第一章【2】 用心棒



          §§§



 その日は、いつものように〈奪落者ボルフ〉たちを追い払ってからロック村にある自分の家に戻った。


 いつものように赤黒い全身鎧を身に着けて、いつものように野盗どもを追い払った。


 何年も繰り返した結果、最近は頻度も減ってきた〈奪落者ボルフ〉の襲撃は、今日にいたって久しぶりの多勢だった。


 装備こそ古臭く鉄製の棍棒や斧が大半だが、しかし群れをなした野盗の集団はやはり村にとっての脅威だ。

 見過ごせば村の住民の多くが犠牲となる。


 村の用心棒にとっての脅威とは、決してなりえないのだが。


 たったひとりで大勢の野盗を追い払った直後の村の用心棒は、眠そうに欠伸あくびなどしながら帰路を歩く。


 頭上には巨大な〝帯〟

 およそ五〇年前からただ〝在る〟だけの正体不明の構造物を仰ぎながら、夜明けの光を避けつつ用心棒は移動する。


「あ。おかえり、ラルゴ」


 そうしていると、漁村の入り口に立っていた顔見知りの少女が帰還した用心棒に声をかけてきた。


 小麦色に焼けた肌に汗を流す、活発そうな少女だった。


 年のころは一〇代になったばかりといったところか。

 温暖な地域に適した、布の面積が少ない服装が明るい口調に似合っていた。


 手には稽古用の木剣を持っている。

 日課のトレーニングだろうか。朝早くから精が出る。


「『おかえり』じゃねーよ、イコ。そこは『お疲れ様』って言ってくれ」

「え? でも疲れてないよね、ラルゴ?」

「気分の問題なんだよ、こういうのは。漁から帰ってきた親父さんたちには言ってあげるだろ」

「うん。でもお父さんたちはホントに疲れてるからさー」

「いや、だから気分の問題だって言ってるだろ。言って欲しいんだよ、おれが」


 兜の下で顔をしかめる村の用心棒に、村娘は素知らぬ顔で小首をこしげた。


「そうなんだ? じゃあ次からは言ってあげるね」

「…………最近の若いヤツは、ったく」

「あはは、ラルゴってば老人ロートルっぽーい」

「そんな言葉どこで覚えたッ⁉」

「はーい、目の前の人が言ってましたー」

「あー、くそ。そうだな、おれしかいねーな」

「うん。ラルゴって難しい言葉たくさん知ってるよね」

「まあな。けど覚えるのはいいけど使うな。つーか、おれに言うな。年寄り扱いされると傷つく」


 少女と話しながら、赤黒い全身鎧は村のなかへと入る。


 ロック村の住民たちは、すでにほとんどが起きていた。


 漁師たちの何人かは出発し、まだ船を出していない者もすぐに追いかけるだろう。

 昼頃には獲れた魚を加工する作業に忙しくなるに違いない。


「お、ラルゴか。お疲れさーん」

「お疲れー」

「イコ姉ちゃーん、ラルゴとどこ行くのー?」

「よう。奪落者ボルフのヤツら、また腰でも抜かしながら逃げてったのか?」

「お疲れさまー」


 道行く〈流牧民シーファ〉たちに声をかけられる。

 物々しい鎧姿に委縮する様子もなく、村の住民の多くが親しげに話しかけてきた。

 用心棒の家にたどり着くまでに出会った人々の、ほぼ全員がそんなふうだった。


「ほら見ろ! 普通は『お疲れ様』だろ! 『おかえり』はちょっと変なんだって!」

「いやいやいや、割と冷やかしも多かったと思うよ?」


 家の前で勝ち誇ったように言うラルゴに、イコは抗議する。

 純粋に『お疲れ様』と用心棒をねぎらう村人も確かに多かった。

 しかし、イコがラルゴを出迎えた際の発言を否定するほどではないだろう。


「いーや、変だね。『おかえり』って言うヤツはいなかった。お前だけが『おかえり』って言った」

「あはははー、ラルゴってば意地っ張りなんだから」


 笑いながら先に家のなかへと入ろうとする少女を、用心棒は服のえりをつかんで阻止した。


「待て、そもそもなんでお前はおれの家まで付いて来てんだよ。そして普通に入ろうとすんな」

「なんでー? いつもは普通に入れてくれるのに」

「いつも通りだったら別に構わねーよ。けど今は違うだろ」

「うん?」

「着替えるに決まってるだろうが! この格好のままおれが家のなかで過ごすと思ってるのか⁉」


 鎧姿のまま拘束してくるラルゴに、ようやくイコは納得したように頷いた。


「あたしが着替えを覗くと思ったんだ。やだなー、着替えを手伝うに決まってるじゃん」

「その発想はどっちもなかったよ! 単純に男の裸を女に見せるのが嫌だっただけだ!」


 予想外の返事を少女にされて、半ば絶叫するように村の用心棒は言う。

「ちょっとうるさいよラルゴ」と耳を塞ぎながら、イコは強引に前進を始める。


「おいおいおい、やめろ」

「うん。ラルゴの力だと、このままじゃあたしの服が破けちゃうね」

「…………」

「ふっふー、とめたければ体のどこかをつかむべきだったね」

「……そんな危ないことできるか」


 襟をつかんだ手を放し文字通りお手上げのジェスチャーをすると、ラルゴはせめて家主に先に帰宅させろとばかりに少女の前を歩いた。


 家の内部に入ると、そこは暗い空間だった。


 本来はあるはずの窓がなく、採光をまったく考慮していない不自然なほどに閉鎖的な構造をしている。


 出入りができるのは唯一ある戸口だけ。

 周辺の住居にはどれも窓があるため、地域特有のものではなくこの家だけの建て方らしい。


 これでは、通気性も充分ではないはずだ。

 土を固めて作られただけの家屋はある程度の耐暑性を持つとはいえ、それでも異常な空間だった。


「カーテン下ろしてくれ。明るいと着替えられねぇ」

「はーい。でも、それだとあたしが見えなくなっちゃうよ」

「あー、悪い。ちょっと待ってろ」


 言われて気づき、ラルゴは壁に取りつけられた燭台に触った。

 蝋燭ろうそくに火が点く。


「よいしょっと」


 同時に、イコが戸口に備えられた厚い布を吊り下げる。


 早朝とはいえ明るくなり始めていた外の光が遮られ、ぼんやりとした燭台の灯りだけが室内を照らす。


 蝋燭の火だけが燃えるなか、村の用心棒はようやく身に着けたままだった鎧を脱ぎ始める。


「適当に置いてくから部屋のすみにでも固めてくれ。重い部分は触んなよ」

「うん。けどラルゴの鎧って不思議だよね。見た目よりは軽いんだもん」

「ああ、そうだな。それでも、胴体まわりはお前には重いから触るな」

「はーい」


 イコに指示しながら、習熟した動作で決められた順序どおりに全身の鎧を外していく。


 赤黒い武具がなくなると、その下からは青白い肌が現れた。

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