第三章【9】 戦棍



          §§§



 時は僅かにさかのぼる。


 真祖ロードたちの戦いの決着がつくよりも前。


 エンヴァー・クスウェルが怒涛の反撃に出るよりも、さらに以前。


 数日前に起こった〝杖〟による攻撃で破壊され、より過酷な地形となった荒野を移動する、とある集団があった。


 正確に表現すれば〝姿〟はなかった。


 なぜならば、その一団の身体はすべて霊血アムリタで構成された断鎧カヴァーラによって全身を覆われていたからだ。


 純度の極めて高い白色の装甲は、可視光だけでなく赤外線や紫外線をも完全に反射して、非常に強い隠密性を発揮していた。


 この状態では外部からのエネルギーをも吸収せずにすべて反射してしまうが、《発電衛星》からの無線エネルギー供給があるために問題にはならない。


 加えて、装甲の表層はリアルタイムで観測した周囲の色相を常に反映させることで、土色の景観に完全に溶け込んでいた。


 吸血機ヴァルコラクス《バーネイル》も使用していた〈光学迷彩トレーツ〉と呼ばれる機能によるものだ。


 霊血アムリタで構成された全身鎧は、その一体性ゆえに物々しい音を発することもなく滑らかに稼働し、不規則な地形を苦もなく走破していく。


 その動作には少しの乱れもない。


 肉体の制御すら完全に管理された状態で、不死者ヴァタールの集団は渓谷のごとき地形を迅速に移動する。


〝彼ら〟は気づいていなかった。

 自分たちの存在を察知する者がいることに。


〝彼〟は気づいていた。

 自分たちを脅かす存在が間近まで迫っていることに。


 亀裂が走り、無数の断崖が形成された地表。

 

 そのなかでももっとも高い崖の上に立ち、ラルゴは一帯を見渡していた。


(──


 影すら見えない完璧な偽装だったが、一望している光景のなかに確実に襲撃者は存在している。


 技術的な方法ではない、ただ研ぎ澄まされただけの自身の感覚でそう感じ取る。


 すでに展開し、ラルゴの肉体を覆う純黒のアーマーは高い防護性を発揮して外部のあらゆる刺激を反射していたが、問題にはならなかった。


 生身のときと変わらない、鋭敏な男の皮膚感覚を妨げることもない一体感を昏い色の断鎧カヴァーラは保っている。


 装甲ごしに感じる陽光の気配が、どこか懐かしい。


 自分が覚えていないだけで、かつてのラルゴもまたこのように太陽を感じるときがあったのだろうか。


 白昼の大自然を堪能したい気持ちは尽きなかったが、切り替えなければならない。


 今の自分は〝仕事〟の最中なのである。


「……あんなのを見せられたあとじゃあ、消化試合もいいところだがな」


 吸血機ヴァルコラクスによる戦闘。

 その一端を目撃したあとでは、人間同士の争いなど矮小の極みに違いない。


「まあ、先払いでもらった報酬分の仕事はしないとな」


 呟いて、ラルゴは立っていた頂から勢いよく跳躍した。

 蹴りつけた崖の先端が砕けて大きく形を変える。

 純黒のアーマーが太陽を遮るように、地上に影を落とす。


 跳んだあとは自由落下に身を任せるままにする。

 体勢だけは着地の準備をしながら、今はまだはるか下方にある地上に視線を送った。


 すでに見当はつけていた。

 自分の感覚と、見渡した地形から導き出した位置。

 銀髪紅眼の少女がいる場所まで最短でたどり着くためのルート。


 その経路を行軍していた集団の中心へと、ラルゴは降り立った。


「「「「「──‼」」」」」


 着地の衝撃に、砂塵と瓦礫が派手に舞う。


 物理的な干渉によって白い全身鎧の姿がいくつも浮かび上がった。


 眼前に見えた人型の輪郭へと、ラルゴは拳を叩き込む。


 まともに攻撃を受けて、その不死者ヴァタールは不可視の状態のまま後方へと吹き飛んだ。


 突然の襲来にも、ラルゴの周囲の不死者ヴァタールたちは冷静に対応を開始した。


 フォーメーションを瞬時に組み替え、男が立つ場所を中心に包囲するように配置につく。

 焦燥に駆られて〈光学迷彩トレーツ〉を解除するようなミスも犯しはしない。


 砂埃を利用した〈光学迷彩トレーツ〉へのジャミングも限度がある。

 急変した周囲の環境のスキャニングが完了した。

 かろうじて浮かび上がって見える程度だったすべての全身鎧の姿が、再び消え失せる。


 舞い上がった瓦礫が思い出したように落ちてきて、乾いた音を立てた。


 それ以外の音はしない。

 気配もなくなっている。

 本当に誰もいなくなってしまったのでは、と疑うほどの静謐が一帯に満ちる。


 次の瞬間に襲いかかってきた無数の刃を、ラルゴは感覚だけを頼りに弾いた。


 砂塵を引き裂き純黒のアーマーに迫った無色の刃が、見えないままに防がれる。


 そのすべてが刺突を目的としたものだった。


 霊血アムリタを素材とした断鎧カヴァーラの強度は、並の防具の比ではない。

 通常の打撃や銃撃では、傷ひとつ付けることすらできはしない。


 だからこその、刺突。


 先端をナノサイズまで研ぎ澄ませた刃による突撃こそが、近接戦闘で断鎧カヴァーラを貫通して中身の人間を殺傷しうる唯一の方法だった。


 、読める。


 違わず人体の急所を一斉に狙った同時攻撃を、ラルゴは両腕と片足の動きだけで防ぎ切った。


 鋭利すぎる刃は、先端に触れさえしなければ殺傷力が途端に低下する。


 純黒の装甲に突き立てられる寸前まで接近した刃を真横から打ち払い、そのすべてを無力化する。


 続く連撃。

 一撃目を防がれた者はすぐさま後退し、第二陣が突撃する。


 二撃目、三撃目、四撃目。

 見えざる敵による見えざる刺突を、ラルゴは残らず弾き防ぐ。


 同時に、対応してくるのであれば次の瞬間だろうとも彼は冷静に思考していた。


 直感じみた思考のままに、ラルゴはその場から大きく駆け出した。


 直後、彼が立っていた場所に無数の穴が穿うがたれる。


 離れた位置から発射された、針のごとく細い弾丸による弾幕である。


 百を優に超える数のニードル型の弾丸は、そのすべてが〈光学迷彩トレーツ〉によって隠蔽されていた。


 発射と着弾にタイムラグのない狙撃になおも光学処理を施して徹底的に殺意を隠している。


 走り出した方角、ラルゴの動きを予測して待ち伏せていた者たちが再度、突撃を仕掛ける。


 同時に、生成した狙撃砲を持って高台に立った不死者ヴァタールらが銃撃を行う。


 仲間に被弾する確率が跳ね上がるも、少しばかりのダメージは不死者ヴァタールであれば問題にならない。


 今はただ、作戦の障害であるこの男を排除することだけを目的に──


 その場にいる全員が、純黒のアーマーの両手に〝武器〟が握られていることに気がついた。


 どこから取り出したのか。

 あまりにも巨大で、あまりにも昏い色の得物がいつの間にかラルゴの手のなかにある。


 柄の先端にある頭部は、黒々とした塊となっていた。


 長く厚みのあるフォルムは大剣のようですらある。


 だがそれは斬撃を目的としたものではなく、ひたすら〝敵を打つ〟ことに特化した武器であった。


 ラルゴが身に着けた鎧と同じ純黒色の戦棍メイスがふたつ、そこにあった。

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