第40話 呼び声



「……ふふっ」


 昼間からベッドの上に寝転がり、左手の薬指に光る指輪を見つめるリリアーナ。どこにでもあるような、シンプルな指輪。彼女はこの指輪より何倍も……いや、下手をすれば何百倍もの価値のある指輪を贈られたことが、今まで何度もある。


 それらは牢屋に入れられた時、全て没収されてしまったが、それでも彼女がその気になれば、もっと高い指輪を手に入れることなんて容易いことだ。


「あーあ、バカみたい」


 それでもこんなに嬉しいと思ってしまうのは、この指輪を見ていると昨日のアスベルの言葉を思い出すから。何も感じない……味覚すらほとんどないと言った彼。それはとても悲しいことだったけれど、それでも彼はリリアーナに側にいて欲しいと言った。


「あいつ、あんな恥ずかしい台詞……よく真顔で言えるわね」


 リリアーナは初めて告白された少女のような初々しい表情で、ベッドの上を転がる。自分が自由に笑っていることが、アスベルの救いになる。自分が彼の隣に居続ければ、彼もいずれ楽しさや幸せを感じられるようなるかもしれない。そう思うとどうしてか、胸が熱くなる。どうしても頬が緩んでしまう。


「昼間から何をだらけている?」


 と、そこで何やら作業を終え屋敷に戻ったアスベルが、ダラけきったリリアーナを冷めた目で見つめる。リリアーナと反してアスベルの態度は、普段と何も変わらない。


「別に、いいでしょ? あたしはケイマのサキュサキュだから、何をしてもいいの」


「……自分の決め台詞を略すな。なんだ、ケイマのサキュサキュって。傾国の魔女。サキュバスの中のサキュバスだろう? 何を言っているのか、分からなくなってるぞ?」


「いいの。……それよりほら、こっち来て膝枕してあげる」


「悪いが俺はこれからそこの湖に、今日の分の食糧を──」


「いいから!」


 リリアーナは強引に、アスベルをベッドに引っ張る。……いや、本来ならいくらリリアーナが引っ張ったところで、アスベルを動かすことなんてできない。2人の間には、それだけの力の差がある。


「……仕方ないな」


 それでもアスベルが彼女の膝に寝転がったのは、彼自身が彼女を拒絶していないから。


「こうしてみると、あんたやっぱり結構いい顔してるわよね」


「自分の顔の良し悪しなぞ、自分ではよく分からん」


「たいして手入れもしてない癖に、こんなに肌が綺麗なのはムカつくけど……」


「肌ならお前の方が綺麗だろう?」


「……素でそういうことを言っちゃうあんたは、きっといろんな子を勘違いさせてきたんでしょうね」


「自覚的にいろんな男を騙してきたお前に、そんなことを言われたくはないな」


「うっさい。口答えするな」


 リリアーナは優しく、アスベルの頭を撫でる。アスベルは身体から力を抜き、ただぼーっと天井を眺める。


「キスしていい?」


 と、リリアーナは問う。


「……好きにしろ」


 と、アスベルは答える。


「顔色1つ使えないわね。なんかあんたのそういうところ、ちょっと癖になってきた」


「やはりお前は、噂で聴くよりずっと子供っぽいな。……いや、ただ自由なのか、お前は。俺はお前のそういうところが好きだ」


「……馬鹿ね」


 リリアーナはアスベルにキスをする。……いや、しようとしたところで、アスベルは慌てて身体を起こした。


「なによ? 今になって照れてるの? あんたも案外、可愛いところが──」


「違う。……屋敷に誰か、近づいてきている」


「────」


 リリアーナの顔色が変わる。アスベルは淡々と、告げる。


「いくつか罠を仕掛けておいたのだが、どれにも引っかかった形跡はないな……。とるなると相当の使い手か、或いは特殊な力を持った魔族か……。とにかく、俺が様子を見てくれる。お前はいつでも逃げられるよう、準備をしておけ」


「あたしも一緒に──」


「必要ない。戦闘になれば、巻き込む可能性もある。お前はしばらく、この部屋にこもっていろ。何かあれば声を出せ。そうすればすぐに俺が駆けつける」


「……分かったわ。でも、無理だけはしないでね?」


 心配そうなリリアーナの頭を軽く撫で、アスベルは屋敷の外に向かう。


「なんなのよ、1番いい時に邪魔して。空気の読めない奴ね……」


 リリアーナは強張った身体から力を抜くように、小さく息を吐く。彼女はアスベルを信頼していた。彼がいるなら、どんな敵が来てもどうにかなると、そう信じていた。


「……ん? 声……」


 ふと、声が聴こえた気がして窓の外に視線を向けるが、そこには誰の姿もない。リリアーナは嫌な予感に手をぎゅっと握りしめ、アスベルが出て行ったドアを見つめる。


「無茶しないでね、アスベル」


 そのかぼそい声は、誰にも届かず部屋の静かさに飲み込まれた。



 ◇



 アスベルは警戒しながら、屋敷の外に出る。すると、そこに居たのは……。


「罠が作動しないわけだ。流石にその大きさは、想定していなかった。……久しぶりだな、ピクシー」


 そんなアスベルの言葉を聞き、小さな羽で空を飛んでいる少女──ピクシィのミミィは、不服そうに声を上げる。


「なんだ、人間ですか。貴方に用はありません。リリアーナ様はどこですか?」


「先にこちらの質問に答えろ。……どうして、ここが分かった? 答えによっては、俺はお前を斬らなくてはならない」


「できるんですか? 人間如きに」


「試してみるか?」


 2人はしばらく睨み合う。……が、目の前の男に折れる気配が全くないことを感じ、ミミィは諦めたように息を吐く。


「私たちピクシーが魔法に長けているのは、ご存知でしょう? その魔法の中には人探し魔法も、存在するのです」


「あまり、聞いたことがない魔法だが……」


「そもそも私たちピクシーは、他の種族のように表に出ることを好みません。貴方たち人間がピクシーの魔法を知らないのは、当然のことです」


「この場所を知っているのは、お前だけか?」


「私が人間や魔族に通じていると? 馬鹿なことを言うのは辞めてください。私にとって1番大切なのは、リリアーナ様ただ1人。この私が、あのお方の不利になるような真似をする訳がないでしょう?」


「…………」


 アスベルは少し考える。このピクシーは確かに、自分が死にそうになりながらも、リリアーナを逃す為に戦っていた。彼女がリリアーナを大切に想っているのは、嘘ではないだろう。


 それに見たところ、周囲に他の生き物の気配はない。ピクシーだろうと何だろうと、近づく生物の気配を見逃すような真似をアスベルはしない。……例え相手が、どんな魔法を使っていたとしても。


「分かった。リリィは奥の部屋にいる。会いたいのなら、ついて来い」


 アスベルは歩き出す。ミミィは不服そうに、その背に続く。


「……どうでもいいことですけど、随分と親しげに呼ぶのですね? リリアーナ様のことを」


「あいつがそう呼べと言ったからな」


「そうですか。リリアーナ様はお優しい方ですから。……でもあまり、勘違いをしない方がよろしいかと」


「それは、どういう意味だ?」


「あのお方は、人間などでは決して測れない価値観で動かれるお方です。貴方のような人がずっとあの人の側に居られるなんて、考えないことですね」


「そうか。気をつけよう」


 ミミィの言葉を意に返さないアスベル。ミミィはそんなアスベルの態度が気に入らないのか、冷たい目でアスベルの背中を睨みつける。


「リリィ、戻った──」


「アスベル! 戻ったのね! よかったー無事で! 怪我ない? ないわよね?」


 部屋に戻ったアスベルに、勢いよく抱きつくリリアーナ。そんなリリアーナの頭を撫でてから、アスベルは言う。


「お前に客だ」


「客? ……って、ミミィじゃない! 貴女どうして、こんなところにいるのよ!」


 心底から驚いたというような顔をするリリアーナに、ミミィは先程までとは別人のような顔で答える。


「リリアーナ様は国を出られる前、私に自由に生きろと言って下さりました。ですので私は、リリアーナ様の側にいたいと考えここに来たのですが……もしかして、ご迷惑だったでしょうか?」


「そんなことないわ。貴女に会えてあたしも嬉しい。……あ、そうだアスベル。あんた昨日、街で紅茶買ってきてくれたでしょ? あれ、どこにあるの?」


「台所の棚……いや、俺が淹れてくる。積もる話もあるだろう?」


「それは有難いけど、あんた紅茶淹れるの下手だし……。ま、いいわ。下手ならあたしが淹れ直すから、今回はお願いするわ」


 その言葉を背中で聞いて、部屋を出て行くアスベル。ミミィはアスベルの姿が完全に見えなくなってから、口を開く。


「リリアーナ様、ご無事で何よりです」


「ミミィの方こそ、元気そうでよかったわ」


「……私のことはいいのです。それより……リリアーナ様。あの男とはどういう関係なのですか? 見たところ、とても親しそうに見えたのですが、やはりそれはいつもの──」


「ううん、違う」


 リリアーナはミミィの言葉を遮り、言う。


「あたし、これからはあいつの隣で生きていくって決めたの。ここでの生活は静かだけど、楽しいし。飽きたらまた、どこか遠くに旅に出るのもいいかもね。これからずっとあいつの隣で生きていく。それがあたしの、1番の願い」


「それは、つまり……」


「うん。あたし、あいつに惚れちゃったみたい」


 リリアーナは笑う。とても幸せそうな、今まで一度も見せたことがないような笑み。


「…………」


 ……ああ、とミミィは思った。


「リリアーナ様。大丈夫です。リリアーナ様の魂は、私がお救いしますから……」


「ミミィ……? 貴女、何を……」


 ミミィは何もない空間から、真っ白な鍵を取り出す。そして彼女は、それを両手で握り締め……言った。


「神よ、我れらが祈りに救いを──アミリス・リーチェ」


「────っ!」


 その瞬間、リリアーナという少女の意識は真っ暗な闇に飲み込まれた。


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