第14話 変化



「どういうことっスか! どうしてアスベル先輩が、サキュバスを連れて逃げるんスか!!」


 騎士団の団長であるグランの執務室に響き渡る声。アスベルの後輩であるエリスは、グランの机を思い切り叩き、叫ぶ。


「落ち着いて落ち着いて、エリスちゃん。ほら、飴玉あげるからさ」


「わーい。ありがとうございますっス! ……じゃないっス! アスベル先輩が、サキュバスに誑かされて逃亡したっていうのは本当なんスか!!!」


 グランがアスベルにリリアーナの処刑の話をした翌日。騎士団内は、アスベルがサキュバスに落とされて駆け落ちしたという噂で持ちきりだった。


「いやー、まさかあの鉄面鉄鬼のアスベルでも、性欲には勝てないとはねー。ふと気になって別の部下に牢屋の様子を確認しに行かせたら、なんともぬけの殻! アスベルもサキュバスもいない」


「それは何かの間違いっス! あのアスベル先輩が、サキュバスなんかに籠絡される筈ないっス!!」


 震える声で叫ぶエリス。彼女はそうやって、アスベルの逃亡が発覚した今朝から同じ主張を続けていた。しかし、誰もその主張を聞き入れず、面白おかしく噂をしている。


「……ま、笑い事でもないんだけどね。これは明確な規律違反だ。しかも、処刑が決まった凶悪犯を私利私欲で逃したとあっては、流石の僕も庇ってあげられない」


「……っ! だから、それは……何かの間違いで……」


 露骨に動揺するエリスを見て、グランは笑う。


「なんてね。あいつに女に騙されるくらいの可愛げがあればいいんだけど、残念ながら事態はそんなに簡単じゃない」


「や、やっぱりそうっスよね? 先輩に限って、女に騙されるなんてそんなことある訳ないっス!」


「でも、アスベルがサキュバス……リリアーナを連れ出したのは事実だ。……あいつ、ほんと昔から変わらないな。一度それが正しいと思ったら、絶対に曲げやしない。計画的な癖に、後先考えずに行動する。ほんと、尻拭いする方の気持ちも考えろよって話だよ」


 不機嫌そうに、それでもどこか子供に悪戯された親のような顔で笑うグラン。そんな上官の顔を見るのは初めてで、エリスはつい黙ってしまう。


「エリスくん。君もあいつの部下なら、よく覚えておくといい。あいつは、自分が正しいと思ったら絶対に躊躇しない」


「それはもちろん、分かってるっス」


「いいや、分かってない。あいつは今まで築いてきたものを全て捨ててでも、自分の道を曲げない。守った人間に石を投げられるようなことになったとしても、絶対に折れない。……最近は大人しくなってきたと思ってたのに、やっぱあの野郎……変わってなかった。ほんと、いい性格してやがる」


「……でも、アスベル先輩は規律に厳しい人っス。そんなアスベル先輩が、自分の都合でルールを破るようなことは……」


「あいつにとっての規律は、自分の中にしかないんだよ。だからあいつは、無理やり他人に何かを強要するような真似はしないだろ?」


「それは……」


 黙ってしまったエリスに、グランは小さく笑って続ける。


「多分あいつは、サキュバス……リリアーナの処刑が間違ってると思ったんだろう。あのサキュバスが悪政を敷いてる貴族を陥れたこととか、勝手に調べてたみたいだし」


「あのサキュバス、悪い奴じゃなかったんスか⁈」


「いや、悪い奴だよ? 普通に善良な人間もターゲットにされてるし。……ただあいつは、それでも処刑するのは間違ってると思ったんだろうな。……いや、どちらかと言うと、部下に血を流して欲しくないっていうのが本音か? ……なんにせよ、最初から分かってたことじゃねーか、アホらしい」


 グランは心底から楽しそうに、くつくつと笑う。この団長は自分の知らないアスベルを知っているのだと、エリスはなんだか少し腹が立ってくる。


「とりあえず、アスベル先輩がサキュバスに誑かされたっていうのは、嘘なんスよね?」


「ああ、それはないよ。ただ、あいつがサキュバスを連れて逃げたというのも、間違いじゃない。すぐにでも捜索隊を派遣し、彼らの後を追わなければならない。いや、どうせ向かうのは国境だから、そっちを封鎖するのが先か? どっちにしろ、今だと人員が足りない。支部の連中に借りを作るのは癪だが、何もしなければ上の連中に責められるのは僕だ」


「私、捜索隊に加わりたいっス!」


「いいよ。でも、あいつが本気で動いてるなら、見つけるのはまず無理だな。とりあえず形だけでも動いておいて、尻拭いの方法を考えておいた方がいいかもしれない」


「いや、私が絶対に見つけるっスよ! それで先輩の目を覚まさせてやるっス!!」


「あー、頑張ってね。じゃ、現場の指揮は君に任せるよ。僕はこれからちょっと、リリアーナの処刑について調べ直してみることにするから」


 どこか投げやりで、それでもどこか楽しそうなグランに礼を言って、エリスは執務室を後にする。


「先輩は間違ってるっス。どんな理由があったとしても、罪人を庇う必要なんてないっス」


 人通りのない廊下で、エリスは小さく呟く。


「そもそも私の大好きな……私の憧れたアスベル先輩は、サキュバスなんかに情をかけたりしない。アスベル先輩はいつでも無常で、容赦がなくて、誰より強くないと駄目なんス……」


 エリスは一瞬だけ悲しそうに顔を伏せるが、またすぐに笑顔を浮かべる。


「でも、大丈夫っス! 先輩が道を間違えたなら、あたしが目を覚まさせてあげるっス! ……だから……だから。待っててくださいね? アスベル先輩……」


 エリスはまるで普段とは別人のような爛々とした瞳で笑い、走り出す。その目にはもう、1人の男の背中しか見えていなかった。


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