第一章【3】 ラルゴ

(相変わらずアンバランスな身体だ)


 自嘲するようにラルゴは思う。


 体格そのものはまさに〝筋骨隆々〟の一言で表現できるほどに、ラルゴという男の肉体は極まっていた。

 鎧をまとわずとも、鋼のような筋肉が全身を覆っている。


 とても一朝一夕の鍛錬で身に着けられる状態ではない。


 武人と呼ばれる類の人間が、その生涯を修行に費やしてなお獲得できるかどうか、という領域ではないだろうか。


 しかし完成度の高い肉体に対して、男の容貌そのものは若々しかった。

 青年、といえるほどの年恰好にさえ見える。


 だからこそ、病的でさえある髪の色と肌の色が際立つ。


 髪は老人のようにくすんだ白色をしており、肌はシミひとつ傷ひとつとしてないが、その代わりに青く見えるほどに血色が悪い。


 極限まで鍛えられた筋肉質の身体に、年若い容姿、不健康そうな色の外見。


 そんな不揃いの要素が、ラルゴという人間を構成するものだった。


「わー、いつもどおりムキムキだー」

「おいコラ、勝手に触んな。くすぐったい」

「えー、減るものでもないし触らせてよ。おー、かたーい」

「やめろバカ。鎧の片づけはどうなったんだよ?」

「言われたとおりにやったよー」


 見れば、確かに重い部分を残して赤黒い鎧はすべて部屋のすみに置かれていた。

 青白い肌を気味悪がることもなくベタベタと触れてくるイコに、ラルゴは苦笑する。


「わかったから一回離れろ。片づけが終わらねえ」


 片腕で軽く少女を脇に押し退けて、残った胴体部分の鎧をまとめる。


 仕事の際に身に着けるようになって久しい〈断鎧カヴァーラ〉は、頑丈さは一級品だが持ち運びに不便なのが玉にきずだった。


 兜や籠手など大きなパーツは分かれているものの、どれも一体型で細かく分割することができない。


 最初に鋳造した今の形状からは再加工することが不可能なほどに、特殊な素材なのだ。


 しかし、あえて別の道具を使う理由もない。


 要は、仕事でないときの置き場に困るというだけだ。

 胴まわりの部位も部屋のすみにまとめて、ラルゴは着替えを再開する。


 赤黒い鎧の代わりに、普段着にしているコートを羽織る。


 大きさだけなら全身鎧とあまり違いはない。

 足元まで伸びたすそを含む全身のフォルムは、やはり甲冑のように物々しかった。


「うわー、いつ見ても暑苦しい格好」

「しかたねえだろ。こうでもしねえと出歩くのも無理だからな」

「ホントに太陽が苦手なんだね」

「……結構デリケートな話題に踏み込んでくるよな、お前も」

「えー? だってあたしラルゴのこと好きだよ? 好きでもない人の着替えは手伝わないし」


 飾り気のない好意には、やはり苦笑するしかない。


「好き、か。だったら、おれのことをどれだけ知ってるか言ってみろよ」

「え、いきなりすぎない?」

「デリケートな話を始めたのはお前の方だろ。付き合ってもらう理由にはなると思うけどな?」

「うー、わかったよ」


 唸るように考えながら、イコは目の前の相手について話しだす。


「えーっと……すごく強い、すごく優しい、太陽が苦手、ムキムキ、格好が暑苦しい、いっつもトレーニングしてる」

「悪口が言いたいだけなら帰れ」

「違うもん! ホントのこと言ってるだけでしょ⁉」


 口を尖らせながら不満げに反論するイコ。

 その表情が面白かったので、つい自分の顔をほころばせながらラルゴは話す。


「わかったよ。で、ほかにはなにかないのか?」

「たまに意地悪、っていうのが今追加されました。うーん、ほかには……」


 迷うようにイコは少し考えて、


「昔の記憶がない、だっけ……?」


 そう、ラルゴにとっては当然の事実について言及した。


「……ああ」


 それがあったな、と言われて気づいたようにラルゴは頷く。


 普段から気にしていることではないため、不意に話題にされると反応に困るのだ。


「この村に来る前の記憶が、ないんだったよね?」

「そうだな。〝来る〟って言い方が正しいかわからないが、おれにはロック村以前の記憶がない」


 ラルゴという人間の最初の記憶は、このロック村で目覚めたときから始まっている。


 それより以前の記憶はなかった。

 ただ覚醒したときに頭のなかで最初に浮かんだ〝ラルゴ〟という言葉が、かろうじて自分自身のことだと理解できた程度だ。


 医者の診断を受けたわけではないので──医者という職業が形骸化してからも久しい──自己診断になるが、おそらく自分は〝どこでなにをしたか〟という『エピソード記憶』に関わる部分に障害があるのだろう。


 一般的な知識にまつわる『意味記憶』は正常に働いているし、いわゆる〝体が覚える〟記憶である『手続き記憶』も問題ない。


 どこで覚えたかも記憶していない知識と戦闘技術を駆使できるのは最初こそ奇妙な感覚ではあったが、今はもう慣れてしまっていた。


 そういう意味では、この村の住民たちには感謝に堪えない。

 素性も定かではない不審な人物を受け入れ、用心棒として村に置いてくれたのだから。


「前にも思ったことなんだけど、ラルゴは思い出したくないの?」

「うん?」

「昔のことだよ。自分のことなんだから、知りたいって思うのが普通なんじゃないの?」

「……別に、だな。どうにも、思い出したところでロクな記憶じゃない予感がしてな」

「ふーん?」


 素っ気ない返答にイコは納得していない様子だったが、ラルゴにしてみれば本当に過去の自分に関してはどうでもよかったのだ。


 生きることに支障ない以上、気にする必要はない。


「えー、まとめるとだな。おれは『すごく強い、すごく優しい、太陽が苦手、ムキムキ、格好が暑苦しい、いっつもトレーニングしてる、たまに意地悪、昔の記憶がない』」


 イコが言い連ねた自分自身の事柄について、ラルゴはあらためて自分の口から話す。


 あきらかに抜け落ちている項目があるが、それに言及しなかったのは少女の気遣いだろう。

 ならば、あえて話題にする意味もあるまい。


 ふむ、と思案するようにラルゴは頷き、


「やめとけ、やめとけ。おれがお前の親父さんだったら、こうして会うのも許さねえ」

「えー、なんで⁉」

「どう考えても如何いかがわしい人間だろうが。そんなヤツの家にいるのも、正直どうかと思うぞ?」


 説明して、ラルゴはイコに対してさらに忠告しようとする。


おれへの気持ちなんて、今のうちに捨てとけ。年の差もいいとこだし、第一お前の方が多分──」


 言いかけて、さすがに失言だと気がついた。


 恐る恐る、少女の方へと目を向ける。


 それよりも早く、ラルゴの腰あたりにイコの拳が当たっていた。


「…………馬鹿ラルゴ」

「……悪い。デリカシーがないのは、おれの方だったな」

「手が痛いんだけど」

「いや、それはお前が……ああ、違う。おれがなにもかも悪かったよ」

『迂闊に殴るのが悪い』と言いかけて、不服そうに見上げられて全面的に謝罪する。

「悪かった。許してください」

「それだけ?」

「……このあいだ、教えて欲しいって言ってた技があるだろ?」

「うん」

「アレでいいなら、いくらでも教えてやる」

「ホントに⁉」

「ああ。ただし、できるようになるかはお前次第だぞ?」

「やったー!」


 暗い部屋のなかで飛び跳ねんばかりにイコは喜ぶ。


(敵わねーな)


 内心で苦笑するしかないラルゴだった。


「ほら、わかってくれたなら自分の家に戻れ。今日の仕事はまだ終わってないだろ?」

「えー」

おれは別に構わないぜ? けど、親父さんに怒られるのは誰だろうな」

「うー、わかったよー」


 渋々といった様子で、頬を膨らませながらイコは帰っていった。


「……さて、と」


 自分だけの静かな空間となった部屋のなかで、ラルゴは火が点ったままだった壁の蝋燭を消す。


 暗幕に遮られ、陽の光が外から入ってくることはない。

 完全な暗闇が、室内に満ちる。


 それでも、なにも見えなくなるわけではない。


 最初から見えすぎるぐらいに、男の目は暗闇のなかで冴え渡っていたのだから。

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