第51話 旅立ち



 あれから半年の月日が流れた。人間の国の山奥に突如として現れた神は、騎士団の奮闘により退けられ、人間の国は神にも負けない武勇を示した。


 ……と、いうことになってはいるが、事実はそうではない。事件の首謀者であるイリアスは魔族の国で不審死を遂げ、神を宿したとされる少女──リリアーナ・リーチェ・リーデンはその姿をくらませた。……が、ただでさえ不安定な情勢で、それを素直に発表することもできない。


 故に、一度は処刑される筈だったアスベルを神を殺した英雄として祭り上げることで、事態の沈静化を図る。それが、最終的な結論だった。


 本来なら、彼が行った神殺しという功績は他の騎士団の人間に押し付けられ、騎士団の威光を更に高める筈だった。しかし既に、民の間でアスベルが神と戦っていたのを見たという噂が広がっており、それを否定するのは困難だった。……不自然なまでに噂が広まるのが早かったのは、グランとエリスの悪巧みの成果なのだが、上はその事実を知らない。


 とにかく上は事態の捏造を諦め、その噂を利用することにした。国を救った英雄、アスベル・カーン。その噂は瞬く間に国中……いや、世界中に広まり、戦場の跡地には大きな墓が建てられた。


 魔族の国との戦争を企てていたギルバルト卿を中心とする派閥も、魔族の国がまだ他に神の力を保有しているかもしれないという可能性を考え、しばらくは動きが取れなくなった。


 同じく魔族の国でも、神を退けるほどの武力を見せた人間の国を危険視する声が高まり、また、反人間派の筆頭であったイリアスが死去したということも合わさり、しばらくは沈黙せざるを得なくなった。


 そして、両国の過激派が動きを止めている間に、キードレッチとライを中心とした友好派が国民を取り込み、発言権を増していく。両国には、しばらく戦争はできないであろうという空気が広がり、仮初ではあるが世界は平和になった。



 ◇



「あんたなら、なんて言うのかしらね」


 1人の女性が墓に花を手向ける。アスベルが神を倒したという噂が流れた直後は、昼夜問わず沢山の人で溢れていたこの場所も、半年を過ぎると熱も冷めるのか。今、墓の前にいるのは1人の女性だけ。


 とあるピクシーの魔法で生み出された沢山の花に囲まれたアスベルの墓。そこに花を手向けた女性は、懐かしい過去を思い返すように、少しの間、目を閉じる。


「…………」


 世界はきっとこれからも、変わり続けていくのだろう。アスベルの戦いも、国を傾けたなんて言われたサキュバスの噂も、いつか誰もが忘れてしまう時がくる。



 ──なら人は、何の為に生きるのだろうか?



 アスベルという英雄は、何を思い戦い、何を願い死んだのか。幸せを知らない男がひたむきに生きた先に残るのがこの大きな墓と花畑なら、それは報われたことになるのだろうか?


「でもちゃんと、残ってる。みんなが忘れても、なかったことにはならない」


 女性が目を開ける。風が吹いて、踊るように花々が揺れる。まるで、天国のような景色。或いはそれで、彼と同じ景色を見ているなんて思ってしまうのは、まだ自分が立ち直れていない証拠なのか。


「すみません。少しお時間、いいですか?」


 ふと、誰かに声をかけられる。女性は顔を隠すように大きな帽子を被っているが、それでもこうして声をかけられることが多い。その女性も、少し前なら馬鹿な人間をからかって遊ぼうと思ったのかもしれないが、今はどうしてもそんな気にはなれない。


 女性は墓の方に視線を向けたまま、静かな声で言う。


「申し訳ないですが、待たせている人がいるので」


 いつかの少女からすれば、考えられないほど落ち着いた穏やかな笑顔。見るもの全てが思わず息を止めてしまうような笑みを浮かべて、女性は墓に背を向ける。


 いつまでも、過去ばかり見てはいられない。彼が残してくれた心がこの胸にある限り、自分は前に進まないと……。




「──随分と、大人びた顔をするようになったんだな」



「…………え?」


 風が深く。女性が被っていた帽子が風に飛ばされ、空を舞う。眩い黄金の髪が揺れ、ドクンと心臓が跳ねた。その女性──リリアーナ・リーチェ・リーデンは、目の前の無表情な男をただ見つめることしかできない。


「どうして、あんたが……」


「実は……お前が目を覚ます直前、仮死状態になる薬を飲んでいたんだ。神を騙し、民衆を騙し、俺が自由に生きられるようにと、グラン団長が考えてくれた作戦だ。……実際、本気で死ぬかと思ったが、上手くいってよかった」


 男は見慣れた無表情で、小さく口元を歪める。……首元に、大きな傷跡が見えた。彼ですら、半年間も動くことができなかったほどの大怪我。一歩間違えれば、本当に死んでいたかもしれない。


 それでも男は、こうしてリリアーナの元に帰ってきた。


「……幽霊じゃ、ないわよね?」


「触れてみるか?」


 リリアーナが、恐る恐る手を伸ばす。男──アスベル・カーンは、その手を優しく握った。


「傾国の魔女。サキュバスの中のサキュバス。リリアーナ・リーチェ・リーデン。どうやら俺は、お前に誑かされてしまったようだ。だから……」


 アスベルは笑う。人形だった彼は、まるで人間のように、温かで優しい笑みを浮かべて言う。


「だから、待たせている人がいるところ悪いが、貴女の旅にご一緒させて頂いても構いませんか?」


「──バカ」


 リリアーナがアスベルに抱きつく。そんな2人を祝福するかのように沢山の花が風に揺れ、花びらが舞う。そうしてこれから、2人の長い長い旅が始まった。


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人間なんて単なる養分だと見下している傲慢なサキュバスのお姫様が、ただの人間に恋するまでと恋したあと 式崎識也 @shiki3

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