第9話 決定



「あんたってさ、恋人とかいないの?」


 久しぶりの外出が終わった翌日。アスベルが買ってきたアップルパイを食べ終えたリリアーナは、だらしなくベッドに寝転がりながら、そう問いかける。


「前にも言ったが、俺はいつ死ぬか分からない身だ。恋人なんてものを作っている余裕はない」


 アスベルはそんなリリアーナに、普段通りの淡々とした声で答える。


「ま、そりゃそうよね。このあたしの誘惑が通用しないのに、他の女の尻を追いかけてるーとか聞かされたら、普通にムカつくし」


「そもそも俺は不能だ。その手の誘惑は通用しない」


「……本当はそんなの、関係ない筈なのよ。あたしは傾国の魔女。サキュバスの中のサキュバス。リリアーナ・リーチェ・リーデンよ? どんな男も女でも、あたしには逆らえない。その筈なのに……」


 リリアーナは呆れと困惑が混ざった表情で、アスベルを見る。……度を超えた無表情だが、それでもやはりただの人間にしか見えない男。こんな男に自分の力が通用しないなんて、そんなことある筈がない。


「あんた、好みのタイプとかあるの?」


「そんなものはない」


「はい嘘。いくら不能でも、女の子を見ていいなって思うことくらいあるでしょ? それとも、男が好きなの?」


「…………」


 アスベルは腕を組み真面目に考える。アスベルは態度こそ冷たいが、普通に話せば話を聞いてくれることを、リリアーナは既に把握していた。


「……分からん」


 しかし、返ってきた答えは、期待はずれのものだった。


「分からんって、あんたね……」


「これも前に話したが、俺は子供の頃に両親が死んで、そこからすぐに騎士団に入団した。そして、それからはずっと戦い続き。……きっと、色恋に使う感情は戦場に落としてきてしまったのだろう」


「子供の頃から戦ってきたってこと? ……この国は、子供を戦場に立たせるの?」


「それほど、余裕がなかったということだ。……そもそも俺は、歳を偽って無理やり戦場に志願した。国だけを責めることはできない」


「……あんたってやっぱり、魔族のことを恨んでるの?」


 いくら友好条約を結んだといっても、魔族に悪感情を持っている人間は多い。戦場で戦い続けた騎士なら、なおのことそうだろう。


 しかしアスベルは、首を横に振った。


「恨んでなどいないさ。戦場で会えば容赦をするつもりはないが、憎いと思ったことはない」


「仲間とか家族が、殺されたのに?」


「俺だって殺した。……魔族には魔族の善と悪があり、同じく人間にも善と悪がある。俺は俺の正しさに従って生きている。そこに、好き嫌いなどという感情を挟むつもりはない」


「……正しさ、ね。あたしは嫌いよ、その言葉」


「どうしてだ? 今の魔族の国……特にコルディア連邦は、人間の国よりずっと厳しい法が敷かれているのだろう? 多種多様な種族が一緒に暮らすからこそ、厳しいルールが必要だと」


「だからよ。あたしは自由に楽しく生きたいの。正しさとか、知ったことじゃないわ。……だいたい、その正しさがあたしを助けてくれたことなんて、一度だってありはしないんだから」


 リリアーナはアスベルに背を向け、目を瞑る。アスベルがリリアーナの監視を務めるようになって、はや数日。なんだかんだ言いながらリリアーナも、この男を真っ当な手段で落とすことはできないと理解していた。


「……だから、あたしに残された手段は1つだけ」


 指輪を外して、本来の力を解放する。そうすれば、ただの人間なんてどうにでもできる。それでこの男の意識が消えてなくなるのだとしても、構わない。リリアーナは魔族。人間の命がどうなろうと、痛む心などない。


「…………」


 なのにどうしてか、躊躇している自分に気がつく。別に、アスベルのことが好きな訳ではない。あまり見ないタイプの人間だとは思うが、それ以上の感情を彼女が人間に向けることはない。


 どれだけ優しい笑みを浮かべても、リリアーナはサキュバス。彼女にとっての人間は、利用して使い捨てるだけのオモチャでしかない。……その筈だ。


「……ああ、苛々する」


 だから問題があるとするならそれは、彼女自身のことなのだろう。アスベルと同じく、口癖のように『正しさ』と言う女。その女の言う通りに生きるのが嫌で、リリアーナは魔族の国を飛び出した。


 なのにまた、逃げるのだろうか?


 自分が培ってきた力が、なに1つとして通じないまま。正しさを信望するこの男から、誰かの為にと授かった力を使って逃げる。それはなんて、無様なのだろう?


「そういえば……」


 と、そこで思い出したように呟き、アスベルが本を閉じる。


「昨夜、魔族の国との会談が終わったようだ」


「……それってもしかして、あたしが魔族の国に帰されるって話?」


「おそらく、そうなるだろうという話だ。……まあ、今日明日にどうこうということはないだろうがな。引き渡しの場所、それに伴う警備計画。もろもろを加味して、実際に動くまで……2週間はかかるだろう」


「それ、あたしに言って大丈夫なの?」


「別に、隠すようなことでもない。ただ、会談の結果によっては、お前の立ち位置も変わるかもしれない」


「つまり?」


「お前を魔族の国からの賓客として扱うことになれば、いつまでもこんな牢屋に閉じ込めておく訳にもいかない、ということだ」


 その言葉を聞いて、リリアーナの顔色が変わる。


「それってつまり、ようやく自由になれるってことね!」


「早まるな。そうじゃない」


 思わず立ち上がったリリアーナを嗜めるように、アスベルは続ける。


「お前の立場が変わろうと、監視と警護は継続することになるだろう。ただ、賓客としてのお前がおかしなことをすれば、魔族の国とこの国の関係そのものに、影響を与えるかもしれない」


「……つまりあたしに、大人しくしとけって言いたいのね? 分かってるわよ、うっさいわね」


 不貞腐れたようにまたベッドに寝転がり、顔を背けるリリアーナ。そういう仕草は子供っぽいなと思うが、アスベルは余計なことを口にはしない。


「大人しくしているなら、またアップルパイでも買ってきてやる。だから、変なことを考えるのは辞めておけ」


 それだけ言って、アスベルは立ち上がる。


「ちょっ、どこ行くのよ、もう帰るの?」


「まだ少し時間は早いが、今話した会談の件で上官から呼ばれている。心配せずとも、その間は別の人間が見張りと警護を務める。……と言っても、ここに直接来るようなことはないがな」


「そんな心配は、してないわよ。じゃなくて……あー、もういいわ。さっさと戻って、上官に報告してきなさい。もっと大きくて柔らかいベッドじゃないと嫌だって、リリアーナ様が怒ってるって」


「善処しておこう」


 本を置いて、歩き出すアスベル。


「……何が善処よ。ほんと、頭の固い奴」


 結局、奥の手を使うことはできなかった。どうしようもない苛立ちが、胸の内に溜まっていく。


「ま、いいわ。まだ時間はあるみたいだし、あたしだけの力で……あいつを落としてみせる」


 昨日貰ったネックレスに触れてから、退屈しのぎにとアスベルが渡してくれた本を手に取るリリアーナ。けれど彼女がページを捲る前に、声が響いた。



「た、大変です! リリアーナ様!」



 やって来たのは、ピクシーのミミィ。彼女は開けっぱなしにされている小さな窓を通り、慌てた様子でリリアーナに近づく。


「どうしたのよ? ミミィ。そんなに慌てて」


 どうでもよさそうに本を閉じて、視線を上げるリリアーナ。そんなリリアーナに、ミミィは泣きそうな表情で言った。



「──人間どもが、リリアーナ様の処刑を決めたらしいんです!」


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