第三章【11】 痛み



             §§§



 舞い散る砂塵の勢いも冷めやらぬ最中、ラルゴはひとり瓦礫の山の上に立った。


 脱出には事前に予定していた経路を利用した。


 目論見どおりに崖崩れが起きる保証などなかったが、瓦礫が比較的少なく発生するだろう場所に当たりはつけていた。


 そこを形振なりふり構わず全速で走破したのなら、迫りくる奔流から抜け出すことは可能だった。


 いまだに崖の崩壊は終わっていない。


 純白の全身鎧たちをすべて呑み込むだけでは飽き足りないらしく、粉々に砕けた岩山は流れるように崩れ続けていた。


 その中から這い出るようにして現れた一体の人影に、ラルゴは驚くこともなく視線を送った。


 ギリギリのところで、土砂の重みで脱出できなくなる地点から逃れることができたらしい。

 粉塵に塗れて迷彩を維持することもできずに立ち尽くす不死者ヴァタールを、ラルゴは冷淡に見る。


 運がいい。

 いや、この場合はのか。


 たったひとりで自分という存在と対峙しなければならない相手の不運を、ラルゴは気の毒に思う。


 思うだけで容赦はしなかった。

 それは相手も同じだ。

 純黒のアーマーの姿を認めると、その敵はすぐさま武装を展開して襲いかかってきた。


 完膚なきまでに叩き伏せた。


 一対一ならばリーチの差を考慮する必要もない。

 一斉に放たれたレーザー弾を紙一重で躱して、そのまま相手の懐まで踏み込む。


 そこから起こったのは、一方的なまでの蹂躙だった。


 最速最短、両の拳という身近でもっとも使い慣れた凶器を用いて、ひたすらに連打する。


 体勢を崩して吹き飛ぶ相手をさらに追い、拳を叩き込む。


 回避運動も反撃も、なにもさせるつもりはなかった。

 この相手に許されるのは、もう力尽き倒れることだけだ。


 しかし、やはり硬い。


 なるべく近い部位に集中させて拳を振るっているが、純白の装甲は軋むだけで損傷しない。

 これではなかの人間にダメージが入っているかも判然としない。


 まあいい、と思考を切り替え、攻撃を加速させる。


 今の威力と回数で破壊できないなら、さらに強く激しい連撃を繰り出せばいいだけのことだ。


 新調されたばかりの純黒の全身鎧は、装着者の肉体を完璧にカバーしてくれている。

 拳を振るう動き、地面を蹴り込む動きに合わせて、常に最適の強度と形状へと微妙に変化することで肉体の崩壊を抑制していた。


 生身であれば肉が裂け、骨が砕ける動作をしようとも、柔軟性と剛性を両立させた装甲は適切な圧力を加えて損傷を防いでくれる。


 そろそろ繰り出した拳の数が百を超えようとした頃、純白の装甲の表面にひびが生じた。


 同時に、ラルゴという人間の限界もまた、当然のように訪れた。


「────」


 不意に感じた腕の痛みに、はたと我に返る。


 そうなれば後は一瞬だった。


 痛みという痛みが両腕に広がる。


 再生するよりも早くダメージを蓄積させていた感覚が、全身を支配する。


「が──」


 歯を食いしばる。

 そうしなければ、口のなかのどこかを噛み千切ってしまうと直感する。


「ぁ────ぁ、ぁ────あぁッ‼」


 その場に無様に這いつくばり、ただひたすらに両腕を襲う激痛に耐える。

 死ぬか意識を失う方がマシだと思える苦痛だった。


 当然だ。

 外側の装甲が無傷なだけで、中身はとうに人体としての限界を超えていた。


 千切れそうになる筋肉を、砕けそうになる骨格を、不死者ヴァタールとしての再生能力と断鎧カヴァーラの強度で誤魔化していただけで、およそ人間が動かせる状態ではなかった。


 黒い兜の下で歯軋りをして涙を流しながら、ラルゴは考える。


 なぜ。

 どうして自分はあんなふうに戦えた。

 あのように苦痛を無視して戦い続ける自分を、ラルゴは知らない。


 焦燥も、動揺も、苦痛を苦痛と感じる機能すら、さっきまでの自分にはなかった。


 ゆらり、とすぐ目の前の地面に影が揺れるのを、彼はなおも続く痛みのなかで感じた。


 先ほどまでラルゴが蹂躙していた純白の全身鎧が、すぐそばに立っていた。


「…………」


 両腕の痛みを堪えて、どうにか立ち上がる。


 戦いの最中に、あまりに無防備を晒しすぎていた。

 まだ敵を倒し切っていないというのに、致命的といえる隙だった。


 けれど、無用な心配だった。


 確かに敵は立っていた。

 アーマーの表層に一瞬だけ入ったひびも、すでに霊血アムリタの自己修復機能によって塞がれている。


 ただそれだけのことで、中身の人間はとうに死に体だった。


 断鎧カヴァーラによる姿勢制御も意味を失い、その不死者ヴァタールは瓦礫の上に倒れ伏した。


 糸の切れた操り人形のように、少しも動かない。


 それを見下ろして、ラルゴは複雑な気持ちに駆られた。


 倒れてもいいというのなら──自分だって倒れたかった。


 しかし鍛え抜かれた肉体は、それさえ許さず。


 彼はひとり、瓦礫の山に立ち尽くす他なかった。



             §§§



 戦闘終了。

 接続していたすべての亜祖レプリカとのリンクを切断。


 結果は、想定しうるなかでも最低といえる部類であった。


 ふたつの戦場、そこで繰り広げられた経緯と結末は、およそ最悪と表現しても遜色ない。


第三位真祖サード・ロード》と《第四位真祖フォース・ロード》の敗北。


 および《第一位真祖ファースト・ロード》の拉致を目的に派遣した部隊の事実上の壊滅。


 これを最悪と呼ばずして、なんと呼ぶ。


 特に《第三位真祖サード・ロード》に最後に起こった変化は、あってはならないものだった。


 感情シミュレーションの暴走、演算能力の著しい乱れ。


第一位ファースト》と《第五位フィフス》という前例があるとはいえ、三度起こることはないと判断されていた変化。


 それがまたも起こり、敗北の決定的な理由となった。


 敗北そのものにはなんの意味もないが、それが及ぼす影響には度しがたいものが依然ある。


 やはり、瑕疵バグを発生させた個体に接触する行為が問題ということか。


 検討する余地はあるが、それも今は重要な課題ではない。


 速やかに、第三段階へと作戦を移行。

 ここから先は、自分だけで事態を収拾させる。


 


 そうして。

 第二の真祖ロードは、次の一手を淡々と打つのであった。

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