人間なんて単なる養分だと見下している傲慢なサキュバスのお姫様が、ただの人間に恋するまでと恋したあと

式崎識也

1章 誘惑と騎士

第1話 サキュバスと出会い



 リリアーナ・リーチェ・リーデンという名のサキュバスがいた。



 傾国の魔女。サキュバスの中のサキュバス。生まれながらのお姫様。どんな男も……いや、たとえ女であったとしても、本能を持つ者であれば誰であれ、彼女の誘惑に逆らうことはできない。


 黄金の髪に、同じく黄金の瞳。月光すらも霞むような、シミ1つない真っ白な肌。長い手脚に、大きな胸。そして何より心を震わす、魔性の笑み。


 サキュバスという種族に備わった魅力の力を使わずとも、皆が彼女に頭を垂れる。友人を捨て、恋人を捨て、家族を捨て、何人もの人間が彼女に入れ込み地獄に落ちた。


「……最悪」


 しかし、そんな彼女は今、狭い牢屋に閉じ込められていた。


「あの男、まさか国王への反逆を考えてたなんてね……」


 馬鹿な貴族の男を誑かし、金を巻き上げていたリリアーナ。しかしその男は裏で国王への謀反を企てており、ある日突然、大勢の騎士が屋敷までやってきた。リリアーナはその男のとして捕まり、こうして牢屋に囚われることになってしまった。


「ま、いいけどね。こんな牢屋、あたしの前じゃ何の意味も持たない」


 リリアーナは笑い、少し離れた場所で静かに本を読む見張り役の青年に声をかける。


「おにーいさん。あたしとちょっと、いいことしない?」


 誰がそんな単純な手に引っかかるのか。そう思うほど、ありきたりでつまらない言葉。しかし、人間の男が相手ならそれで十分だった。下等な人間が相手なら、余計な手間は必要ない。


 彼女は人間を……男を見下していた。


「…………」


 しかし、その甘い声が聞こえていないのか。青年は本から視線を上げず、眉1つ動かさない。


「ふふっ。もしかして、照れちゃってるのかな〜? ……大丈夫だよ? ここには、あたしとお兄さんしかいない。今なら何をしても、誰にも咎められることはない。少しくらい素直になったって、誰もお兄さんを責めたりしない。……だから、いいんだよ?」


 鉄格子に豊満な胸を押しつけ、長い舌で誘うように唇を舐めるリリアーナ。


「…………」


 しかしそれでも、男は動かない。リリアーナは一瞬だけ顔を歪めるが、すぐにまた笑みを浮かべ、言葉を続ける。


「随分と強情なお兄さんなんだね。でも、あたしも何も、ここの鍵を開けてーなんて言わないよ? ただちょっと暑くてさ、汗をかいた身体を拭いて欲しいだけなんだよ」


「…………」


「この鉄格子の隙間に手を入れて、あたしの胸にちょっと触れてくれるだけでいい。お兄さんが触りたいなら、他のどこを触ってもいいよ? だからもう少し近くで、お兄さんのかっこいい顔が見たいな……」


 心に直接響くような甘い声。そんな声に我慢の限界がきたのか、男はテーブルに本を置いて立ち上がる。そのあまりに予想通りな行動に、リリアーナの口元が裂けるように歪む。


 男はそんなリリアーナのすぐ側まで近づき、彼女を正面から見つめ、言った。



「──確かに少し臭うな」



「…………は?」


 言葉の意味が分からず、ポカンと口を開けたまま固まるリリアーナ。


「汗臭い。それに……何だ、この臭いは? サキュバス特有の獣臭か? 何にせよ不快だな。……仕方ない。今度、濡れタオルでも持って来てやる。それまでは我慢しろ」


 ゴミでも見るような目でそう言って、そのまま席に戻る男。その信じられない言葉に、リリアーナ思わず大きな声で叫ぶ。


「おまっ……お前! このあたしに向かってなんてった! ……臭い? 世界一のサキュバスであるあたしが、汗臭いなんてそんなことある訳ないでしょ!」


「騒がしいな。自分の匂いなのに、そんなに気になるのか?」


「ちゃうわ!」


 あまりに想定外な言葉に、思わず言葉が乱れるリリアーナ。


「……じゃなくて。このあたしが臭い訳ないでしょ? もう一度よく確かめてみなさい」


「……確かにそうだな。女性に向かっていきなり臭いは、失礼だったかもしれない。今後は気をつけよう」


「分かればいいのよ……じゃなくて! お前、本気でこのあたしが、臭いとか言ってんの? あたしが誰だか分かってる?」


「馬鹿な真似をして、ついでに捕まったサキュバスだろう?」


「……そうだけど、そうじゃなくて!」


 リリアーナまた鉄格子を叩き、男を睨む。


「あたしは傾国の魔女。サキュバスの中のサキュバス。リリアーナ・リーチェ・リーデンよ? 人間の雄なら、この名前を一度くらい聞いたことがあるんじゃないの?」


「そう騒ぐな。別に恥じることはない。人間だろうとサキュバスだろうと、風呂に入らなければ臭くなるのは当然のことだ。……そうだな。今度、シャワーを浴びられるよう手配しておいてやる」


「だ、か、ら! 匂いの話はしてないの!」


 自分の色香が全く通じないどころか、臭いとまで言った男なんて今まで1人だって存在しない。リリアーナは困惑しながら、髪をかきあげる。


「そうじゃなくて、もっとこう……あるでしょ? 世界一のサキュバスが、目の前で誘惑してるんだよ? 何をしても、誰にもバレない状況なんだよ? 臭いとか言う前に、やるべきことがあるでしょ?」


「……ああ、そうか。そういえばまだ、お前には言ってなかったな」


 信じられないと怒るリリアーナを見て、男は再度、立ち上がる。


「……っ」


 その男のあまりに色がない瞳に、リリアーナは少し気圧される。もしかしてこの男には、何かとんでもない秘密があるんじゃないか。そんな考えが、頭をよぎる。


 男は人形よりも無機質な目で、言った。


「俺の名前は、アスベル・カーン。ヴァレオン王国騎士団第三師団長にして、お前の監視と警護を命じられた騎士。そして──」


 男──アスベルは、漆黒の髪の合間から見える同じく漆黒の瞳で、臆することも恥じることもなく堂々と、その言葉を口にした。



「──そして俺は、不能インポだ」



 告げられた言葉に、また唖然と口を開くリリアーナ。


 そうして、不能な騎士と百戦錬磨のサキュバスの楽しい楽しいラブコメが始まった。


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