第22話 別れ
長い夜を過ごした2人は、日が昇ってすぐに宿を出て、国境沿いの街に向かって歩いていた。
「長い夜を過ごしたって言われると、なんかエッチしたみたいに聞こえるわよね?」
「くだらないことを言うな」
「あははははっ。あんたインポだし、それは無理か」
リリアーナは笑う。アスベルは笑わない。
「……そんなことより、国境沿いの街はこれまでとは比べものならないくらい、警備が厳重だ。それに騎士団本部からの応援も駆けつけている筈だ。まず戦闘は避けられない」
「それ、思ったんだけどさ、あたしの力でバシューンと空を飛んでいけばよくない? 昨日みたいにさ」
リリアーナの当然の疑問に、アスベルは淡々と言葉を返す。
「飛べる魔族がいることは、この国も理解していることだ。他はともかく、国境沿いの街でその対策をしていない訳がない。それに、下手に飛ぶと目立つ。昨日のような真似をするのは、最後の手段にしておけ」
「……分かったわよ」
「それに、魔族の国との国境には険しい山脈がある。国境を越えたところで、すぐに力が尽きて落ちるのが目に見えている」
「え? じゃあどうすんの?」
「船だ。今日の正午、魔族の国へと交易に向かう船が出る。お前はそれに紛れ込め。既に手筈は整えてある。……というか、お前がこの国に潜入した時も、船を使って来たのだろう? あの山脈を生身で越えるのは、どう考えてもお前には無理だ」
「……何よ。あんたなら、できるって言うの?」
「当然だ。俺はその為の訓練を受けている。歩いて山を越えることも、泳いで国を渡ることも、俺なら問題なく遂行できる」
「泳いでって、どれだけ距離があると思ってるのよ……。あんたほんと、化け物ね……」
リリアーナは、引いたような目でアスベルを見る。この男のことは理解してきたつもりではあるが、それでやっぱり底がしれないと。
「でも、船なんて1番警戒されてるんじゃないの? いくらあたしがサキュバスの中のサキュバスでも、こちらを捕まえる気満々の人間を何人も落とすなんて真似はできないわよ?」
「今の魔族の国との情勢からして、魔族が乗る船を隅々まで調べるなんて真似は、騎士団でもできない」
「そうなの?」
「ああ。下手な揉め事は、お互い起こしたくはないからな」
「でも、だったらどうしてあたしを処刑なんてするのよ?」
「揉め事を嫌う人間もいれば、揉め事を利用して金を稼ごうと考える人間もいる。……うちの団長は馬鹿じゃない。今のこの状況で、魔族と揉めるようなことは絶対にしない」
他人のことで、ここまで言い切るアスベルは珍しい。きっとそこまでその団長のことを信用しているのだろうなと、リリアーナは小さく息を吐く。
「…………」
同時に、その団長を裏切るような真似を平気でするアスベルが、リリアーナは少し怖かった。その危うさを抱えたまま、この男はいつまで戦い続けるのだろう、と。
「つまり……って、聞いているのか? リリィ」
「あ、うん。聞いてるわよ。……というか、あんたに正面からリリィって言われると、なんかちょっと変な感じよね」
「お前が呼べと言ったのだろうが」
「そうだけど……そうだ。バランスが悪いから、あたしもあんたのことアスくんとか読んだ方がいい?」
「辞めろ、気色悪い」
「うわっ。あんた、このあたしに気色悪いって言ったわね? あたしは、傾国の魔女。サキュバスの中のさくばっ……」
「噛んだな」
「……噛んでない!」
2人は仲睦まじく……とはいかないけれど、前よりずっと打ち解けた雰囲気で、歩き続ける。
「とにかく、船にさえ乗れば後はどうとでもなる。問題はそれまでの警備を、どう突破するかだ」
「あんたなら、全員ぶっ飛ばせるでしょ?」
「……不可能とは言わないが、後々のことを考えると無駄な戦闘は避けたい」
「お優しいのね。ま、当然っちゃ当然だけど」
リリアーナはバシバシとアスベルの背中を叩く。アスベルは気にせず、言葉を続ける。
「だからまず俺が先に街に潜入し、騒ぎを起こす。あたかもお前を連れての逃避行の最中に、見つかってしまったという体を装い、逃げる。お前はその隙に、無理矢理にでも船に乗れ。チケットは、さっき渡したやつだ。最悪なくても、『アスベルの手荷物』と伝えれば、船には乗れるよう話は通してある」
「手荷物って何よ」
「手に持てる荷物だ」
「違う。あたしは──」
「KMSSなのだろ? 知ってるさ」
「適当に訳すな!」
その後もしばらく、2人はこれからの計画を煮詰める。いくらリリアーナが重要人物だと言っても、王城の警備を減らしてまで捜索をすることはできない。
国境の警備は厳重だが、彼らの目は内よりも外に向いている。外からの侵入者には厳しいが、内からの逃亡者にはどうしても監視が緩くなる。
それこそ、団長であるグランが直々に指揮をとっているなら別だが、彼の性格からしてそれはあり得ない。なので多少強引な作戦でも押し切れると、アスベルはそう判断した。
「……ところで、さっきからずっとついてきているピクシーは、お前のお友達か?」
アスベルは足を止め、背後を睨む。そこから現れたのは……。
「ミミィ! 貴女、そんなところにいたのね!」
リリアーナは嬉しそうにミミィに駆け寄る。しかしミミィは警戒するように、アスベルを睨む。
「……リリアーナ様。国境でリリアーナ様を逃すべく行動していたのですが、どうにも警備が厳しくて……」
「構わないわ。その辺りは、アスベルが上手くやってくれたみたいだから」
「……この男は、リリアーナ様が落とした使いっ走りの男ですか?」
「違う。アスベルは……」
そこでリリアーナは、言葉に詰まる。自分たちの関係を上手く表す言葉が、思い浮かばなかったから。
「俺はそこの女……リリィの警護と監視を務めている騎士だ。お前は偶に、牢屋に忍び込んでいたピクシーだな?」
「……! あんた、気づいてたの⁈」
「当然だ。大した害はないと放置していたが、今はちょうどいい。リリィだけだと、どうしても戦闘能力に乏しいのが懸念点だったが、お前が側にいるなら問題ない」
「随分と知った風な口を聞くんですね、人間」
「緑髪のピクシーの噂は聴いている。魔法の使い手。戦うのなら、一個中隊で挑めと」
2人の間に、張り詰めた冷たい空気が流れる。
「ちょっとちょっと! 喧嘩はやめてよね。ミミィはあたしの数少ない友人だし、アスベルは……これまであたしを助けてくれた恩人なの。2人とも、信用できる人たちよ」
「……分かっている」
「……私も、分かっています」
と、2人は渋々ながら肩から力を抜く。
「さて、ではそろそろだな。さっき言った通り、俺は今から街に入って騒ぎを起こす。お前はその隙に、船に乗れ。その後のことは、自分でどうにかしろ」
「分かってるわよ。最後まで愛想がない奴ね」
2人は微妙な空気で、見つめ合う。リリアーナは、珍しく本心を口にするのを戸惑うように、綺麗な黄金の髪を指に絡める。彼女はアスベルの方に視線を向けないまま、言う。
「……そういえば、魔族の国に綺麗な花畑があるって話、前にしたでしょ?」
「そういえば、そんな話もしたな」
「それで……その。そろそろその花、開花する時期なのよね。だから……見にくる? なんて……」
「…………」
アスベルは逡巡するように目を瞑るが、それはほんの一瞬。彼は迷うことなく、自分の言葉を口にする。
「悪いが俺はまだこの国に、やり残したことがある。だから俺は、この国を離れる訳にはいかない」
「…………そ。ま、あんたならそう答えるわよね」
「ああ、だが……」
アスベルはいつもと変わらない無表情で、それでもどこか感謝するように目を細め、リリアーナを見つめる。
「いつか時間ができた時、訪ねてみようと思う。だからその時は、お前が街を案内してくれ」
「────」
アスベルはリリアーナに手を差し出す。けれどリリアーナは一瞬、時が止まったかのように動きを止めてしまう。
「……ん? どうかしたのか? 固まって」
「…………ううん。なんでもない。分かった。じゃあ、約束ね? あの国は退屈な場所だけど、それでも楽しいことがない訳じゃない。だから今度はあたしがあんたを、いろんなところに連れて行ってあげる」
リリアーナはアスベルの手を握る。そうして、2人の旅が終わった。
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