第7話 新・魔術大全
技術書である新・魔術大全を読んでも魔力の覚醒条件はまだ分かっていない、ということがわかった。覚醒した人は老若男女もバラバラで、爵位や役職は関係ない。昔は貴族だけからだったが、近代では平民からも覚醒しているようだ。
そして、その魔力を操作して火や水、土や風を操作できる者を魔術師と呼ぶ。魔術師は少数ながらもこの世界では一定の地位にいるようで、ほとんどの魔術師が組合に属している。この世界の生活を支える一職業として魔術師がある。
私は魔術大全を読みながら魔力を操るイメージをしてみたが、クロエが淹れてくれた紅茶の一滴も動かなかった。
お風呂での状況から、たぶん私は水の魔術師だと思うんだけど…。
(そもそも、自分の意志で何かを動かすことができるって、すごいわよね。)
私は、カップに入ったお茶を眺めながら、日本での研究を思い出していた。
生物は、脳から指令をだし、筋肉を動かすことで、歩いたり登ったりすることができている。中学生でも知っている、生物学の基礎だ。
では、具体的にどうやって?
脳や精髄といった神経系には、多くの「神経細胞」が含有されている。その神経細胞の樹状突起部分には、イオンチャネルが存在し、そのチャネル内を、正電荷を持つナトリウムイオンや、負電荷をもつカリウムイオンが通過することで、細胞内外で活動電位の変化が起こるのだ。その電位の変化は、発火後、電流のようにどんどん神経細胞を伝達し、筋肉に対して指令を送る。たとえば、その活動電位を計測しているのが脳波や心電図だ。
この理屈がもし応用できるのならば、神経細胞が連なる、もしくは活動電位が電位的変化を起こすことのできる先の物質は、意志として動かすことができるのではないだろうか、という仮説を立てたことがある。
モデルがなかったわけじゃない。デンキウナギだ。デンキウナギを侮ってはいけなくて、その特殊な細胞で発生した電位は、600〜800Vの電圧になる。人が感電死する電圧だ。
もちろん、人間が発電人間になって物質を操るなんて、ただの仮説だ。指令の伝達は、生物細胞内の役60%を占める水分量がそれを可能にしているし、デンキウナギは水の中だから広範囲に影響を及ぼすことができている。そして人間には、デンキウナギのような特殊な細胞はない。
ただ、幼いころに読んだファンタジー小説のように、その仮説はずっと脳の片隅に残っていた。
そこで私は、趣味で世界中を駆け回り、ある人たちの細胞を集めた。ユーリ・ゲラー、ジェラールト・クロワゼ、エドワルド・ケイシー…いずれもあちらの世界で超能力者として著名な人たちだ。生きている人には直接接触し、もう死んでいる人には遺族や関連団体から、髪の毛や臓器の一部を手に入れた。その遺伝子を解析した結果、通常テロメアと呼ばれる末端遺伝子配列の中に、不思議な配列を見つけたのだ。私はその遺伝子配列から特異的に生成される、チャネル型構造をもっていたアミノ酸配列を、ESPタンパク質と名付けた。
そこで私の研究は、終わってしまった。あの事故にあってしまったのだ。これから、そのESPタンパク質が何に影響しているのかや、何を輸送しているのかを見つけようと思っていたのに…。やっぱり、あっちの世界で研究を続けたかったなぁ、とも思いながら、積まれた本の山を見る。
「私が、魔術を解明してみようかしら。」
少し読書で疲れたのか、ふと思いついた考えがため息のように自然と漏れ出てしまった。そもそも、あちらの世界で証明された常識が、こちらの世界に当てはまるかどうかも怪しい。魔術を学びながら、この新・魔術大全を改変してやりたい衝動にかられる。
その時、クロエが「夕食の支度ができた」と部屋に持ってきてくれた。
「魔術に関して何かわかりましたか?」
「ええ。概要は理解できた気がするわ。本を揃えてくれてありがとう、クロエ」
「とんでもございません」
本をそろえてくれたクロエにお礼を言いながら、私は夕食の準備がされるのをぼけっと見ていた。頭の中は魔術や魔力のことでいっぱいだ。
今日のメニューは何かの肉だった。身体が良くなっていると聞いた料理長が気を利かせてくれているようで、何か珍しい魔獣の肉が手に入ったとかなんとかでステーキにされていた。もはや驚かないが、魔獣と呼ばれる動物がいるそうだ。魔力のある人間がいるのだから、確かに魔力のある獣がいてもおかしくない。この世界には普通の牛やウサギもいるようだから、人間と一緒で、その種族が魔獣変異を起こすのか、生まれた時から魔獣なのか…新・魔術大全Ⅱの刊行への道のりは長そうである。
食事後は今日もお風呂に入る。
この世界のお風呂はなぜか冷たいので、昨日の反省をいかし、つま先からゆっくり入ってみる。
(冷たい、というよりぬるい、わね。昨日は急に飛び込む事になったから、冷たく感じたけど、冷水ってほどではないのね)
そして、つま先からゆっくり入ったせいなのか、昨日のように魔術は発動しなかった。クロエもほっとしている。
クロエが、お風呂の準備をしている横で、私は「ねぇ、なんでこんなに温度が低いのかしら」と聞いてみる。
「もう少し温かい方がよろしいですか?」
クロエは少し困ったように、首をかしげる。ぬるめのお湯はレティシアの好みだったのだろうか。
「すこーし温かくなれば、でいいんだけれど。」
「申し訳ありません、お嬢様。昨日の魔石の状態を覚えておいでですか?」
クロエは本当に困ったように、床に手をつき、がっくりと頭を下げた。土下座に見えなくもないそのポーズに、あわてて、立つようにいった。
「魔石…。」
私は、クロエを立たせながら、魔石といわれたワードを反芻する。
(魔石も、あるのね…エネルギーを発する石?鉱物?)
「あちらの深紅魔石が、もう寿命を迎えそうになっておりまして、代わりの魔石を探したのですが、ないとのことです。」
そういってクロエは、お湯が出ているライオンの目の宝石を指さした。
(きれいだと思っていたけど、あれは魔石だったのね。深紅魔石はあの赤色の石のほうで、この魔石はお湯の温度調整を担っている、ということかな。)
そういえば、はふと先ほどの新・魔術大全に「魔石の活用方法」といった目次をみたことを思い出した。
基礎が不明瞭だったから、応用まで読み切れずに流し読みをしてしまったが、あれはこうゆうことが書いてあったのだろう。
「最近は良質な魔石がとても高価で、首都のほうにも出回ってこない、とのことです。これだけの水量を調整しようと思うと、よい魔石が必要で…。お嬢様が臥せっておられたので確認が遅れてしまいました。それに、私も他の侍女たちから疎まれており、なかなか魔石の優遇先の情報が得られず…、申し訳ございません…。」
クロエが下を向いて泣きそうな顔で唇をかんでいる。昨日の侍女たちから感じた、こちらをさげすむような笑いは、私の勘違いではなかったようだ。きっと、私がすべったのも、お風呂のふちに香油かなにかを塗って、滑りやすくしていたのだろう。
私はもう王城から出ていく決意をしたが、クロエを一人にするのは申し訳ないな、と感じた。
でも、出ていくことはもう決めたのだ、明日は魔術師組合本部に行こう。
(外出するんだから、もちろん市街地にでるわよね。みんな、どんな生活をしているのかしら。楽しみすぎて眠れない…!)
そんなことを思いながら、私は結局ゆっくりと眠りについていった。
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