第30話 退屈



 リリアーナが国に帰って、一月近くの時が流れた。国に帰った当初こそ母親であるイリアスに酷く怒られはしたが、それも本当に最初だけ。家で大人しくしてる分には、誰も何も言ってこない。


 少し前の牢屋なんて考えられないほど広く清潔な部屋に、日に5回も運ばれてくる食事。それは一見、誰もが羨むお姫様のような生活だ。


「……退屈」


 しかし、そんな幸せを押しつけられるだけの生活は、彼女が求める自由とは正反対のものだ。リリアーナはベッドに寝転がり、大きく息を吐く。


 魔族の国、コルディア連邦。この国は、厳しいルールに縛られている。互いが互いを助け合い、異なる文化を持った異種族たちが生活している。それはとても正しいことで、美しいことでもある。


 誰もが我慢し、そのぶん互いを尊重し合える世界。ルールを破ったものには厳しい処罰が下されるが、ルールを守る者は誰であれ、身の安全と日々の生活が保証される。


「でもそんなの、いつ壊れてもおかしくない。誰かが押さえつけておかないと、すぐに壊れる不自由な世界」


 種族を代表する11人の常任理事。彼らによる統治は、貴族社会に囚われた人間のそれより、遥かに優れているように見える。


 しかし同時にまた、リリアーナのように人間の国に行きたがる魔族も多い。沢山の幸せを犠牲にした、公平と平等の社会。魔族がトップに立つ国で、1番大きな国。しかしその国は、とても不安定で何より窮屈だった。


「……あいつ、大丈夫かな」


 アスベルの処刑が決まったという話を聞いた日から、気づけば彼のことばかり考えしまう。アスベルは強い。魔族でも人間でも、彼に勝てるような存在はこの多種多様な生物が生きる世界でも、そう多くはないだろう。


「でもあいつは多分、自分の為には戦えない」


 それが心配だった。それが不安だった。いつものあの無表情な顔で断頭台に立つ彼の姿が容易に想像できてしまい、リリアーナはベッドの上で悶々とする。


「……どうしてあたしが、こんな思いをしないといけないの。私は傾国の魔女。サキュバスの中のサキュバス。リリアーナ・リーチェ・リーデンよ? そんなあたしが、たった1人の男の為に思い悩むなんて……」


 意味もなく、天井に向かって手を伸ばすリリアーナ。どの種族も平等だと嘯くこの国で唯一、『姫』と呼ばれる特別な存在。彼女には力があった。それこそ、たった1人で国を……世界を変えてしまえる程の大きな力が。


 だから彼女は、特別で、特例で、何より大切なお姫様。自由は許されない。同じく不自由だって許されない。彼女は常に綺麗なお城に閉じ込められ、きたる日の為に皆の象徴であり続けなければならない。



 そんな生活が嫌で、リリアーナは国を飛び出した。



 ちょうど戦争が終わり、人間との交易が始まった頃。リリアーナの立場とサキュバスの魅了の力があれば、国を抜け出ることは簡単だった。


 人間の国でも生活は、間違っていて、汚れていて、楽しくて、壊れていて、何より自由だった。誰も自分止められない。欲しいものは、何だって手に入る。楽しくて楽しくて、仕方がない。


 ……その筈だったのに、どうしてか思い出すのは、退屈な男との退屈な旅のことばかり。


「……もういいや、やめやめ。つまんないことばっか考えても、意味なんてない!」


 強引に言って、リリアーナは身体を起こす。


 もう二度と逃亡は許さないと言うかのように、リリアーナの周囲は常に厳しい監視の目が光っている。いくらリリアーナがアスベルのことを考えても、彼に会いに行くなんてことはできない。そもそも、やっとの思いで逃げ出してきたのに今さら人間の国に戻るのは、アスベルに対する裏切りでもある。


 彼との旅は終わった。また会おうと約束はしたけれど、それはいつかの未来の楽しみで、今を捨てるようなものではない。


「あいつはきっと、これからもずっと自分の正しを信じて生き続ける。なら、ここであたしが心配しても意味はない」


 リリアーナはベッドから立ち上がる。そしてそのまま、久しぶりにどこかに散歩でも行こうか。そんなことを考えたところで、部屋をノックする音が聴こえた。


「リリアーナ様。私です。ミミィです。少し話したいことがあるのですが、今お時間大丈夫ですか?」


「いいわよ、入って」


 リリアーナの言葉を聞いて、ミミィは小さな身体で器用にドアノブを捻り部屋へと入る。


「ミミィ。国に戻って以来ね。どう? 怪我は大丈夫?」


「はい、お陰様で。リリアーナ様の方はどうですか?」


「あたしも問題ないわ。しつこいくらい、回復魔法をかけられたし」


 2人は視線を交わして、同じような小さな笑みを浮かべる。


「リリアーナ様、何だか少し元気がないように見えます。やはりこの国は……退屈ですか?」


「まあね。でも、人間の国で処刑されるのなんてまっぴらだし。しばらくはここで、大人しくしてるわ」


「そうされた方がよろしいかと。……そういえば、処刑と言えば、あの男の処刑の日取りが決まったようですよ」


 あくまで淡々と告げるミミィ。リリアーナはそれに一瞬だけ目を伏せるが、すぐにどうでもよさそうな表情で答える。


「…………ふーん。ま、もうあたしには関係ないことだし、どうでもいいわ。それより少し、散歩にでも行かない? いい加減、この部屋でダラダラするのも飽きてきたのよ」


「分かりました。では、お供します」


 2人は部屋を出て、目が痛くなるような純白の廊下を歩く。この国の中心に位置する白亜の城。その城で生活することを許された、特別な少女。


 背後に数人の監視の魔族を引き連れ、2人は街を歩く。見えるのは、一見、活気があるように見える市場。オークが肉を売り、ドワーフが装飾品を売り、エルフが薬草を売る。人間の国ではまず見ない光景。


「やっぱりこの国って、遊びに欠けてるわよね? 人間の国と交易するなら、もっと美味しいご飯とか輸入して欲しいわ」


 しかしそこには、リリアーナが好む凝った料理なんかは売られていない。活気はあるが遊びがない。つまらないと、リリアーナは息を吐く。


「人間は我々魔族よりも味覚が繊細ですからね。私もご飯だけは、人間の国の方が優れていると思います」


「そうよね。……そういえば、キードレッチの奴がまた人間の国に行くみたいね。あいつ、人には散々言っておいて、自分だけ美味しいものを食べるつもりね」


「……キードレッチ様は、あまり食事には興味がないようですよ? 元々リザードマンは、料理をしませんから」


「あー、あいつら肉も魚も生でガブリだったわね。……だったらあいつ、わざわざ人間の国に何しに行くのよ?」


「どうやらキードレッチ様は、人間同士で争わせて戦力を削らせようと考えているようです」


「……なによ、それ。相変わらずいやらしいこと考えるわね、あの男は」


 ふと感じた苛立ちに、リリアーナの手に力が入る。


 アスベルがあれだけ必死に守ろうとした平和を、自分たちの都合で壊そうとしている魔族たち。なのに彼らは、口を開けば平等や平和と嘯く。


 アスベルが信じた正しさは、どうでもいい他人の思惑に踏み躙られて消える。


「そういえばリリアーナ様、そのネックレス素敵ですね?」


「……ああ、これ?」


 リリアーナは思考を切り替えるように、胸元のネックレスに触れる。猫を助けたお礼にと、老婆からもらったネックレス。別に大切なものではないけれど、人間の国から持ち帰れた数少ないもの。……どうしてか、手放す気にはなれなかった。


「きゃっ」


「おっと、すまねぇ」


 そこで、前を歩いていたドワーフの集団とぶつかってしまうリリアーナ。


「あ」


 その衝撃で、ネックレスが外れてしまう。長い旅と激しい戦闘で、傷んでしまっていたのだろう。地面に落ちたネックレスは、そのままバラバラに砕け散ってしまう。


「り、リリアーナ様! 大丈夫ですか!」


 ミミィが慌ててリリアーナに駆け寄る。背後の監視が、何事かと周囲を警戒しながら近づいてくる。


「……ああ、なんで……」


 ふと、地面に滴が落ちる。雨でも降ってきたのかと顔を上げるが、空は綺麗に晴れ渡っている。


「どうして……どうしてあんたが、死なないと駄目なのよ……」


 ネックレスが壊れたのをきっかけに、ずっと目を逸らしていた感情がリリアーナの胸から溢れ出る。張り裂けるような胸の痛みに、リリアーナはただ歯を噛み締めることしかできない。


 いつか花畑を見せてあげると約束した。……でも本当は、もっとずっと旅を続けたかった。ただ側にいられるだけでよかったのに、どうして……。


「あたしはずっと閉じ込められて、あんたは処刑されて死ぬ。どうして……どうして、こんなことになったのよ!」


 砕け散ったネックレスは、もう二度と元には戻らない。アスベルが処刑されれば、もう二度と彼に会うことはできない。リリアーナは、感情をぶつけるように叫んだ。


 けれど彼女には、アスベルを助ける手段も、この国から抜け出す方法も、何もありはしなかった。


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