを──」
「ふざけるな!」
リリアーナの言葉を途中で遮り、アスベルは叫ぶ。
「前回、上手く逃げられたのは偶々だ! 今度も都合よく逃してやれるとは限らない! あの時とは情勢が違うんだ! お前は毎度毎度、考えなしに馬鹿なことばかり──」
「うるさい!」
我慢ならないと言うように、今度はリリアーナが叫ぶ。
「馬鹿はあんたの方でしょ! 手枷、簡単に壊せるじゃない! 見張りの人間も簡単に倒せるじゃない! あんたまだまだ、いくらでも自由に生きられるじゃない! なのに……なのに、なんで! 勝手に諦めて死のうとしてるのよ! 馬鹿じゃないの!」
「──っ。それは……俺がここで逃げたら、また大勢の人間に迷惑をかけることになる。俺の代わりに……他の誰かが、処刑されることになるかもしれない。それは……それは、俺の信じる正しさに反する」
「それであんたは、諦めて死ぬの? ほんとあんたって馬鹿。できることもやりたいこともいっぱいある癖に、悟った顔で全部、諦めて……。それがあんたの信じる正しさなの? それに一体、何の意味があるって言うのよ!!」
「違う! 俺は──」
「違わない! あんたはただの、臆病者よ! 何が鉄面鉄鬼よ! あんたはただ、生きることから逃げてるだけの臆病者じゃない!!」
「──っ」
アスベルは動揺するように、後ずさる。
よく見るとリリアーナの身体には、多数の切り傷がある。顔色も良くないし、服も身体も汚れている。リリアーナもここまで来るのに、多くの苦難を乗り越えてきたのだろう。
……何の為に?
アスベルは痛みを耐えるように、手をぎゅっと握りしめる。その意味から目を逸らせるほど、彼は鈍感にも馬鹿にもなれない。
アスベルは思考を落ち着けるように息を吐き、真っ直ぐにリリアーナを見る。
「逃げろ、リリィ。この場は俺がどうにかする。だからお前は国に帰れ」
「……あんた、まだそんなこと言ってあたしは──」
「違う、そうじゃない。ただ俺には……ないんだ」
アスベルは視線を下げる。思い出すのは、先日の貴族との邂逅。
「俺はお前に助けられるほど、価値のある男じゃない。そもそもアスベル・カーンという人間は、とっくの昔に……死んでいるんだ」
「……それ、どういう意味よ?」
リリアーナは意味が分からないと、眉をひそめる。アスベルはあくまで淡々と、言葉を続ける。
「言葉通りの意味だ。俺は……俺は、とある貴族が魔族に対抗する為に秘密裏に造った実験体なんだ。人間でも魔族でもない。……ただの、人形なんだよ」
「──っ。それ、ほんとなの?」
「こんな嘘をついてどうする?」
自嘲するようにアスベルは笑う。
アスベル・カーンという男の正体。それは死体を元に造られた、魔族に対抗する為の人為的な人間。
魔族との戦争中にその研究は進められ、けれど研究の途中で魔族の襲撃に遭い、研究施設ごと全て燃やされてしまった。研究を主導していた貴族もろとも、研究に携わっていた人間は全て殺された。
……たった1人の例外を除いて。
「俺は非道な研究の残骸。人間を模したただの人形だ。アスベル・カーンという肉体に宿った、誰でもない空っぽなんだよ」
アスベルは、何かを誤魔化すように口元を歪める。
「俺が正しさに拘るのは、主人の命令に絶対服従するようプログラムされていたからで、だから俺には……心なんてものはないんだよ。俺はお前のように笑えない。お前のように……生きられない。今さら逃げて、誰かを犠牲にしてまで生きる価値が、俺には──」
「関係ない!」
アスベルの根底を揺るがすような事実を告げられ、けれどそれでもリリアーナは少しも揺るがない。
「あんたの正体が何であるとか、そんなの興味ない! そんなので、あたしの想いは変わらない!」
「だが、俺は──」
「だから、関係ないの! あんたが笑えないなら、あたしが代わりに笑ってあげる! あんたが怒れないなら、あたしが代わりに怒ってあげる! あんたがただの人形でも、あたしが……あたしが側にいてあげる!!」
リリアーナはアスベルに手を伸ばす。他人の気持ちも事情も、全て彼女には関係ない。ただひたすらに、自分が信じた道を突き進む少女。傾国の魔女。サキュバスの中のサキュバス。リリアーナ・リーチェ・リーデン。
彼女の前では、どんな絶望も意味をなさない。
「あたしと来なさい、アスベル。あんたに心がないなら、あたしがあんたの心になってあげる。誰よりあんたの側にいて、あんたの代わりに、めいっぱい幸せになってあげる。だから……だから! あたしと一緒に来て!」
ただ真っ直ぐに自分の想いを告げるリリアーナを見て、アスベルは泣きそうな顔で目を細める。
全て、偽物だと知らされた。これから先、生きる意味はないのだとそう思い、目を閉じた。けれどこの世界には、こんな少女もいる。ただの人形を人間にしてしまえるような、そんな少女が、今確かに目の前にいる。
今までの生き方が、全て間違っていたとは思わない。例え始まりが偽物でも、自分が信じた正しさは確かにそこにあったから。……でも同時に、ずっと探していた。穴が空いた胸の奥に、心と呼べる何かがある筈だとずっとそれを探していた。
「……見つからないわけだ」
探していた心は、胸の内ではなく手を伸ばした先にあった。この眩い太陽のような少女が、自分の心になってくれると言うなら、もう少し生きてもいいのかもしれない。
それで誰かに迷惑をかけてしまうのなら、その時にこそ剣をとればいい。それがきっと、生きる為に戦うということなのだから。
「……敵わないな」
アスベルは諦めたような顔で笑い、産まれて初めて自分の為に手を伸ばした。
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