第一章「黎明/開幕(DAWN)」

第一章【1】 異聞

 その奇妙な〝物体〟が漂着したのは、とある名もなき漁村だったという。


 海水に浸るようにしながら横たわる、赤黒い〝物体〟。


 表面を彩る赤と黒は、血の色だ。

 水のなかにも関わらず血は固まりきっており、〝物体〟を怪しげな肉の塊に仕立てあげていた。


 動きはしない。

 動けるはずもない。


 海で死んだ生き物の死骸が海岸に漂着するのは珍しいことではないが、少なくともその漁村の近辺にそういったものがたどり着いたのは、それが初めての出来事だった。


 奇妙な〝物体〟の出現に村の住民たちは最初こそ当惑したものの、次第に平静を取り戻してどう扱ったものか話し合いを始めた。


〝物体〟がなんの死骸であれ、捨て置くには漂着した場所が村に近すぎた。


 長く放っておけば、腐って毒になるに違いない。


 そう結論を出して、村人たちは〝物体〟を処分することにした。


 本当の事件は、そこからだった。


 触れることができる距離まで近づいて、村人たちはようやくそれが海の生物の死骸でないことに気がついた。


 触れてみて、村人たちはようやくそれが死骸ですらないことに気がついた。


 あまりに血に塗れていて、あまりに動かないからわからなかったというだけで。


 その赤黒い肉塊にしか見えなかった〝物体〟は、






















 そのような状態になっても死ねずにいた〝生きた人間〟だったそうだ。





          §§§





 そんな噂を頼りに、彼女たちは旅を続けていた。


 夜。月と星が頭上に広がる荒野に、彼女たちはいた。


 ひとりの少女と、ひとりの女性。

 長い旅の一息に、今は足をとめて向き合っている。


 草ひとつない荒野には相応しくない、奇妙なふたりだった。


 少女の方は、年端も行かないほどの年齢に見える。

 荒野を旅するには、あまりに幼い容姿だった。


 だが、その美しさは常軌を逸していた。


 頭上の月と星の光を反射するように輝く銀色の髪。

 あかい瞳もまた、闇のなかできらめく宝石のように強い光を宿している。


 夜の闇にあって、少女の姿は白く浮き上がって見えた。


 白く輝く銀髪に、白いドレス、白い肌。


 ふたつの紅い瞳が、少女の白い容姿に切り取られたように鮮やかに光る。


 対して、向き合う女性の方は影のように存在感がない。


 灰色の髪は暗闇に溶け込むようであったし、身に着けた衣服もまた特徴に反して自己主張を控えめにしている。


 メイドだった。

 少女と対面する女性は紛うことなきメイドであり、そして少女に仕える従者だった。


 殺風景な荒野には場違いなふたりだった。


 どちらも旅の装いには程遠い。

 夜空ではなく、豪奢な屋敷の天井が似合うようなふたりだった。


 しかし、彼女たちには目的があった。


 噂の真偽を確かめる、という明確な目的が。


 先ほどの奇妙な噂は、彼女たちが今いる大陸に伝わる風聞だった。


 どちらかと言えば、怪談に分類される話だ。

 本当であれば、聞き流して忘れてしまって問題ないはずの内容だ。


 だが噂のなかに出てくるとあるこそが、彼女たちが探し求める人物に該当するものだった。


「……わたしは、彼に会えるだろうか。イース」


 白い少女が、メイドに尋ねる。

 イースと呼ばれたメイドは、うやうやしく頭を下げながら主人の言葉に応えた。


「もちろんでございます、アリムラック様」

「……そうか。そうだな」


 メイドの短い返答に、しかし少女は少しだけ安心したようだった。

 ここにはいない尋ね人の姿を幻視するように、夜空に視線をやる。


 空には、月と星以外にもうひとつだけ浮かぶ例外があった。


 月と星が綺麗に見える雲ひとつない空に、決して無視できない物体が存在している。




〝帯〟だ。そうとしか表現しようがない、奇妙な光景だった。




 暗い空とまったく同じ色をした巨大なベルト状の構造物が、地平線の端から端へと伸びるように浮遊している。


 視認できるのは、それがあまりにも巨大だからだ。


〝帯〟が存在するのは、大気圏のはるか外にある宇宙空間である。

 本来なら肉眼で確認できるような場所ではないのだが、〝帯〟があまりにも長く続いているために、人間の目にも捉えることができるのだ。


 その光景から視線を外して、少女は地上のメイドに向き直る。


「行こうか。わたしの我がままに付き合ってもらってすまなかった」

「いえ、とんでもございません」


 主人の言葉にやはり短く応えて、メイドは少女の体を抱き上げた。


 彼女たちの旅は徒歩だった。

 幼いとはいえ少女ひとりを運びながら、メイドは長い旅路を歩いていた。


 決して楽な道中ではなかったが、それが自分に与えられた使命である以上、メイドに異存などなかった。


 今までそうしてきたように、主人を抱えながら歩きだす。


 空が淡く白み始める。

 夜明けが近い。


 メイドは自然な動作で白いローブを取り出すと、主人ごと自分の全身を外套で包み隠した。


 まだ暗い夜の荒野に、白い姿がポツリと浮かぶ。


 それでは、旅を再開するとしよう。


 目的地の村までは、あと、ほんの少し。

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