第8話 猫とサキュバス



「んー。久しぶりの外、気持ちいいー!」


 降り注ぐに日光を浴びて、リリアーナは気持ちよさそうに伸びをする。


「…………」


 そんな彼女を監視するように少し後ろを歩くアスベルは、いつもと変わらない色のない目で、リリアーナとその周囲に気を配る。


「あんた外でも、そんなつまんなさそうな顔してんの? ……あ、それともあれ? 勝手にあたしを連れ出したことがバレないか、ビクビクしてたりするの? 意外と小心者なのね、あんた」


「いや、俺が常に側に居ることを条件に、お前を一定期間外出させる許可は既にとってある」


「……へぇ。つまりあんたは、最初からこうなることを予測していたと」


 試すように目を細めるリリアーナ。まさか自分が、こんな無愛想な男に誘導されたのだろうか? ……それは流石に気に食わないな、と眉をひそめる。


「いや、本来の目的は別だ」


「……と、いうと?」


「お前を狙っているかもしれない人間を、誘き出すのが1つ」


「……つまり、囮と」


「こうして外に連れ出せば、魔族がお前に接触してくるかもしれないというのが、もう1つ」


「……また、囮と」


「…………」


「……………………」


 一瞬の沈黙の後、リリアーナは叫ぶ。


「いや、囮だけじゃん! ……あんた、このあたしを何だと思ってるの? あたしは傾国の魔女。サキュバスの中のサキュバス。リリアーナ・リーチェ・リーデンよ? 分かってる?」


「分かっているさ。だから一応、1ヶ月も閉じ込めてお前に病まれたら困るという理由もある」


「……なら、いいけどさ」


 やはり、この男は癪に障る。自分の色香が通じないだけならまだしも、この男は何かもっと根本的なものが欠如しているように見える。自由とか楽しさとか、自分が1番大切にしているものを蔑ろにするアスベルの生き方を、リリアーナはどうしても認めることができない。


「……ま、いいわ」


 でも、だからこそ。そんな男が珍しく見せた人間らしさ。たかだか猫を治療するだけで、この男の弱みを握れるかもしれない。それは十分に、価値のあることだ。


「…………」


 今も注意深く周りと自分を警戒している男。……正直、外に出られたらそのまま逃げてやろうかとも考えていたが、残念ながらそんな隙は1ミリたりとも存在しない。


 リリアーナは魔法こそ使えるが、戦闘能力は殆どない。鍛えていない一般人くらいならどうにでもできるが、訓練を受けた騎士が相手では歯が立たない。


 だからとりあえず今は、恩を売って弱みを握る。そうすればいずれ、この男も自分の駒の1つになる。


「こっちだ」


 リリアーナの思考を遮るように呟き、すぐ近くの角を曲がるアスベル。大通りから外れた小さな店。武器屋と聞いていたからもっと騒がしくて無骨な店を想像していたが、まるで小洒落た雑貨屋のような出立ち。


「ここが、あんたの言う武器屋なの?」


 と、首を傾げるリリアーナ。そんなリリアーナの疑問に答えるように、店の前から声が響く。


「おや、お客さんかい。いらっしゃい」


 声をかけてきたのは、店主であろう老婆。それもまた武器屋の店主らしくない、腰が曲がった老婆だ。


「……リリアーナ。一応言っておくが、外の人間にお前がサキュバスであることは、悟られないようにしろ。何か面倒があっても困る。お前は、俺の友人ということにしておけ」


「……そういうことは、もっと早くに言いなさいよね」


 小声でそんなやりとりをしてから、アスベルが店主の老婆に声をかける。


「リム婆。俺だ、アスベルだ。昨日、話していた猫を治療できるかもしれない友人を連れてきた」


「おお、坊やか。となるとこっちのべっぴんさんは、恋人か?」


「友人だ。……それよりも、ルル……猫の様子はどうだ?」


 老人が相手でも態度を変えないアスベル。リム婆と呼ばれた店主は、何度か考えるようにうんうんと頷いてから、口を開く。


「駄目だ。今朝も全く餌を食べとらんかった。今も部屋の中でずーっと眠っとる。……まるで、亡くなる前のお爺さんみたいだ……」


 そのまま目をぎゅっと強く瞑る老婆。アスベルはそんな老婆を尻目に、「入るぞ」とだけ告げて店の扉をくぐる。


「あんた、坊やとか呼ばれてたわね?」


 アスベルに続いて店に入ったリリアーナが、からかうように言う。


「……もう坊やなんて歳でもないから辞めてくれと言ってるんだが、聞かなくてな。もう諦めた」


「仲良いのね。あんた、店の人とかと仲良くなるようなタイプには見えないのに」


「それは間違ってはいない。……ただリム婆は、俺の両親が死んだあと、身寄りのない俺を一時期預かってくれていたことがあってな。だからある程度は、親しくもなるさ」


「なによ。じゃあ、親みたいなもんじゃない」


「まさか。リム婆には俺とは別に息子がいる。確か今は……孫もいた筈だ。俺は一時期世話になっていただけの、居候に過ぎない」


 どこまでも冷たいアスベルの言葉。それでもわざわざ、こうして自分をこの場所に連れてきたということは、彼にとってこの場所は大切な場所なのだろう。


 リリアーナは軽く店を見渡し、呆れたように息を吐く。


「……そんな大切な人が困ってるのに、あんたはあんなに簡単に諦めたのね。ほんと、意味わかんない」


 例え家族のような人間の為でも、ルールを破ることを良しとしない。そういう人間も、今まで何人か見てきた。しかし、ここまで徹底して無感動に振る舞う生き物を、リリアーナは知らない。


「って、今更だけどここって本当に武器屋なの? どう見ても、雑貨屋……というより、宝石店にしか見えないんだけど」


 思いのほか広い店内のあちらこちらに、指輪やネックレスと言った小物が売られている。一応、端の方にオマケみたいに短剣や盾なんかも置かれているが、どう見てもメインは装飾品の方だ。


「魔族には馴染みはないか。この国の騎士は、神の加護が宿るとされるものを身につけて、戦場に立つという習慣がある。この店で扱っている装飾品はみな、そういったものだ」


「神の加護、ね。……でもそれって結局、単なる願掛けでしょ?」


「いや、そうじゃない。ここの商品にはみな、魔力が込められている。魔法を主体に戦う魔族への、対抗策のようなものだな。下手な剣や盾を装備するより、そこらの宝石を持っている奴の方が生還率は高い」


「……それ、ほんと?」


 リリアーナは近くにあった指輪を手に取ってみる。……確かにそれには、魔力を感じる。魔法が不得手な人間が編み出した、魔道具。知ってはいたが、まさかこれほどの数が店に並んでいるとは知らず、リリアーナは少し驚く。


「ま、どうでもいいけどね。でも、あんたもこういうの持って戦場に立ってるのね。なんかちょっと意外」


「いや、俺には必要ないものだ。……俺は神も加護も、信じてはいないからな」


 そう言ってアスベルは、更に奥へと進んでいく。リリアーナは手にとっていた指輪を置いて、その背に続く。


「みゃー」


 と、そこでそんな声が響いて、日の当たる椅子の上で眠ったように丸まっている、黒い毛の子猫の姿が見える。


「この子が、あんたの言ってた猫ね。……確かに、弱ってるように見えるわね」


「治せるか?」


「そんなの、やってみないと分からないわよ。あたしの回復魔法だって、万能ってわけじゃないんだから」


 リリアーナは目を瞑り、意識を集中させる。リリアーナはサキュバスという種族に備わっている、魅了や人の心を揺さぶる力は強い。しかし彼女は別に、魔法が得意な訳ではない。


 切り傷や単なる風邪くらいなら治療できるが、それよりも重度となると難しい。彼女の友人であるミミィなら、こんな子猫簡単に治してしまうのだろが、アスベルの前で彼女に頼ることはできない。


 だからリリアーナは、自分にできる限りの力を使い、小さく呟いた。


「……ヴィタリス」


 瞬間、淡い青色の光が猫の身体を包み込む。


「上手くいったのか?」


「分かんないわよ。……どう、少しは元気になった」


 リリアーナは優しく、猫の頭を撫でる。猫はそれに、眠そうな目でにゃーと呟いて、そのままテクテクとどこかに歩いて行く。


「どうやら、効果はあったみたいだな。礼を言う」


 アスベルは猫の背中を見送ったあと、リリアーナに向かって頭を下げた。そんなアスベルの表情は、やはり普段と変わらない。でも少しだけ、言葉の棘が少ないように感じた。


「……別にいいわ。あたしに治せたってことは、元から大した病気でもなかったのよ」


「それでも俺は、その大したことがない病で死んでいく人間を大勢見てきた。だから、ありがとう。お前のお陰で、助かった」


「……いいって。別にこんなの、大したことじゃないから」


 何だか照れ臭くて、猫に続いて店から出て行こうとするリリアーナ。……好意を向けられるのも、劣情を向けられるのも慣れている。でも彼女は、感謝を向けられるのには慣れていなくて、何を言えばいいのか分からなくなってしまう。


「……っ」


 少しの動揺と、慣れない力を使った反動。ちょっとした段差に躓いたリリアーナは、そのまま転けてしまいそうになる。


「おっと。……大丈夫か?」


 アスベルはそんなリリアーナが転ぶ直前に、彼女の身体を支える。思っていたよりも鍛えられた肉体。思わずリリアーナは、アスベルを突き飛ばしてしまう。


「……大丈夫よ。ちょっと、ぼーっとしただけ。というか、気やすくあたしに触んないでよ。そんな安い女じゃないんだから、あたしは」


 アスベルから距離を取る。距離を取ってから、もう少し弱ったフリをして身体に触らせれば、少しは動揺させられたかもしれないと気がつく。


「ま、いいか」


 しかし今は、どうしてかそんな気分ではなかった。リリアーナは最後に店を軽く見渡してから、外に出る。


「みゃー」


 猫は店先の椅子に座った老婆の膝の上で、気持ちよさそうに丸まっていた。


「あんたがこの子を、治してくれたのかい?」


 と、老婆がリリアーナを見る。


「大したことはしてないわ。その子が勝手に元気になっただけよ」


「……それでも、ありがとう。正直、もう駄目かと思って諦めとった。でもあんたのお陰で、またこうしてこの子が元気に歩き回る姿を見れた。……本当に、ありがとう」


 愛おしそうに猫を撫でる老婆。リリアーナは何とも言えない気持ちになって、逃げるように視線を逸らす。


「リム婆。用は済んだから、俺たちはもう帰る。……最近は夜も冷える。あまり無理はするなよ」


 それだけ言って、立ち去ろうとするアスベル。しかし、まるでそんな彼を引き止めるように、老婆の膝の上にいた猫がアスベルに向かって飛びかかる。


「にゃーにゃー」


「……お前、病み上がりなんだから無理はするなよ」


 相変わらず無表情なアスベル。それでも構わずぺろぺろと顔を舐める猫を見て、思わずリリアーナは笑ってしまう。


「お嬢さん、お嬢さん」


 と、いつの間にか店の中に戻っていた老婆が、リリアーナに何かを手渡す。


「……これは、ネックレス? 貰っていいの?」


「ああ、あの子を元気にしてくれたお礼だ」


 薄いピンク色に輝く、名前も知らない宝石がついたネックレス。騎士が戦場に付けていくようなそれは、普段リリアーナが身に付けているものと比べると、とても簡素なデザインだ。


 ……正直あまり、好みではない。その筈なのに、どうしてかリリアーナは小さな笑みを浮かべて、そのネックレスを受け取った。


「ありがと、いいデザインね。気に入ったわ」


「そうかそうか。あの子のこと、ほんとにありがとな」


 こんな純粋な好意を向けられたのは、いつぶりか。リリアーナは何だか自分が間違っているような気になって、綺麗な金髪を指に絡める。


「坊や。坊やにはこれだ」


 そして老婆は、未だに猫に舐められているアスベルにも、別の何かを手渡す。


「これは……ブレスレットか? 悪いが俺には……」


「いいから受け取り。あんたは昔から、遠慮ばっかりする子やからね。……偶には、うちに帰ってきなさい。美味しい夕飯作って、待ってるからね」


 強引にブレスレットを手渡し、また椅子に座る老婆。アスベルを舐めていた猫も、そんな老婆の膝の上に戻る。


「そのお嬢さん、あんたには勿体ないくらいべっぴんさんだ。大切にせんとあかんよ?」


 と、最後の言葉に、アスベルは珍しく困ったような表情を浮かべる。リリアーナはそんなアスベルの顔がおかしくて、強引に腕を組んで老婆に向かって手を振る。


「また2人で来るから、楽しみにしててねー」


 これは、アスベルを籠絡する為の作業に過ぎない。それでもどうしてか、リリアーナは久しぶりに楽しいと思った。


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