第四章【9】 救出



          §§§



 絶対的だと思われていた事柄があっさりと崩壊する、という瞬間がときとして起こる。


 たとえば、圧倒的なまでの権力を誇っていた支配者が革命によって立場を失う瞬間。


 たとえば、永劫に続くとまで言われた人類の文明が様々な要因によって自壊する瞬間。


 その瞬間まで覆ることなどないと考えられていた事柄が塵芥のように無に帰すときになって、ヒトはようやく絶対的な常識など存在しないと気づく。


 その日〝帯〟に起こった事態もまた、そうした常識を破壊するものだった。


 ただ宙に浮かび、干渉する術がない代わりに干渉してくることもない巨大な構造物。


 太陽や月と同じ、目に映り常に存在を感じながらも決して手の届かないはずの光景。


 それが瞬間、ひとつの〝絶対〟が崩壊した。



          §§§



《太陽光発電衛星》迎撃システムの起動を感知。

 高エネルギー反応あり。


《超重力防壁装甲》を部分展開。

《カーミルラ》本体の装甲表面に一体化させた《バーネイル》の機能を限定的に解放する。


 被弾、〈吸血ドレイン〉開始、重力バリア形成。


 被弾、被弾、被弾、なおも被弾。


 エネルギー許容量に問題なし。

 このまま突撃を続行。


 壁面に激突。《超重力防壁装甲》の解除と同時に、《カーミルラ》機首部の兵装を全力稼働。


 壁面部に発生した重力バリアを解析、非常に堅固、突破のためのエネルギーを算出。


《複合力式破砕杭》による突貫を決行。

 電磁放射および〈収束光子砲リーサル〉の零距離発射により、局所的に防護システムを崩壊させる。


 過負荷検知、許容範囲内。

 突入まで3、2、1──


 突破、接触、ハッキング開始。

 管理システムの一部に介入。


第五位真祖フィフス・ロード》のアクセス権を利用し、《第一位真祖ファースト・ロード》の所在を探索。


 検出まで──



〝声〟がしらせる。

 彼女の居場所を、自分が目指すべき場所を。


『いってらっしゃい、《覇王レイレクス》』


 言われるまでもなく急行する。


 機体と接触している壁面部から〝帯〟内部に潜入、単身で目的地に向かう。


 初めて見る〝帯〟の内部は、迷路のごとき複雑な組成だった。


 用途も不明な構造体が入り組み、霊血アムリタで構成された《衛星》を維持している。


 まるで巨大な蛇の腹のなかにいるかのような感覚だ。


 そして、障害は苛烈だった。

 過剰なほどの殺意に満ちた侵入者邀撃ようげきシステムが行く手を阻む。


 問題ない。

 ただ傷つけ、殺すことが目的の攻撃ならば凌ぎ押し通せば済むだけのこと。


』『』とえるように激しい迎撃を耐え抜いて、たどり着くべき場所を目指す。


 断鎧カヴァーラの損傷率、軽微。


 尋常ではない攻撃に装甲が削られていくも、瞬間的な修復によって大事には至らない。

 戦闘行動には支障ない。


 肉体に関しては──彼女を救い出すまで持ち堪えれば、やはり問題にはならない。


 何層目かもわからない障害を突破して、何度目かもわからない蘇生を繰り返す。


 彼の肉体は当然のように〝死〟を繰り返した。

 鋼のように鍛え上げた身体でなお、肉が弾け骨が砕け、血管が幾度も破裂するような負荷のかかる運動を行った結果だ。


 だが、彼は絶対にとまらなかった。

 動くための肺や心臓そのものが何度もとまるも、肉体の動作は決して停止させることなく進み続けた。


 ただ、意志があった。


 ほかのなにもかも、唯一の頼りであるはずの肉体すらも消耗の一途をたどりながら、ただ己を突き動かすための意志があった。


『悪いニュース。アリムラックの位置が移動している』

「──、──」


 返答もせず、絶望もせず、ただ即応する。


 当然といえば当然。

 敵が同じ場所に少女を留めたままにすると考える方が都合がよすぎる。


 瞬時に伝えられた場所に向かうために態勢を整え、移動を継続する。


 邀撃ようげきは激しさを増すようだったが、相手が移動しているというのなら速度を上げなければならない。


 すでに〝死〟に近い場所から、さらに一歩前に近づくように加速する。


 そして何度目かの最期に、彼は彼女のもとにたどり着いた。


「──、──」


 四肢を拘束する枷ごと中空を移動する少女の姿を捉える。


 さらに加速、ひたすらに自身を研ぎ澄ますように集中する。


 ここで失敗すれば見失う。


 ならば満身創痍からなおも全身全霊を捧げることに、なんの躊躇があるというのか。


 男の手には、まるで紙のように薄い刀身が握られていた。


 薄く、軽く、ただ〝切断〟という用途のために生成された武装。


 それを一息に振るい、少女の右腕を捕らえる枷を切り払う。


 その一振りで刀身は脆く砕け散った。


 霊血アムリタ製の拘束具を破壊すべくナノサイズの鋭利さを維持させた刃は、ほんの僅かに手元が狂うだけで最低限の結合力を失い崩壊する。


 ただ一度きりの切断でこわれる武装。

 途中で毀れぬように振るった男の腕もまた、絶技の代償に崩壊の寸前まで追い詰められる。


 どちらも、次の瞬間には再生する。


 再構成される二振り目の刀身。

 男の腕は完全に再生を終えてはいないが、断鎧カヴァーラの補助によって行動には支障ない。


 振り抜き、少女の左腕を解放する。

 当然のように、刃と男の腕が毀れる。


 三本目の刃を生成し、振るう。

 筋繊維が崩壊した腕が悲鳴をあげるも、無視して動く。


 四度目の斬撃。

 左脚に続いて右脚の枷を切り裂き、少女の四肢を解き放つ。


 機械であれば動作不良オーバーヒートも同然の状態だった。


 すでに絶え間ない過負荷によって極限の場所まで近づいていた男の肉体は、四度の絶技を放つことで完全に限界を超えていた。


 それでも、彼は中空に放り出されたアリムラックの身体を意地でも受けとめた。


「……ぁ」


 ひたすらに傷ついた男の姿に、少女は息を呑む。


 純黒色の全身鎧に損傷はない。


 直前まで迎撃システムの猛攻に晒されダメージを蓄積させていた断鎧カヴァーラは、すでに完全修復を終えていた。


 装甲を構成する霊血アムリタが自己増殖と修繕を繰り返して、目に見える損傷も目に見えない損傷も、どちらも回復させていた。


 装着者であるラルゴの肉体に関しては、その限りではなかった。


 純粋な霊血アムリタの構成物である断鎧カヴァーラと異なり、亜祖レプリカである男の身体は再生能力が格段に落ちる。

 未完成の不死者ヴァタールであるがゆえに、瞬間的に傷が回復するようなこともない。


 ダメージは回復速度が追いつかない頻度で蓄積し、今この瞬間にも彼の精神を蝕んでいた。


「…………すまない」

「なにがだ?」


 謝るアリムラックに、ラルゴは淡々と尋ねた。


「すべて、わたしのせいだ。君は嫌がっていたのに。その理由が今、ようやくわかった」

「……」

「君は、こうなることがわかっていたんだな。かつての君に戻れば傷つくしかないということを無意識に理解していたから、君は《覇王レイレクス》としての記憶を失ったままにしていたんだ」


 ラルゴは応えない。

 ただアリムラックの懺悔にも似た告白に耳を傾けている。


「それなのに、わたしは自分のなかの『君に会いたい』という理由だけで君が静かに暮らしているところに会いに行ってしまった。だから、すべて、わたしのせいだ……」


 零れる言葉は、まるで涙のようですらあった。

 みずからの精神と肉体をコントロールできる真祖ロードは、感情の昂りによって涙を流すようなことはない。

 それでも、紡ぐ言葉から〝後悔〟という気持ちを除外することはできなかった。


「わたしのせいだ。わたしのせいで、君は嫌がっていたのに、わたしの……」


 いや、自身をコントロールする機能すら今の少女は失おうとしていた。

 ヒトを超えた頭脳は常人よりも高速で思考を巡らせ、負の感情すらも加速させようとしている。

 自責の言葉を繰り返すアリムラックを抱えながら、ラルゴはぽつりと呟いた。


「最初に会ったときから思っていたんだが……」

「……?」

「やっぱバカだわ、お前」

「────な」


 時間がとまったように、少女の顔が硬直した。

 あらゆる思考と情動がストップしたらしい。


「はああぁあぁぁああぁぁぁぁあああぁぁぁぁああッ……⁉」


 そしてとまってしまった感情を取り戻すように、アリムラックは盛大に絶叫した。


「待ちたまえ! その言葉は聞き捨てならない! わたしのどこがバカだと言うのだい⁉」

「……どう考えてもバカだ。この状況で叫んだらおれの傷に障ることぐらい予測できるだろ」


 全身に響く絶叫の感覚に表情を僅かに歪めながら、ラルゴは兜の下で苦笑する。


「え、あ、すまない、申し訳ない」

「そういうところもバカっぽい……というか素直すぎるな。おれが勝手に行動して勝手に負った傷なんだから、お前が申し訳なさそうにする理由なんてあるかよ」


 言いながら、ラルゴは抱えたままのアリムラックの身体に一瞬だけ視線を落とした。


「……あとは、アレだな……裸のまま泣きそうになったり叫んだりするとこもバカっぽい」

「あ……いや、これはだね。服を再生するだけのリソースがなかったからであって……」


 気まずそうに目を逸らすラルゴに、アリムラックもまた気まずそうに弁解する。


 現在の自分が本当になにも身に着けていない状態であることを、言われてしまってあらためて認識する。


 彼女を拘束していた枷の能力によって、肉体の外部に対するあらゆる霊血アムリタの作用が妨害されていたのだからどうしようもなかったのである。


 あられもない姿を今さらながら手で隠そうとする少女に、男は一考した。


「あー、こうか?」


 頭のなかでイメージする。

 全身を覆ったままの断鎧カヴァーラの一部を変形させ、分離させる想像。


 変化は、やはり一瞬だった。

 彼が考えた通りに、鎧を構成する霊血アムリタが変貌する。


 アリムラックに触れている手甲の一部が離れて、次の瞬間には白い肉体を黒い外套が包み込んでいた。


「ああ、できた。けど、お前がやるよりずっと雑だな。気に入らないなら自分で変えてくれ」

「……いや」


 自分を包む黒い外套を抱くようにしながら、アリムラックは呟いた。

 たしかに、粗末な品だった。

 荒々しく、細部の出来も上等とは言いがたい。

 真祖ロードである少女が手を加えたのなら、もっと高品質のものに作り変えることができるだろう。


「ううん、これでいい。わたしは、これがいい」

「……そうか」


 けれど、彼女はそうしなかった。

 したくなかったから、しなかった。

 代わりに、今したいと思ったことを少女はすることにした。


「……君に負けたあの日から、君のことを考えて生きてきた」


 告白は、少しだけ怯えを含んでいた。

 告白という行為に対する怯え。相手がどう反応するかという想像への怯え。

 それらを上回る勇気を胸に、アリムラックはみずからの想いを言葉に変換する。


「ほかのことをしているときも、君がどういう人間なのかを想像せずにはいられなかった」


 それは、五〇年におよぶアリムラック・ヴラムスタインという存在の人生の言語化だった。


 自身が変わる契機となった人物への告白であり、自分がどういう風に生きてきたかの証左。


 結局、彼女が現在の性格になったのはラルゴという人間への〝興味〟に起因している。


 不死者ヴァタールとしての性能だけなら、敗北することはありえなかった。

 あの日、吸血機ヴァルコラクスを駆り〈惑星〉を改造して回ろうとしていた自分が墜とされたことは、信じられないほどの衝撃だった。


 その精神的な衝撃が、今のアリムラックを形作っている。

 敗北し、自分を負かした相手に対して興味を抱いたことが、人間性を発露する理由になった。


 彼がいなければ、今の彼女はありえないのだ。


 もはや彼を知らなかった自分のことなど考えられないほど、ラルゴという存在はアリムラック・ヴラムスタインという少女に根づいている。


「君のことを考えなかったときは、一日たりとも、一秒たりともない」

「──……」


 アリムラックの告白に、ラルゴはしばし言葉を失った。

 今の言葉を紡ぐのに、どれだけの想いと勇気が必要だったかを想像して、感じ入る。

 やがて、溜め息を一度だけ吐いてから彼は口を開いた。


「重いんだよ、バカ」

「……本当に、わたしはバカなのかい?」

「まあ……そこはお互い様か」


 苦笑して、ラルゴは僅かに視線を横へと向ける。


 黒髪黒眼の真祖ロードが、少し離れた位置からふたりのことを見ていた。

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