第31話 処刑



「ほら、さっさと歩け!」


 アスベルが牢屋に入れられてから、一月と少し。いきなりやってきた騎士団の人間に手枷をつけられたアスベルは、そのまま強引に牢屋から出される。


「……っ」


 久しぶりに見る空は、厚い雲に覆われていて辺りは薄暗い。冷たい風に湿った空気。いつ雨が降り出してもおかしくない沈鬱な景色。



 今日、アスベルは処刑される。



 既に国中に広まった、アスベルが魔族だという噂。真偽はどうあれ、アスベルを英雄視していた国民たちにとって、その噂は大きな衝撃となった。


 人間を代表する英雄の正体が魔族。


 そのセンセーショナルな噂は瞬く間に国中に広がり、いつの間にかアスベルは『魔族の国から送られたスパイ』なんてことになっていた。


 それは一部の貴族たちが民意を誘導した結果であり、このヴァレオン王国に溜まった不満と閉塞感が、1人の男に集中する。



 ──全て、あいつの所為だ。



 アスベルが命をかけて助けた人間たちも、今では彼に石を投げている。そのあまりに自分勝手な行いに、けれどアスベルは怒りも落胆も感じない。


「知っていたさ、それくらい」


 小さく呟くアスベルの表情は、いつもと変わらない無感情。……ではない。今日はその顔に暗い影が見えた。普段のアスベルからは感じられない、根を張った深い諦観。


「流石の鉄面鉄鬼も、処刑されるとなると怖いか?」


 そんなアスベルの様子を見て、護送人の男が下卑た笑みを浮かべる。


「…………」


 しかしアスベルは、何の言葉も返さない。彼が死を恐れることはない。彼に誤解や悪意を気にする弱さはない。彼は初めて人を殺した時から、自分が信じた正しさに殉じて死ぬとそう心に決めていた。


 だから今、アスベルの胸にあるのはもっと別の感情。先日、アランに連れられて、とある貴族と話をした。


 その時、その貴族……バルシュタイン公爵から告げられた事実。それはアスベルの根底を揺るがすものだった。それこそ、彼が今まで信じてきた正しさを、根っこから否定するほどの……。


「……結局、俺がしてきたことは初めから……」


 全てを諦めたような顔で目を伏せるアスベル。彼の力なら、手枷を壊しここから逃げることは簡単だった。けれどアスベルは、自分の信じる正しさからそれをしない。


「…………」


 いつもの彼ならその筈だ。しかし今の彼には、その気力がないだけのようにも見えた。まるで死体が……或いは、人形がただ動いているだけ。そんな覇気のなさ。


「……ちっ、無視しやがって。つまんねぇな」


 護送人の男も、そんなアスベルに何を言っても無駄だと思ったのか。余計な口を叩くのを辞め、口を閉じる。


 そしてアスベルは、馬車に乗せられ断頭台まで運ばれる。この国で断頭台を使い処刑されるのは、重罪人のみ。それも最近は野蛮だという一部の貴族の反発もあり、めっきり使用されなくなっていた。


 そんな中で、唐突に決まったアスベルの処刑。彼が魔族だという噂が広がっていることもあり、断頭台の周囲にはかなりの数の見物人が集まっていた。


 彼らはなんの根拠もない噂を信じ、アスベルに罵詈雑言をぶつける。


「死ね! 悪魔!」


「お前のせいで、戦争に勝てなかったんだ!」


「お前みたいな奴がいるから、この国はいつまで経ってもよくならない!!」


「そうだ! 友好条約を廃止しろ! 魔族がいる限りこの国はよくならない!!!」


「俺の親は魔族に殺された!! お前も死ね!」


「そうだ! そんな奴、殺しちまえ!!」


「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」


 響く声。この国に溜まっていた鬱憤。誰もがアスベルのように、1つの価値観を信じ続けることはできない。正しくあることは簡単で、しかし正しくあり続けることは生半可な覚悟ではできない。


 皆、生贄を求めている。誰もがアスベルのように、強くはなれない。飛び交う罵詈雑言が、そのまま彼らの当然の弱さを表していた。


「…………」


 アスベルは無言で、断頭台を見上げる。鈍く光る分厚い刃。あれが落ちた瞬間、ようやく長い戦いが終わる。


「……意味がなくても、後悔はない。ようやく罪が裁かれる。長い戦いだった」


 その小さな呟きは、誰にも届かず風にさらわれ消える。死を前にしても、彼に恐怖の感情は見えない。そんなアスベルに、処刑人の男が嘲るような表情で声をかける。


「そんなマジマジと断頭台を見て、どうかしましたか? まさか鉄面鉄鬼と恐れられた男が、いざ自分が死ぬとなったら怖くなった。……なんて、そんな馬鹿みたいなことを言ったりはしませんよね?」


「いや、少し心配になっただけだ」


 アスベルはあくまで淡々と、言葉を返す。


「心配? もうすぐ死ぬ貴方に、何を心配することがあるのですか?」


「大したことじゃない。ただ、あの程度の刃物で本当に俺の首が切り落とせるのか。それが少し……心配だ」


「……は?」


 冗談でも言っているのかと、処刑人の男はアスベルの顔を覗き込む。しかしアスベルの表情は、至って真面目。今まで数多くの罪人を処刑してきた男でも、断頭台の刃が自分の首を落とせるかどうか心配するような奴は初めてだった。


「……流石は、鉄面鉄鬼というわけですか。いざ自分が死ぬとなっても、真面目な顔で冗談を言う。……素晴らしい。骨のある男は、嫌いではないですよ」


「冗談? いや、俺は事実を言ったまでだ。戦場でオークの斧が首に直撃したことがあるが、少し切れただけで向こうの刃が折れてしまった。あの断頭台の刃はそれよりは分厚いようだが、やはり少し心配だな」


「……本当に化け物なのですね、貴方は」


「どうやら俺は、魔族らしいからな」


 自嘲するように、アスベルは笑う


 自分が魔族だという噂は、当人であるアスベルの耳にも入っていた。確かに彼は昔から、周りの人間と比べて身体が頑丈で力も強かった。しかし、何も自分だけが特別なわけでもない。戦場ではこの前のアランのように、人間とは思えないような力を持った奴が何人もいた。


「……いや、俺はただ、自分が普通だと信じたかっただけか」


 この前、バルシュタイン公爵から告げられた真実。どうしてここで、アスベルを処刑することになったのか。……自分が魔族であるという噂が、あながち間違いではないと知ってしまったアスベルは疲れたように息を吐く。


「まあいい。自分が何者かは、自分で決めるさ」


 手につけられた頑丈な枷。辺りを囲む騎士団の人間と見物に来た民衆。本来はすぐにでも処刑が始まる筈だが、役人たちの動きが遅い。どうやら、どこかの貴族が急に処刑を見学したいと無理を言って、アスベルの処刑は少しだけ先送りになったらしい。


「……意味のないことを」


 それはきっと、少しでも時間を伸ばそうとグランが手を回した結果なのだろう。そう気がついたアスベルは、困ったような顔で空を見上げる。


 ……この状況でも、逃げようと思えば、簡単だった。


 しかし今さら逃げ出して、一体なにをすると言うのか。またどこかで正しさに従って、戦い殺し続けるのか? それとも今までの生き方に背を向けて、自分の幸せの為だけに生きるのだろうか。


「そこまでして生きる価値はないさ。俺にも……この世界にも」


 そこで、派手な装いをした貴族の人間がやってくる。考える時間は終わった。あとはあの刃物の切れ味を信じて、大人しく死を待つのみ。……これでようやく、戦いが終わる。


 アスベルの肩から、力が抜ける。


「……父さん、母さん。これで俺も、少しは赦されたかな」


 アスベルは目を瞑る。……いや、ふと思い出したことがあり、もう一度、顔を上げる。


「悪い、リリィ。約束は守れそうもない」


 アスベルは最後に、いつかの星空を見上げるように、厚い雲に覆われた空に視線を向ける。当然だが、星は見えない。けれどアスベルの瞳には、あの眩い星空が見えた。


 自分のしてきたことは、何の意味もなかったのかもしれない。……しかしそれでも、胸に残るものはあった。あの夜空に心を奪われたのは嘘じゃない。アスベルはその事実に満足し、断頭台へと歩き出す。





 けれど、ふと声が響いた。





「──勝手に諦めんな、馬鹿!」



 まるで流れ星のように、雲の切れ間から1人の少女が姿を現す。


「馬鹿か、お前は……」


 眩い黄金の髪に、同じく黄金の瞳。決して見紛うことのない誰より自由なサキュバスは、夜の闇のような漆黒の翼をはためかせ、この世界を覆うつまらない現実を否定するかのように、笑う。


 高らかに、どこまでも自由に、彼女は笑う。


「ネックレスが壊れちゃったから、新しいのを探しにきたの。……付き合ってくれるわよね? アスベル」


 傾国の魔女。サキュバスの中のサキュバス。リリアーナ・リーチェ・リーデン。彼女は再度、人間の国へと踏み入った。


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