第二章【7】 変転

「────」


 声が出せたなら、ラルゴは絶叫していただろう。


 なにが起こったのか、瞬時に理解してしまった。


 あの少女は──アリムラックは立ち上がるだけで精一杯のラルゴと敵のあいだに立って、その攻撃から彼を守ろうとしたのだ。


 赤い鮮血が弾ける。

 少女の肉体すべての血が噴き出したのではないかと思える量の赤い液体が、膨らみ過ぎた水風船のように迸る。


 死んだ、死んでしまった。

 どう見ても致命傷だ。


 なぜだ、と音にならない声で叫ぶ。


 おれは平気なのに。

 どれだけ殺されようと死ぬことはないのに、そんな人間を庇ってどうする。


 回答こたえは、すぐに目の前で現れた。


「心配性というヤツだな、君は」


 また、聞こえるはずのない彼女の声が聞こえた。

 今度こそ幻聴かと思ってしまった。


 爆ぜた血溜まりが、急速に生き物のようにうねりを打つ。

 砕けて欠片のようになった白い骨が、その中に見えたような気がした。


──平気なんだよ」


 気づいているかと思っていたんだが、と真っ赤になった全身で彼女は言う。


 それも、一瞬の出来事だった。


 砕けた骨が繋ぐ、千切れた肉が癒着する。


 完全に破壊されたアリムラック・ヴラムスタインの肉体が、五体満足の白い姿を取り戻す。


「ああ、しまった。君を庇う前に服を脱げばよかったな。ズタボロになってしまった」


 僅かに残った純白のドレスを見ながら、アリムラックは言う。


 その余裕のある言動に、毒気を抜かれたようにラルゴは少女に見惚れた。


 やはり、彼女はどこまでも美しかった。


 いっそ服など着る必要もないのではないか、とそんなおかしな発想すら抱いてしまうほどの、完成された肉体。


 切り刻まれたはずの白い肌には、すでに傷ひとつ残っていない。


 気づけば、周囲の襲撃者たちはラルゴたちから距離を置いて取り囲むようにしていた。


 死に体の男と無力な少女、そんなふたりを警戒するようにしている。


「ふむ、わたしの血を流さずに捕縛したかったのだろうな。とはいえ、安心したまえ。一滴残らず肉体の方に再生させた。今の出血を利用するようなことはないよ」


 自分を狙う存在にさえ、少女は寛容だった。


 直前に殺されたはずであるのに、そのことを恨む言葉すら口にすることをしない。


 そんな些末な感情よりも、傍らにいる男に話しかける方がアリムラックにとって大切だった。


「さて、聞こえているかな? わたしの言葉は伝わっているかい?」

「……ぁ……」

「ああ。大丈夫、無理に答えようとしなくていい。答えようとするだけで、わたしにはわかる」

「…………」

「いや、それにしても君はやはりすごい。そのダメージで立ち上がれるなんて信じられない。普通は絶対に不可能のはずだよ?」


 妙に楽しそうに話す少女に、腹が立ってきた。


 落ち着きすぎているのもしゃくに障るが、こうも余裕を持たれるのも怒りが湧いてくる。


 そんなラルゴの心情を知ってか知らずか、ほぼ裸身の状態のまま白い少女は彼に話しかける。


「あらためて自己紹介した方がよさそうだね。〈真祖ロード〉アリムラック・ヴラムスタイン。不死者ヴァタールの完成体にして、不死者ヴァタールラルゴの大ファン。《永遠の美少女天才科学者》だよ」

「…………」


 結局、その名乗りは必要らしい。

 譲れない拘りがあるようだった。


「こんなときに申し訳ないが、提案だ」


 一方的に喋りながら、アリムラックはラルゴの顔を見上げた。


 ひしゃげて原形を留めていない兜の下にある、潰れた男の眼球を真っ直ぐに見つめる。


「この際、わたしの護衛をするかの議題は置いておいて。状況を切り抜けるために協力し合えないだろうか?」

「…………」

「まあ、その、なんだ……君は怒るかもしれないが〝仕込み〟はすでに済ませていてね。君の了承を得られるなら、すぐにでも君に力を貸すことができるわけで」


 なにを気まずそうにしているのか。

〝仕込み〟とは一体なんのことなのか。


 疑問は湯水のごとくラルゴの頭に湧き上がろうとするも、そもそも思考するための機能が低下している状態なので途中で本当にどうでもよくなってしまった。


 だから、僅かに動く目だけを使って相手に意思を伝えることにする。


 お前を助けるために、おれを助けろ──と。


 そう一念しただけで、少女はすべてを理解したようだった。

 嬉しくて堪らない、といったふうに綺麗な顔を無垢に輝かせる。


 そのとき、ふたりを取り囲んでいた純白の全身鎧のうちの一体が動いた。


 ラルゴの背後に立っていたその人物は、障害となるものを排除すべく再度襲いかかろうとする。


「それでは、失礼するよ」


 そう言って、アリムラック・ヴラムスタインは自身の血を作動させた。


 赤黒い鎧の表面、目に見えないぐらいに微量に付着していた彼女の血が、機能を開始する。


 本当にごく僅かな、それこそという量の血だったが、問題はない。


 モーションもコマンドも不要。

 念じるだけで、それは魔法のように事象を発生させる。


 ザワ、と一瞬だけ身に着けた全身鎧が動く気配をラルゴは感じ取った。


 本当に、一瞬の出来事だった。


 視界が変わる。

 穿うがたれ、引き裂かれて元の形を失っていた鎧がうごめくようにたわんで──


 背後から迫る純白のアーマー。

 朧気な感覚で、ラルゴはその気配を感知する。


 反射的に肉体を動作させた。

 痙攣するだけだった右腕が、思い通りに動く。


 ズシリ、と。


 漆黒に変色した鎧の籠手が、純白の鎧を地面に叩き伏せていた。


「…………」


 なにもかも反射的に動いたあとだったので、変貌した自身の姿をラルゴは呆然と見下ろした。


 黒、どこまでも昏い漆黒。


 艶ひとつ浮かべることのない、純度の高い闇のような黒色。


 赤黒い全身鎧が、純黒のアーマーへと変化していた。


 砕けていた装甲が元通りに、いや以前よりも強度を増した状態で修復している。

 頭頂部から足の指先まで、すべての装甲が一体化している。


 濃厚なシルエットのように黒くなった自分の右腕を、ラルゴは頭の高さまで持ち上げた。


 動く。

 なんの支障もなく動く。


 装甲そのものが動作を支える役目を果たしているのか、生身の腕を動かすのと変わらない感覚で右腕は持ち上がった。


 足下に倒れ伏したままだった純白のアーマーが、立ち上がろうとする。


 全力で殴ったつもりだったが、白い装甲の表面にはひびのひとつも入っていない。

 相変わらずの硬度だった。


 もう一度殴打したところで破壊できる気がしなかった。

 試す気にもならない。


 だからその場で、ラルゴは思い切り相手を蹴飛ばした。


 すさまじい衝撃と、衝突音。


 純白のアーマーが横跳びに海へと吹き飛ぶ。


 空中で体勢を立て直す余裕すらなかったのだろう。

 まるで水切りの投石のように何度も海面を飛び跳ねながら、最後に遠い場所の海中へとそのアーマーは没した。


「──」「──」「──」「──」

「うわあ、すごいな! いきりなそんな威力を出せるなんて、やはり君はすごい!」


 吹き飛ぶ仲間の姿を目で追う純白のアーマーたちと、無邪気にはしゃぐアリムラック。

 そのあいだに立ち塞がるようにして、純黒の全身鎧を纏ったラルゴは残る敵を見た。


「…………来いよ」


 口を動かすのも少し楽になっていたが、やはり長く話すのは無理だろうだったから、彼はそうとだけ言い放つ。

 蹴り飛ばされたいヤツから向かってこい、と昏い色の全身が告げていた。


「……」「……」「……」「……」


 無言の逡巡のあと、残った純白のアーマーたちは一斉に撤退を開始した。


 目で追っていたにも関わず、その忽然さはやはり異様だった。


 気づけば、すべての襲撃者が先ほど蹴り飛ばされた仲間を追うように海中へと姿を消していた。


「………………終わったのか」


 浜辺に立ち尽くすようにしながら、ラルゴは独り言ちる。


 鮮やかな退却だった。

 だが、鮮やかすぎると別の思惑があるのではと警戒してしまう。


「まだだよ。というより、おそらく次が本命かな」

「…………なに」

「いや、君はもう休んでくれて大丈夫だ。これはさすがに君でも対処不可能だ。……聞こえるか?」


 ラルゴに対していたわりの言葉をかけつつ、唐突にアリムラックはこの場にいない誰かに対して話し始めた。


 その視線は、頭上を向いていた。

 誘導されるように、ラルゴも空を見上げる。


 そして、瞠目した。


 はるか上空にあるはずの〝帯〟が、ロック村の直上にあった。


 巨大なベルト状の構造物の一部が形を変え、これまで見たことがないほどに地上に接近していた。

 静かに、地上にある小さな村を見据えるように。


 ありえない異常事態だった。

 五〇年もの間ただ〝在る〟だけだったはずの物体が、なぜ今この瞬間に動き出したのか。


「現在位置は? ああよかった近いな。うん、すまない一度死んでしまった。そのときに演算の隙を衝かれたな」


 すさまじく早口で独り言を話す少女を、ラルゴは立ち尽くしたまま眺める。

 なにが起ころうとしているのか、まったく状況が飲み込めなかった。


「いや発射シークエンスを妨害するよりは君がこの場所に急行する方が確実だ。そう、妨害そのものは続けるがわたしだけでいい。君は全力でここを目指してくれたまえ」

「……おい」


 立て続けに不穏なワードが聞こえて、堪らず声をかける。

 それに、アリムラックは頭上の〝帯〟を睨みながら、


「なんだね休んでくれて大丈夫だと言っただろう。いや君と話したいの山々だが非常に立て込んでいてね。イース、君も急いで村に戻れ。おそらく残り一〇秒もない」


 息継ぎすらせずに話し続ける少女に、もうなにも言葉をかけることはできなかった。


 この場にいないはずの誰か、そして自分の従者に言葉だけで会話するようにしながら、アリムラックはなおも〝帯〟を睨み続ける。


 最後に一度だけ、彼女は嘆息するように呟いた。


「ああ、やはり〝君たち〟は優秀だ。さすがはわたしたちの同胞。……撃たれるな、これは」


 惜しみのない、賞賛のようですらある呟きだった。

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