第3話 婚約したくありません
もう一度目が覚めてから、よくよく周囲を確認してみても、私はやっぱりレティシアだった。そして、やっぱりパルティス公国の公女だった。
「あれは、夢じゃなかったのか…。」
水面にゆれる柔らかい光のことを思いだした。レティシアともっと話をすればよかった、と後悔する。もっと何か情報を得られていたかもしれないのに…。
この世界の医者には、身体はもう問題ない、と診断され、今はこの豪華絢爛な自室で療養するように言われている。
頭痛は、レティシアの最後の記憶が流れ込んできたせいだったようだ。今は、先ほどの頭痛が嘘のように落ち着いている。
そう言えば、脳の海馬に多くある、中枢神経系のAMPA受容体が記憶を司っていたなぁと、どうでもいい事が頭をよぎる。だから頭の芯が痛かったのかもしれない。
それに、レティシアの記憶とメイドさん―クロエと言うらしい―との会話で分かったことがいろいろあった。ところどころ、断片的ではあるし、私の世界の常識とかけ離れている部分に関しては受け入れがたいが、興味深いこともある。
「そう、ここは、パラレルワールド!!」
あっちの世界では存在証明もできなかった世界に、私自身が来てしまったのだ。
幼い頃、『なんのために勉強するのか?』という誰しもが思う疑問に、私は「人間と宇宙と物質の謎を解明するためだ!」という独自の真理に行きつき、生理学を主体にして様々な知識を学んできた。パラレルワールドの存在は理論物理学上、未解明の問題のうちの一つ!そこに存在できるなんて…!もっとこの世界のことが知りたい、という好奇心がむくむくと湧き上がってくる。
ただ、目下、この世界で楽しく生きていくにあたって、大きな問題が二つある。隣国であるランドバルト帝国の第二皇子に嫁ぐ事が決定しており、婚約式が1年後に開かれるという事と、それを妬んでいる義理の妹の事だ。
「お姉様、もうお身体はよろしいの?」
扉のノックと共に、少し幼く甘えたような声で部屋に突然入ってきたのは、例の妹だ。顔立ちこそ少しレティシアと似ているが、ウェーブが強くかかった少し重ための茶髪を、後ろに長く垂らしている。ドレスは襟が詰まった上品なドレスだが、総レース仕上げの豪華なものだと一目でわかる。
お付きのメイドさんを数人引き連れて、こちらが許可してもないのに勝手に部屋に入ってくる。
「エリザベス…。」
「こちら、お見舞いの品ですの。受け取ってくださる?」
レティシアの妹エリザベスは、そう言って、メイドに目配せした。部屋の机に色とりどりのお菓子が置かれる。
「また何か変なものが入っているの?」
私はメイドたちによって積み上げられるお菓子を見ながら、妹に尋ねた。レティシアがこの世界で亡くなった理由は、エリザベスのせいだ。
私はレティシアの最後の記憶がまだ新しい。まざまざと脳裏に残っているのは、食事の最中、毒が入っていると気づいた瞬間に見たエリザベスの顔だ。倒れる瞬間、エリザベスが真っ赤な唇を斜めに吊り上がったのが分かった。
「いったいなんの事かしら?」
エリザベスは、あの時の毒々しい笑顔を貼り付けながら、こちらをまっすぐ見つめてくる。
「あの時、食事に毒をいれたのはエリザベスよね?」
「お姉様、まだお身体の調子が悪いのかしら…?」
そう甘えたような声で話し、困った顔をする。お菓子を積み上げ終わったメイド達は、そのセリフをきっかけに、レティシアの部屋から出ていった。二人きりになった部屋で、エリザベスは笑いながら言い放つ。
「残念だわ、すっかり元気になられましたのね。」
「おかげさまでね。」
「あらあら、別人のように元気になりましたのね。いつも泣くことしかできなかった愚鈍な引きこもり姉様はどちらに行かれたのかしら。」
「遠くに行っちゃったわ。」
レティシアは本当に遠くに行ってしまった気がしたので、事実を答えたまでだったが、反抗的なレティシアに、エリザベスは少し面食らったような表情だ。
「どうして私を殺そうとするの?」
私は、ずかずかとレティシアが聞けなかったことを聞いてみる。
「殺す、だなんてそんな物騒な言葉を使わないでくださる?お姉様がランドバルト帝国の皇子殿下との婚姻をわたくしに譲ってくださればよいのよ?」
「譲るわよ。私はその皇子との結婚なんてしたくないもの。」
その皇子との出会いは最悪だった。
レティシアがまだあどけない幼少期、周辺国の要人が出席するパーティーが開催され、その皇子も参加していた。レティシアの古い記憶なのでまったくと言っていいほどわからないが、容姿について何かを言われたか何かをされたかで、強烈に不快で不気味な感情だけが身体に残っている。
レティシアが髪を手入れしなくなったり、引きこもりがちになったのは、そいつが原因のようだ。
「何を馬鹿なことを…本気でおっしゃってますの?」
「どういうこと?」
エリザベスは毒々しい笑顔をさらに毒々しく歪める。
「公王陛下であるお父様と、帝国の皇子殿下が、お姉様を選定しましたわ。わたくしがどうこう言える立場ではございませんの。」
「でも、この国の姫は二人いるんだし、歳もそんなに離れてない。嫁ぎに行きたい人がいけばいいのに。どうして?」
「お姉様は、頭までおかしくなりましたの?帝国の皇子殿下はお姉様の唯一の取り柄としかいえないその容姿がお気に召したようですわよ。公王陛下も、お姉様のような、政治もできない、公務もしない、愚鈍な者に国を任せたくはないでしょう?どこにいるかもわからない放蕩のお兄様が戻るならまだしも、公家一番のお荷物であるお姉様を嫁がせて厄介払いをするのが、陛下は一番良いと考えているようですわ。」
「そんな…。」
(レティシア、半分くらいはあなたの努力不足では…?)
頭の中で、少しだけレティシアに悪態をつきながら、私はどうしたらいいか、あれこれ悩ませる。
「ですから、わたくしはお姉様を亡き者にすればよいのですわ。」
(論理が飛躍しすぎてる!)
私の世界、少なくとも日本の一般家庭で育った私には、当然理解できない結論で、頭がくらくらしてしまう。
「お姉様が初めて質問なさるから話をしてしまいましたけど…これでお終いかしら?わたくし、これ以上お姉様と会話する気はないのですけれど?」
「あ、そうね…なにかお互いにとって打開策があればよかったんだけど…。」
「ありませんわ。わたくしと共に打開策を見つけようとする行動力がおありでしたら、公王陛下を説得なさることね。」
そう言って、エリザベスはくるっと振り向き、部屋を出て行った。
入れ替わるように入ってきたクロエが、おそるおそる聞いてきた。
「お嬢様、このお菓子、どうしましょう?」
「このお菓子達には申し訳ないけど、捨ててしまいましょう。」
「かしこまりました。」
クロエはこの城の中で、唯一と言っていいくらいのレティシアの侍女だ。引きこもっていたレティシアに対して、使用人もあたりがきつかったが、クロエだけはずっと変わらず接してくれた。母親が早くに亡くなったレティシアにとって、親代わりの存在だった。
「やっぱり、絶対嫌ね…。」
「何か言いましたか?」
私は、さっきのエリザベスとのやり取りも含めて、こちらに来てからの身の振り方をずっと悩んでいた。
「気味の悪い皇子様との結婚も、妹に命を狙われるのも、嫌に決まってるわよね。」
「どうなされたのですか、お嬢様?」
おとなしいレティシアが、今まで文句も言わずに受け入れていた周辺環境について、初めて言及したので、クロエは驚いた。
私は、この城を逃げ出してやる決意をする。
「まずは、このうっとおしい前髪を切りましょう。」
そう言ってクロエに浴室に案内してもらうよう頼んだ。
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