吸血機篇 アブソリュート・ブラッド

紘都果実

プロローグ「追想/追走(TRACE)」

序章

 聞こえているだろうか。

 伝わっているだろうか。


 わたしの言葉がわかるのなら、どうかそのまま耳を傾けて欲しい。


 驚かせてしまったのなら申し訳ない。

 急に頭のなかで声が響くなんて出来事は、普通の人間にはありえないからね。

 不愉快だったなら、心から謝罪しよう。


 でも、知って欲しい物語がある。

 聞いてもらいたい物語がある。


 幾星霜いくせいそうのときを経ようとも忘れがたく、大切な記憶を誰かに物語りたい。


 だから、わたしは、わたしの言葉を〝あなた〟に届けている。


 無論、他人の思い出話に興味がないのなら今の段階でそう言ってくれたまえ。


『ノスタルジーに浸りたいだけだろう』と言われてしまえば、その通りだから反論のしようがない。

 迷惑だったのなら、すぐに消えよう。


 それでも、もし聞いてもらえるのなら、退屈させないための努力は惜しまないつもりだ。


 この数千年、わたしから退屈という概念を奪った過去の物語だ。

 その点は保証する。


 では、語り始めるとしよう。


 いまだ生き続ける、わたしたちの物語を。

 今はき、彼らの物語を。


 生きることは、ただ生命活動を維持するということではなく。

 死ぬことは、ただ物言わぬしかばねとなって世界から消滅するということではない。


 それを教えてくれたのが、誰であったかを。





          §§§





 イメージは、無呼吸運動の全力疾走。


 肺のなかの酸素が続く限り走り続け、限界以上に肉体を駆使する感覚。

 たとえ脳に供給するための酸素が不足しようとも、力尽きるまで走ることを止めない極限の状態。


 だが、それもあくまで地上での行為にたとえた場合の話だ。


 はしっているのがはるか宙の暗闇のなかであり、動かしているのが無機質な〝機体にくたい〟であるのなら、そもそも立ちどまって休むことが許されるはずもない。


 ならば、続く限り燃やさなければならないのは、酸素ではなく生命いのちになる。

 自分自身というまきを割り裂き、火のなかにべ続けなければ、この飛翔は成立しない。


 無機物で構成された身体が音もなく、音すらも置き去りにして闇夜を切り裂く。


 飛行する機体そのものは、まったくの無音。

 衝撃に吹き飛ばされた空気だけが、今はもうはるか後方となった遠くで轟音を立てている。


 通常の航空機では不可能な埒外の推進力と隠密性を発揮しながら、機体は光のない暗闇のみちを突き進む。


 到底、有人機ではできようはずもない超絶的な機動だった。


 まずパイロットの意識が持つわけがない。

 意識を保てたとしても、強烈な加速度に体内の血流が暴走し、眼球は弾け内臓が破裂して即座に死にいたる。


 


 幸いにも、この馴染みの浅い〝機体にくたい〟を操るには眼も手足も必要ない。

 外部の情報はすべて脳へと直接的に送り込まれ、操縦するにも頭のなかで念じるだけで事済んだ。


 その代償に肉体的な死を強制されたも同然だが、死にがたさには信用がある。

 目的を成し遂げるまでは、耐えきってみせよう。


 どうあれ、最後に待っているのが死であることに変わりはないのだ。


 とまれば墜落し、はしり抜ければ生物として終わるだけ。

 離陸と同時に肉体の死が決定した以上は覆しようもない。


 それでもはしり出したのは、先を行く機影をとめねばならないと思ったからだ。


 機体が搭載するあらゆる〝感覚センサー〟が、前方に広がる闇のなかに潜む気配を感じ取った。

 超感度の光学センサーが〝目〟の役割を果たして、いまだ遼遠にあるその一点を集中して見据える。




 ──イメージは、音速を超えて舞う蝶。




 飛ぶための翼や、風を受けるための飛膜を持っているわけでもない。

 そのような構造は必要ないと言わんばかりの、異様なまでに無駄のないフォルム。


 白い〝装甲はだ〟を輝かせる外観からは、飛行を目的とした機能がまったく見受けられなかった。


 前進するための推進器すら、どこにも存在していない。

 だというのに純白の機体はたやすく音の壁を突破して、縦横無尽に闇夜を飛びまわる。


 こちらも最高速度を維持しようと死に物狂いで努めているにも関わらず、距離を縮めることができない。

 後方を飛ぶ存在に気づいたのか、純白の機影はあらゆる方角になんの制約もなく、自在に機動を開始して追跡者を撒こうとする。


 ただ純粋に与えられた性能として飛行するさまは、なぜか似ても似つかないはずのはねを持つ昆虫の姿を思い出させた。

 おそらくは、空を駆ける姿があまりにも優雅だったからだろう。




 ──イメージは、光速で外敵を穿うがつ蜂の毒針。




 超高速で飛行する白色の機影から、閃光がほとばしる。


 追随するこちらを視認しているかどうかも不明でありながら、その照準は実に精確だった。


 観測と予測、その二つを完璧なまでに両立させ、標的の真芯を射抜くべく発せられた、それはまさしく必殺の一撃だった。


 大気をき、超硬質の装甲すら歪ませて、赫奕かくえきたる熱線がはるか後方まで伸びていく。


 なぜ躱せたのか──。


 そんな疑問を差し込む余地はない。

 発射の直前、咄嗟にひるがえした機体の表面が尋常ではない高熱を帯びている。

 直撃をまぬがれたというのに、なんという威力だ。


 またも閃光。

 眼前を掠める眩い光に意識を集中させ、回避に徹する。


 またたく、瞬く、実体のない光の針が幾度も瞬く。


 一発一発が敵を撃ち落とす威力をともない、精度もまた正確無比。

 躱すたびに明確な死がこちらの〝装甲はだ〟を掠め、その回避機動の代償に生命が消費されていく。


 撃ち放つのが光であるなら、その発射回数や弾数に限界はあるのか。

 回避に集中しなければならないために思考は定まらず、また正常に働いたとしても解答は導き出せなかっただろう。


 そもそも、こちらに弾切れを待つほどの余裕はない。

 飛行を維持するだけでも必死、光線を躱そうとするだけでも必死。

 いずれ力尽きるのが先か、撃ち抜かれるのが先か。


 己の死という結末を変えることはできないが、そこに至る道筋は変えねばならない。


 そう、最初から、この疾走は自身の生存のために始めたものではない。


 相手に接近するための余力を残すという発想が間違っている。

 近づいたのち、相手を仕留めるための力を残しておこうという発想が致命的になっている。


 ならば、より強く、より速く、死に向かってはしりだそう。


 光線のダメージが表面に蓄積し始めた機体をさらに駆りたてる。

 かろうじて保っていた意識が、一層曖昧なものになっていく。


 構わない、今はただ〝機体にくたい〟を突き動かす己だけがあればいい。


 回避のために大きくしていた機動を最小限のものに。

 被弾を抑えるのではなく、ダメージを前提にした最速最短の動きに最適化させる。


 相手との距離が一気に縮んだ。


 光線の直撃を受ける確率も跳ねあがるが、同じチャンスは二度と訪れないという確信があった。

 機体に残るすべての動力を、接近するためだけに費やす。


 高熱を浴び、溶けた機体の末端が地上に墜ちていく。

 最後は飛行を維持するためのエネルギーも使いきり、ほぼ慣性にしたがうまま相手に接触する。




 イメージは、獲物の喉笛に喰らいつき生き血をすする獣。




 接触した部分から敵機が内包していた膨大なエネルギーを奪い取る。


 それが可能な理屈は知らないが、そうできるということは新しい〝機体にくたい〟を手に入れたときから理解していた。


 奪ったエネルギーを消費すれば損傷した機体を修復できることもわかるが、今は不要。

 飛行を再開するための電力も、もはや必要ではない。


 そして、撃った。


 白色の機体が行っていた精確な射撃に比べれば、無造作なまでの挙動で。

 互いが接触している、もっとも近い箇所からゼロ距離の位置で。


 途方もない熱が即座に両機をむしばんだ。

 この距離では、撃った側も撃たれた側も無事では済まない。

 光線を放った砲身が、発生する超高熱に自らを溶かしていく。


 同時に、傷ひとつなかった純白の機体が中心から吹き飛び崩れ落ちた。

 光線を撃った側もまた、その反動で死に体だった機体を中空に砕け散らす。


 破壊され、目に見えないほどのちりとなって崩れた二体は、なす術もなく虚空に散った。










          §§§










 そうして。

〝彼〟という人間の人生もまた、間違いなくそこで幕を閉じたのだ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る