第一章【4】 来訪



          §§§



 土色と空色の光景だけが、一面に広がっている。


 地上は不毛の大地が続くばかりで、上空は青空と巨大な〝帯〟が浮かぶのみ。


 そんな殺風景な荒野を、白いローブで全身を包んだ人物が歩いていた。


 頭まですっぽりとフードを被り、日差しから身を守るようにしている。


 純白の外套は不思議なことに少しも汚れておらず、今この瞬間に旅を始めたような清潔さを保っていた。


 さらに歩くと、次第に海辺特有の潮の香りが前方から漂ってきた。


 目的地に到着したことの証だ。

 やがて、ひとつの村が姿を現した。


 土造りの家屋がいくつも並んでいる。

 決して大規模といえるほどの大きさではないが、栄えている様子だ。


 長い時間をかけて、彼女たちは目的地の村にたどり着いた。


 の位置と規模で、確かにロック村は存在した。


「…………」


 歩調を一切崩さぬまま、そのまま村のなかへと侵入する。


 入り口の見張り台には村人がいたが、問題にはならなかった。

 まるでかのように、見張り役は白いローブの存在に気づかぬまま彼方の地平線ばかりを眺めている。


 足音すらしないほどの緩やかな歩調を保ちながら、白いローブ姿は村のなかを移動する。


 目的の住居は、探すまでもなかった。


 村で唯一、窓のない建物。


 今は出入り口に布が吊り下げられているだけの家の前に、誰にも気づかれることなく到達する。




 その直後、黒いシルエットのごとく伸びた腕が彼女を襲った。




 なにか言葉を発するよりも早く、暗闇のなかへと引きずり込まれる。


 厚い幕の向こう側から現れた強靭な腕が、片手で軽々と白いローブの人物を持ち上げたのだ。


 息を呑む間もない。

 視界が一気に暗転し、気づけば暗闇の最奥へと体を叩きつけられている。


「──誰だ?」


 少しの光も差し込むことがない闇のなかで、男の声だけが誰何すいかする。


 普段の気さくさが抜け落ちたような、冷たい声だった。

 暗闇のなか、相手の首をつかんだまま壁に押しつけて、ラルゴは一方的に問いかける。


 ひとつだけ、訂正があったようだ。


 という方法は、この用心棒には通用しないらしかった。


「…………ご無礼をお許しください」


 拘束された体勢にも関わらず、ローブ姿の人物は丁寧な語調で返答する。


 透き通るように響く、若い女の声だった。


 震えてもいなければ、怯えている様子もない。


 ただ〝非を詫びる〟という目的のために発せられたように、淡々とした声音だった。


「誰だ、と訊いた」


 質問の答えになっていない彼女の返答に、ラルゴは相手を拘束したままの腕の力を強くする。


「……イース」


 威圧的に尋ねる男に、彼女は観念した様子で話し始める。


「イース・セルビトールと申します。非礼をお詫びします、ラルゴ・レイ──」

「知らない名前だな。そっちはおれのことを知ってるみたいだが、生憎と身に覚えがない」


 相手が話している最中だったが、名前を聞けば充分だとばかりにラルゴは手を離した。


 足が宙に浮いていた状態から放り出され、彼女は咄嗟に着地を優先させる。


 バランスの崩れた体勢だったが、身に着けたローブはまったく乱れていない。


 変わらず頭部を隠したままの相手を壁際に立たせつつ、ラルゴは自分から動いて距離を取る。


「顔を見せろ。名前は知らなくても、見覚えぐらいはあるかもな」

「……はい」


 従順な態度で、イースと名乗った彼女は片手でローブに触る。


 警戒しつつ、ラルゴは白い外套の下から現れた女の全身を注視した。


 脱色したかのように色素の薄い灰色の髪。

 切れ長の眼差しは冷ややかというよりは、淡々としていかなる感情を秘めているかも窺えない。

 端正ではあるが、際立って明言すべき特徴もない凡庸な風貌。


 そして、


(────なんだ?)


 その瞬間に生じた感覚を、ラルゴは形容することができなかった。


 確かに見覚えはあった。


 だが、それが相手の顔に対してであるのか、青白い肌の色に対してであるのかわからない。


 あるいは、実際には見たことがないものに対する既視感デジャブであるのかさえ。


 しかし、それら一切の既視感を塗り潰す特徴をイース・セルビトールは身に纏っていた。


「……悪いが、メイドの知り合いはいねえな」


 給仕服姿の彼女に、ラルゴは面食らったように顔を顰める。


 黒いワンピースに、白いエプロンドレス。

 そして、白いカチューシャ。


 そのどれもシミひとつ汚れひとつない。

 身形も完璧に整えられた、紛れもないメイドだ。


 身に着けていた純白のローブで片腕を隠すようにしながら、直立不動の姿勢でイース・セルビトールは佇んでいる。


「そうですか」


 記憶にない、と告げるラルゴに対してもメイド姿の彼女は淡々とした態度だった。

 口調だけは慇懃だが、気持ちがまるで籠っていないようですらある。


 引き続き、相手の素性は確かめる必要がある。

 だが、先に確認しておくべきことがあった。


「持っている荷物を下ろしてもらおうか」


 あきらかにローブの下になにかを隠し持っている相手に、ラルゴは告げる。


「それは……できません」

「はいそうですか、と武器を見逃してあとで痛い目に遭う気はない。下ろすんだ」

「…………」


 灰色の髪のメイドはしばし考え込む素振りで躊躇していたが、やがて諦めたようだった。

 相手を刺激せず、同時に抱えたままの荷物を慎重に扱うように、ゆっくりと腕を下ろす。


「中身はなんだ?」

「…………」


 メイドは質問に答えぬまま、そっとローブを取り払った。


 相手が怪しい動きをすれば瞬時に攻撃できるように、ラルゴは構えていた。


 しかし、次の瞬間に目の前に現れたモノに関しては、少しも予測できていなかった。


 メイドの顔を見たときと同じ、形容しがたい感覚が彼のなかに芽生える。


 今度は、既視感によるものではなかった。


 それとは真逆、初めて目の当たりにしたものに対して、自分がどういう感情を抱いたのかすぐにわからなかったのだ。


 


 人形、だった。見たこともないほどに、美しい人形だった。




 白く輝かんばかりに艶めく銀色の髪。


 宝石のように光を秘めたあかい瞳。


 滑らかで白い肌は、作り物であるはずなのに生気に満ちているようにさえ見える。


 着せられた衣装もまた、初めて見るような恐ろしく精巧なものだった。


 無垢なほどに白い生地で仕立てられたドレス。


 いかなる職人によるものか、施された装飾は細やかすぎてすべてを目で確かめることができないほどに緻密だった。


 純白のローブの下から現れたのは、幼い少女の姿をした、美しい人形だった。

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