第二章【6】 覚醒



          §§§



 最初の記憶は、悲鳴とも慟哭どうこくともつかない、誰かの声。


 誰かが叫んでいる、誰かが泣いている。


 それが理不尽な暴力によって強制されたものであることを、朧気な意識で認識する。


 認識できたところで意味はなかった。


 ハッキリとしない意識でも理解できる。

 今の自分の身体は、どうしようもなく死んでいる状態であるということが。


 肉が死んでいる、骨が死んでいる。


 なにより、それらを動かすための神経が死んでいる。


 死んでいるのだから動かしようがない。

 しかし死んでいるのならそもそも意識すらないはずだという矛盾を、どこかめた感情で観測する。


 また、声が聞こえた。

 今度は、さっきよりも大勢の声だった。


 叫び声と泣き声と、男たちの怒声。

 そして、断末魔のようにくぐもる、誰かの声。


(────)


 その〝声〟に対して起こった肉体の変化に、誰より自分が驚いた。


 動くはずのない肉と骨が軋む。

 働くはずのない神経が四肢に命令を送ろうと躍起になる。


 なぜだろう、と考えて答えは明瞭だった。


 許せないだけだ。

 見過ごせないだけだ。


 力を持つ者が不条理に力を振るい、力のない者が理不尽にしいたげられるのを、ラルゴは許容できないというだけのこと。


 そう認識すると同時に、それが自分の名であることを理解する。


 ほかのなにもかもが判然としないなかで、頑強なまでの意思だけが動くはずのない肉体を突き動かす。


 死んでいたはずの血と肉が活性化し、末端まで蘇生を開始する。


 それが、最初の記憶。


 まだロック村という名すらなかったころのとある漁村で起きた、一連の出来事。


 村を襲った奪落者ボルフたちを恐怖に陥れた、とある用心棒の始まりだった。



          §§§



「そこまでにしてくれ。それ以上、彼を傷つける必要はない」


 聞こえるはずのない声が聞こえた。


 幼すぎるほどの、けれど泰然とした、少女の声が。


 本来なら聞けようはずもない声だった。


 おそらくは、偶然にも音を拾うための耳の機能の一部が残り、偶然にもそれを認識できるだけの脳の機能が残ったというだけの巡り合わせ。


 あれだけ派手に殺されてよくそれだけ残ったものだ、と無事な部分の脳で考える。


 考えることができるだけで、ほかにどうしようもない。


 肉体の感覚がなかった。

 痛覚を感じることができないほどに神経が破壊されたのだろう。

 当然、指一本すら動かすこともできない。


 聞くだけと考えるだけの身体で、周囲の状況を推しはかる。


「彼は最初から関係がない。目的はわたしだけなのだから、ほかの人間に危害を加えないでくれ」


 耳障りなほどに冷静な話し方だった。


 自分と喋っていたときのような子どもらしさがまったくない。


 もしかすると、こちらの口調の方が素の性格なのかもしれない。


「さあ、わたしを連れていきたまえ。今回の首謀者はアルカルドだろう? 久しぶりに同胞に会うのも、別に悪いことではない」

(…………)


 本当に、気に障るほど冷静な話し方だった。


 自分の運命を受け入れて──受け入れてしまった者特有の、落ち着いた声音。


 どうでもいいから、さっさと全員まとめて消えてくれ。


 そう、心の底から考える。

 これ以上、わずらわしい話は聞きたくもない。


 とはいえ、このまま黙って死んでいれば彼女たちは早々に立ち去るだろう。


 そうなれば、あとのことはどうとでもなる。

 時間はかかるだろうが、肉体が再生して立ち上がれるようになる。


 そこまで待っては手遅れだと、ラルゴ自身が言っていた。


(────)


 バカが、と自分を罵倒する。


 このまま死んでいろ。

 立ち上がることすらできないというのに。


 仮に立ち上がれたところで、なにをするというのか。

 なにをしたいというのか。


 そんなことは、さっき見た記憶ゆめの中で理解わかり切っていた。


「…………ぃ」


 腕に意志ちからを、脚に意志を。

 動かそうとするだけで喪失していた感覚が蘇り、尋常ではない激痛で発狂しそうになるが、それでも動くのをやめることはできなかった。


(…………立て)


 今はそれだけを念じる。

 そのあとのことは、できてから考えればいい。


(立て、立て、立て、立て立て立て立て立て立て──!)


 立って、あいつを。

 あの少女の前に立て。


 ほかの誰でもない、ラルゴという己自身が自分に命じている。


 ギジ、と肉の繊維が奇妙な音を鳴らした。


 修復が始まったのか、それとも無理が高じてさらに損傷したのか。

 どちらでもよかった。


 まずは腕。

 まともに動くことはなく痙攣するだけのような腕力で、上半身を持ち上げる。


 そこでようやく、俯せの体勢になっていたことに気がついた。

 まだ目が見えるほどに回復していないので、平衡感覚だけでそれを理解する。


「…………なにをしているんだ、君は」


 あの少女の声が聞こえる。


「よすんだ。まだ立ち上がれるほど再生していない。不可能だ」


 うるせえ、と言い返そうとして、まだ話せるぐらい口の形が再生していないと気づく。

 しかたがないから、再び立ち上がることに神経を集中させる。


 左腕を伸ばして身体をさらに持ち上げようとして、上腕の骨が砕け切っていることに気づく。

 しかたがないから、右腕と下半身の膂力だけで全身を支える。


「……やめてくれ。わたしが原因だ。わたしの身柄を引き渡せば済むのだから、それで──」

「……だマれ」


 どうにか一言だけ発することができた。

 その一言のために治りかけていた口のなかがさらに歪んでしまったが、もう言いたいことはそれだけだったので問題ない。


 そして、彼は立ち上がった。

 立ち上がることができてしまった。


 けれど、そこまでだった。


 立ち上がって、痙攣する両足で身体を支えるだけで限界だった。


「……」「……」「……」「……」「……」


 そんな彼を見る、いくつもの感情なき視線。

 死に体の男をどう処理するかと冷淡に思考している。


「待て、わたしは傷つけるなと言った──」


 制止しようとする少女の声が叫ぶ。


 そのとき、ようやくラルゴの視界が光を取り戻そうとしていた。

 潰れた眼球が復元を開始して、外部の情報を取り込み始める。


 だが、意味はないだろう。

 見えたところで反応できない。


 数秒先に訪れるのは、先ほどの再現だ。


 今度はさらに容赦がなくなる。

 肉体を切り刻んでも立ち上がるのなら、四肢ごと切り落とせばいいのだから。


 その、瞬くほどの刹那の時間のあとに襲いかかる〝死〟をラルゴは視ようとして、


 切り刻まれ、肉体を四散させる少女の姿を目撃した。

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