第三章【12】 純白



          §§§



 遠くから聞こえていた音が、やんだ気がした。


 ずっと遠く、村の外から聞こえていた音は、おそらくは〝戦い〟の音。


 どこの誰が、どんな武器を使って戦っていたかも判然としないけれど、肌を刺激するように続いていた空気の振動がなくなった気配に、イコは胸を撫で下ろした。


 あまり長い時間ではなかったが、心地のいい感覚ではなかった。

 空気だけではなく、地面が揺れる感覚すらあった。

 落ち着きようもない、居心地の悪い時間が続いていた。


 そこまで敏感に感じ取ったのは、どうやら自分だけらしかった。


 村の外から鳴り響く異音に、ほかの村人は首をかしげこそしても自分ほど〝音〟を感じてはいないようだった。

 逆に、そわそわと落ち着きなくしているのを父親に怒られてしまった。


 そっと自宅から周囲を窺うように出て、イコは村の外に視線をやった。


 つい先日までとは様変わりしてしまった地表は、地平線の彼方まで険しくなっている。


 村を出るとすぐに地割れに突き当たってしまう。

 日課にしていた早朝のランニングを続けるには、どうすればいいだろう。


 そこまで考えて、イコは村の入り口に黒い人影が立っていることに気がついた。


 直前まで、まるで認識することができなかった。

 いつもなら、すぐに気づける相手なのに。


 見間違いようもない。

 このロック村の用心棒の姿だった。


「ラルゴ──」


 声をかけようとして、なぜかイコは一瞬だけ躊躇してしまった。

 咄嗟に『おかえり』と『お疲れ様』、そのどちらを言うか迷ってしまったからだろうか。


(──あれ?)


 それとも、見覚えのあるはずの人影がひどく違うものに見えてしまったからだろうか。


 まとう空気、気配と呼ぶべきものが異なっているように感じられた。


 呼びかけた瞬間、こちらの声を認識された瞬間に、首筋に刃を当てられたような冷たい感覚が、あった。


 その錯覚に僅かに遅れて、純黒の全身鎧が少女へと顔を向けた。


「……ああ。イコか」

「う、うん」


 名前を呼ばれて、頷いてみせる。


「ラルゴ、だよね?」

「……うん? おいおい、ほかに誰がいるって言うんだよ」


 確かめるように尋ねられ、全身鎧は兜の下で苦笑を漏らした。


 しかし、すぐに無理もないことかと彼は思い直した。


 この数日のあいだロック村の周辺で起こった出来事を思えば相手が心配するのも無理もない、と。


 鎧の形と声が同じというだけで自分だと証明するには、確かに不足だったかもしれない。


 次の瞬間、ラルゴの全身から放たれるようだった威圧感が霧散していた。


 正確には黒い鎧そのものが跡形もなく消えるみたいにして、気づけば漆黒のコートに変化している。


 フード越しではあったが、その下に見える男の顔は間違いなく村の用心棒だった。


 青白い肌に、くすんだ白色の髪、屈強な身体に対しては純朴でさえあるほどに年若い容貌。


 本当に相手がラルゴだとわかって、イコは心の底から安堵した。


「ああ、よかった。無事だったようだね」


 声に振り返れば、灰色の髪のメイドが銀髪紅眼の少女を抱えて立っていた。


「……そっちこそ、勝てたみたいだな。もうひとりはどうした?」

「エンヴァーなら、戦闘が不完全燃焼になったのが相当に気に障ったそうだ。適当に暴れ直してから戻ると言っていたよ」

「あ? そんな性格だったのか、あいつ」


 いつも通りのラルゴだった。

 アリムラックと話す様子も、いつもと変わらないラルゴに見えた。

 やはり、さっきの違和感は気のせいだったらしい。


「………………あー、そういえば」


 自分の家に戻ろうと歩き出して、ラルゴは思い出したように不死者ヴァタールの少女に振り向いた。


「成り行きみたいになってたが、一応は言っておいた方がいいな」

「うん? なんの話だい?」

「仕事の話だよ。お前の護衛をするかどうか、って話だ」

「う、うむ。そのことか」


 銀髪紅眼の少女は、ドキリとしたふうに口籠もる。


「とりあえず、引き受ける」


 あっさりと告げられて、アリムラックはキョトンと呆けた表情を浮かべた。


「なんだ、その顔」

「い、いや、さっきも思ったが、どういう心境の変化なのかと不思議なだけさ」

「あー……まあ理由は別にいいだろ。鎧も新調してもらったし、義理立てみたいなもんだ」

「しかし、それは報酬にはならないだろう。君の記憶──」


 面倒な話題に触れようとしたアリムラックを、ラルゴは片手をあげて制した。


「それは、何度も言ったとおり断る。この仕事が終わるまでに別の報酬を考えておくから、そっちにしてくれないか?」

「──わかった。君が言うのなら、そうしよう」


 素直に頷き、アリムラックはラルゴの要求を受け入れる。

 そして、すぐに例の花のような笑顔を浮かべた。


「ともあれ、これで君との契約は正式に成立した! わたしはとっても嬉しいよ!」

「…………あのなあ」


 呆れて、ラルゴは顔を顰める。


 急に相手がほがらかに笑うものだから、思わず見惚れてしまったのだ。


 誰もが、襲撃は終わったと考えていた。

 戦いの気配そのものが過ぎ去って、気を緩めても問題ないと感じていた。


 実際に、直前まで予兆はなにひとつとしてなかった。

 ラルゴの感覚にも、アリムラックの知覚にも、探知できる存在はなにもなかった。


 ロック村の直上、一体の吸血機ヴァルコラクスが突如として出現するその瞬間まで、誰も気づくことができなかった。


「────」


 不意に足下へと落ちた影に、頭上を見上げる。

 白い機体が視界に映る。


 白、どこまでもあかるい純白。

 すべてを包み込む、純度の高い光のような白色。


 磨き抜かれた彫像のごとき、最初からその美しさを持って生まれ落ちたかのような自然さを保つ〝機体にくたい〟。


 シンプルで無駄のない鋭角なフォルムは、蛇か竜を思わせる生物的な構造だった。


 あまりに脈絡のない、唐突な出現だった。


 その機体の所属を瞬時に知ることができない者は、アリムラックかエンヴァー、どちらかの所有する機体であるかと思ってしまうほどに。


 そのどちらでもない。

 その吸血機ヴァルコラクスは彼女たちを排除するためだけに造られた存在なのだから。


 遠くから、風を撒き散らす音が聞こえてきた。


 聞こえたときにはすでに、白金色の吸血機ヴァルコラクスが純白の機体まで迫っていた。


 分離させた端末砲になけなしのエネルギーを装填し、一斉射撃を──


「エンヴァーッ!」

『──チィ!』


 アリムラックの叫びに、《バーネイル》は攻撃の直前に端末砲の操作を切り替えた。

 今この瞬間、配置できるだけの霊血アムリタを地上の村へと降下させる。


「アリムラック!」


 ラルゴもまた、少女の名を叫んでイースに抱えられたままの彼女に駆け寄ろうとする。


 名前を呼ばれて、銀髪紅眼の真祖ロードはラルゴの方を向いた。

 向こうとした。


 頭上に浮かぶ純白の吸血機ヴァルコラクスが変形する。


 その周囲に本体よりも巨大な〝環〟をいくつも形成し、同時に《衛星》からのエネルギー供給を開始。


 なんらかの兵装を使用するのであれば、無線供給といえど起動まで僅かに時間を要するはずだった。


 少なくとも、ラルゴがアリムラックのそばまで駆け寄るための時間はあるはずだった。


 ──流転する。


 純白の機体に送電されたエネルギーが〝環〟の中を循環し、増幅され瞬時に充分な電力を発生させた。


 閃光が迸る。

 すべてを浄化するような、純粋な光が降り注ぐ。


 白い吸血機ヴァルコラクスの放った光に、今度こそ本当に、ロック村という場所は地上から消滅した。

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