第37話 運命の願い



「こんなものか」


 必要な買い物を終えたアスベルは、特に寄り道することもなく、屋敷に戻るため山道を歩いていた。


 捨てられた屋敷で自給自足の生活。アスベル1人ならそれでも問題なかったが、リリアーナも一緒となると色々と必要になるものも多い。


 その買い物のため、アスベルは久しぶりに街まで降りた。リリアーナも一緒に行くと言ってしつこく食い下がったが、例え変装をしたとしても彼女は目立ち過ぎる。買い物に行くとしても、それはまだ先だというアスベルの説得に根負けし、彼女は今日は屋敷で1人留守番をしている。


 無論、彼女が1人の時に襲撃に遭った際の対処法と避難経路、それから数通りの連絡手段は、嫌というほど話し合ってある。


「……それに、1人のうちに済ませておきたいこともあったからな」


 背負った大きなリュックに視線を向け、アスベルは歩くペースを上げる。変わった調味料や肉、それに本なんかも沢山、買ってしまった。それは全て必要なものではないが、リリアーナのことを思うと、つい食指が動いてしまった。


「俺も──」


 アスベルはそこで口を閉じ、意識を戦闘用ものに切り替える。……つけられている。数はおそらく1人。しかし、相当の手練れだ。この距離まで近づかれるまで、気配に気づかなかった。



 ……いや、俺が腑抜けていたのか?



 そんな意味のない思考を無理やり追いやり、アスベルは歩くペースを緩める。見つかった以上、応援を呼ばれる訳には行かない。まだ屋敷まで相当な距離がある。


 もう少し屋敷とは別方向に誘導してから、余計なことをされる前に、眠ってもらおう。


 そうアスベルが考えた直後、背後から声が響いた。


「や、久しぶりだね? アスベル。元気にしてた?」


「貴方は……」


 無防備に姿を現したのは、騎士団の団長であるグラン。彼は普段と何も変わらない適当な笑みを浮かべ、アスベルの方に近づく。


「団長自ら捜索とは、今の騎士団は随分と人員不足なのですね?」


 アスベルは警戒を解かず、ただ静かにグランを見る。


「そう警戒するなよ。僕は別に君をとっ捕まえにきた訳じゃない。その証拠に今は、騎士団の団服は着てないだろ? 今はちょっと、ハイキングの最中でね。雄大な自然に圧倒されながら、散歩を楽しんでいたところなんだよ」


「……そうですか。出不精な団長に、ハイキングの趣味があったとは意外です。最近は少し贅肉がついてきているようでしたので、運動なさるのはいいことです」


「ははっ。僕はもうおっさんだから、肉がつくのはしょうがない。培ってきた心の豊かさが、身体に染み出してしまうんだ」


 冗談めかして、グランは笑う。アスベルは笑わない。


「ま、ほんとのことを言うと、いくつか君たちが行きそうなところに当たりをつけて、張っていたんだ。でも、騎士団の人間は使ってないのは本当だよ? だから、追手がくることはない」


「……要件は、私のことですか? それともリリィ……リリアーナのことですか?」


「両方かな」


「騎士団を使わず個人で動いているとなると、どこかの貴族の極秘裏の命令か。或いは、魔族の国と何か取引をしたか……」


「酷いな。僕は純粋に君たちを心配してるだけなのに……って、言えたらよかったんだけどね。どうもそうは、いかなくなってしまった」


 グランは軽薄な笑みを引っ込め、少し声のトーンを落とす。


「僕も本当は、そっとしておいてあげたかった。あの堅物の君が、ようやくいい女の子を見つけて楽しく暮らすって言うなら、僕はそれを全力で支援するつもりでいた」


「気持ちはありがたいですが、そんなことばかりしていると、いつか首が飛びますよ?」


「そのいつかまで、できることはしておきたかったってことさ。君と同じだよ、アスベル。僕は今まで、自由にやってきた。だから、いつかその責任を取ることになったとしても、後悔はない」


「…………」


 その生き方は尊敬に値する。しかし、この男がそんな事態に陥ることはないと、アスベルはよく知っていた。ライという貴族を筆頭に、グランは多くの人間に気に入られている。


 庶民の出で騎士団の団長にまで上り詰めた彼の手腕と頭脳は、この国でも屈指のものだ。


「ただ、どうも我儘を言っていられる状況じゃなくなった。流石の僕も、国の存続が関わっているようなことに、私情は挟めない」


「私が魔族だという件……では、ないのですね?」


 それはアスベルにとっても驚くべきことであったが、しかし国の存続に関わるようなことではないだろう。


「そ。君の件もまあ、大事ではあるけど、実際大した根拠もないしね。どうしても魔族と戦争がしたいギルバルト卿あたりが考えた、策略の1つだと思ってる」


「流石に冷静ですね」


「君ほどじゃないけどね。リリアーナちゃんの処刑の件もそうだ。ギルバルト卿は、失敗も失策も恐れない。とにかく数を打って、1つでも上手くいけば御の字だと考える。……正直、敵対したくない相手だ」


「私はギルバルト卿より、国王陛下の考えが気になりますが……今はそれより、貴方の目的を知りたいです。グラン団長」


 アスベルがいつもの色のない目で、真っ直ぐににグランを見る。グランもそんなアスベルに応えるよう、正面から彼を見据える。


「僕の目的は大きく分けて2つ。……なあ、アスベル。騎士団に戻ってきてはくれないか?」


「……ご冗談を。今の情勢で私が騎士団に戻れば、民衆も貴族も団員も黙ってはいない。すぐにでも処刑台送りになるでしょう」


「その辺は上手く手を回すさ。無実の罪を着せられた英雄の帰還! ……なんて、とても民衆受けすると思わないか?」


 ふざけているように語るが、それでもグランの瞳は真剣だ。アスベルは悩む様子もなく、淡々と言葉を返す。


「せっかくのお話ですが、私はもう騎士団に戻るつもりはありません」


「それはやっぱり、あの嬢ちゃんに惚れたから?」


「……どうなんでしょうね。自分でもよく分かりません」


「……っと、びっくり。お前のことだから簡単に否定すると思ってたのに、そんな答えが返ってくるとは……」


 本気で驚いた様子のグランに、アスベルは言う。


「惚れた、というのとは多分、違うとは思います。ただ……今はもう少し、あいつの隣にいたい。最近は、そう思うようになったんです」


「それは、お前……」


 その言葉を聞いたグランは、どうしてか苦虫を噛み潰したような顔で視線を逸らす。


「なにか、気に障るようなことを言いましたか?」


「ちげーよ。ただ……どうしようもないなって。1つ上手くいったと思ったら、また別の問題が起こる。この世界はほんと……出来損ないだ」


 グランは苛立ちをぶつけるように地面を蹴って、空を見上げる。そこまで感情的になるグランを見るのは珍しく、アスベルは少し驚く。


「なぁ、アスベル。僕はずっと悩んでた。あの地獄のような戦場で何度も何度も僕の命を救ってくれた君に、どうしたら恩を返せるのか。どうしたら君は……笑ってくれるのかって」


「…………」


 アスベルは答えない。グランは続ける。


「そんなお前が、ようやく自分の幸せを見つけようとしてる。……応援してやりてぇ。面倒なしがらみを全て捨てて、力になってやりたいと本心から思う」


「……私は別に、グラン団長を責める気は……」


「僕が僕を責めてるんだよ。……だから、こんなことは言いたくはない。言いたくはないが、これはお前にしか頼めないことだ。だから僕は……言う」


 グランはどこか投げやりな疲れた顔で、大きく息を吐く。よく見ると、肌の色は悪く髪にも艶がない。もしかしたらずっと、徹夜続きだったのかもしれない。


 アスベルの頭に、そんな関係のないことがよぎった直後、グランはその言葉を口にした。


「なぁ、アスベル。この国を救うため、リリアーナ・リーチェ・リーデンを……殺して欲しい」


「────」


 その言葉は多分、逃れられない運命だった。


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