第三章「応戦/契約(ENGAGE)」

第三章【1】 不死者

不死者ヴァタール〉とは、不死身の存在である。


 外見は人間と大きく変わらないが、驚異的な治癒能力と長大な生命力を備えている。


 共通の特徴として日光に弱く、昼間は自由に活動することができない。


  しかし、陽の光を浴びても灰になるようなことはない。

 太陽に晒されたとしても皮膚が火傷を負う程度であり、致死性の弱点ではないため完全に死亡することはありえない。


 だから、不死者ヴァタールは俗に〝吸血鬼〟と呼ばれることがあるだけで真正の怪物ではない。


 単に、不死身の肉体と過剰なまでの生命力を持つ人間である。

 血を主食とするいうのも俗説であり、現実に不死者ヴァタールが食事目的でヒトを襲うようなことはなかった。


 だが、理由としては充分だった。


〝不死〟という点で、伝承の内容に限りなく近い──いや、という意味ではそれ以上の存在である。


 差別され、いわれなき迫害を受けるには、充分な理由だった。


 かつての旧文明において、不死者ヴァタールの存在は往々にしてタブーとされた。

 古来より言い伝えられてきた〝吸血鬼〟としての伝承は、徒人ただびとを恐怖させるには存分な理由だったらしい。


 不死者ヴァタールが最初から不死者ヴァタールだったわけではなく、という事実が広く知られたところで、忌み嫌う感情が払拭されることはない。


 迫害され、行き場を失った不死者ヴァタールたちは、いつしか独立した集団としてコミュニティを形成するに至った。

 人々は、群れとなった不死者ヴァタールをさらに恐れる。


 なにより、その頂に立つ者を恐れた。

 同胞であるはずの不死者ヴァタールたちですら、かの者を恐れた。


 その不死者ヴァタールは、限りなく強かった。


 個人でありながら軍隊に匹敵するほどの戦闘技術を持ち、あらゆる脅威を排除できるだけの〝力〟をそなえていた。


《最強》──月並な表現だが、事実であるのだからそう呼称するほかにない。


 あるいは、《恐怖》そのものと呼んでもよかった。


〝力〟の具現であるかのような圧倒的な戦闘能力と、ルールを犯せば同胞すら容赦なく処断する絶対的なほどに厳格な在り方。

 その両方を誰もが恐れた。


 純粋なる武力によって不死者ヴァタールの頂点、その一角を担った者の名は──



          §§§



 悪夢のような記憶ゆめから目が覚めた。


 覚えのある知識と、覚えのないはずの記憶が混ざり合う感覚。

 無色透明な知識という情報に、ドス黒い色の異物が混入していく不快感。


 目覚めたのは、忌避感によるものだったのかもしれない。

 記憶という色が完全に混濁する前に、本能が覚醒を促したのだろうか。


 目を開けると、見慣れた土色の天井が頭上にあった。


 瞬時に、自分が今いる場所が普段暮らしている住処だと理解する。

 覚醒した脳が高速で活動して、状況を整理しようと働き始める。


 自分が誰であるか、本当に今いる場所が自宅で間違いないか、それより以前になにが起きたか。


 直前まで、どんな悪夢きおくを見ていたのか──。


「……ッ」


 頭痛にも似た感覚に、咄嗟に記憶の回想を中断する。


 思い出そうとすれば、その先の内容まで理解してしまいそうだったからだ。


 いらない、そんな記憶は必要ない──そう、頭の片隅でラルゴが忠告している。


 目覚めた直後で余計なことまで思い出そうとする自分を戒めて、彼は起き上がる。


 眠っていたのは理解できたが、しかしなぜ自分がこの場所にいるのか分からない。


 最後に想起できるのは、あの浜辺での出来事。

 見惚れるほどに美しかった、少女の微笑み。


 それとも──もしかすると本当に、なにもかもが夢だったのだろうか。


 なにかの間違いで、あんな突拍子もない非現実的な内容を夢に見てしまっただけではないのか。


 アリムラック・ヴラムスタインという少女は存在せず、自分は一度たりとも死んでもいない。


 そんな現実逃避じみた妄想は、部屋のすみで三角座りをしている見覚えのない子どもという現実に、容赦なく打ち砕かれた。


「…………は?」


 起き上がろうとする動作の最中に視界に入り込んだ光景に、ラルゴは思い切り困惑した。


 相手が銀髪紅眼のあの少女であったのなら、まだ理解できた。


 あの現実離れした出来事も、実際の経験だったのだと受け入れることができただろう。


 けれど、自分の家にいるのがまったく見覚えのない金髪の子どもだったのなら、どうすればいいというのか。


 目が合った。

 白金にも似たプラチナブロンドという派手な髪色の隙間から、らんとした金色の瞳が窺うようにラルゴを見ていた。


 陶器のように白い肌、つまりは人形のようですらある美しい肌色。

 金色と白色を絶妙に混ぜ合わせて染めあげた、上質な布のように艶やかな髪色。


 そして、白い容姿と相反するように暗色で統一された、上品なドレス。

 ゴシック・スタイルというのだったか。

 気品と可愛らしさを両立させた、少女らしい衣装。


 絵に描いたみたいに可憐な子どもが、部屋のすみで三角座りをしてラルゴのことを見ていた。


「…………はァ?」


 本当に意味がわからず、間の抜けた声を出すしかない。


 そんなラルゴに対して、相手は一言も喋ることなく視線を寄越すだけ。


 動かない。

 喋らない。

 人形のように、固まっているだけ。


 本物の人形なのでは、と一瞬だけ疑ってしまうも、しかし同じ勘違いを何度も繰り返すほどラルゴも見当外れな人間ではない。


「おい、お前……」

「…………」


 話しかけても反応しない。


 しかたなく、起き上がろうとして途中で止まっていた体勢から身体を完全に起立させる。


 青白い筋肉質の身体は、なんの支障もなくラルゴの意思どおりに動いた。


 起き上がるついでに全身の感覚を確かめてみるも、どこにも違和感はなく、ダメージも残っていない。


 どれほどの時間を眠っていたのだろう。

 普段であれば感覚だけで把握できるのだが、完全に昏睡していたらしく時間が不明瞭になっている。


 ひとまず起き上がり、室内の様子を確認する。

 なにやら様変わりしている状態だったからだ。


 愛用していたコートがなくなっており、収納のためのラックにはやたらと黒い外套が代替品のようにかけられている。

 仕事道具である赤黒い全身鎧も見当たらなかった。


 そして、もうひとりの同室者。

 いまだに三角座りの体勢のまま自分を見ている子どもに、ラルゴはどうしたものかと視線をやる。


 予感があった。

 目の前の子どもの容姿は、間違いなくアリムラック・ヴラムスタインと同質のものという確信。


 すなわち、このゴシック・ドレスの子どももまた──


 思いかけ、途中で『いや待て』とラルゴは頭を振った。


 そもそも、あの少女が語った内容の真偽がまだ確かでないのだ。


 あの場で確認する余裕などなかったが、〈真祖ロード〉という単語はラルゴの記憶にもないものだった。


 通常の不死者ヴァタールとなにが違うのか、あきらかにラルゴの再生能力を上回る速度で回復してみせた少女の秘密が、そこにあるのか。


 だが、当面の問題はやはり──


「……お前、名前は?」


 尋ねてみても、金髪の子どもは一言も発さず微動だにすらしない。


 プラチナブロンドの髪の奥に隠れるように、一対の瞳だけがラルゴのことを見つめている。


 その視線に居心地の悪さを感じながら、ラルゴは部屋のすみで佇むままの相手に歩み寄る。


 近くで観察しても、やはりアリムラックに負けず劣らず美しい子どもだった。

 年のころも、外見上は彼女と変わらないように思える。


「名前、訊いてるんだけどな」


 身をかがめ、視線の高さを小柄な身体に合わせながら話す。

 相変わらず、黙秘を続ける子ども。


「……あのなあ」


 さすがに当惑よりも進展しない状況への苛立ちが勝ち始めて、胡乱に相手を見る。


 真っ直ぐに見つめるものの、爛々と輝く金色の瞳が白金色の髪の隙間から見えるばかりだった。


 その、上質な絹糸のごとく艶やかな髪に、一瞬だけラルゴは目を奪われた。


 無意識に手を伸ばしてしまっていた。

 青白い武骨な指先が、柔らかい髪に沈み込む。


(うわ──)


 その感触があまりに心地良くて、心のなかで感嘆する。


 サラサラサラ、と撫でているはずの自分の指が撫で返されるみたいな感覚だった。

 吸いつくように、溶け込むように、白金の髪はラルゴの指を刺激する。


 有り体に言って、癖になる触感だった。

 許されるのなら、いつまでも撫でていたいと思ってしまうほどの快感だった。


「…………」


 決して強い力ではないが、あまり撫でられ続けるのも愉快ではないはずだ。


 しかし金髪の子どもは黙ったまま、逃げることもなくラルゴに触られるのをよしとしている。


 やめろと言ってくれればラルゴもやめただろうが、相手が抵抗しないのだから区切りをつけることもできない。


 そのまま子どもを撫でる行為が永遠にも続くかと思われた、次の瞬間、


「……うわー。見て見て、なんかドン引きしちゃう光景だよー」

「ふむ? 彼がエンヴァーを撫でているのが気まずいことなのかい?」

「いやー、それだけなら普通かもしれないけど真っ暗な家の中でするのはヤバいってー」

「…………おい」


 なに見てやがる、と戸口の影から覗いていたふたりの少女に、ラルゴは声をかけた。


「あ、ヤベ、バレちゃった」


 日除け用の幕の隙間から家の中を見ていたイコが、慌てて隠れようとする。


「バレちゃったじゃねーんだよ。コソコソ話してる時点で丸分かりだし、今さら隠れようとしても無駄だろうが」

「……いやー、お邪魔しちゃったかなー、なんて」


 どこか気まずそうに話しながら、小麦色の肌をした少女が幕をくぐって家の中に入ってきた。

 一瞬だけ日差しが室内を照らして、ラルゴは反射的に家の奥へと後退する。


「あ、ごめん」

「気にすんな、問題ない。……それより」


 謝るイコに言いつつ、その後ろに立っている人物へと視線をやる。

 明るい陽光の中に立つようにして、幼い少女が彼を見ていた。


「おめでとう。無事に回復したようだね」

「……まあな」


 どう答えていいものかわからず、当たり障りのない言葉を口にする。


 自分のことよりも、相手の状態の方が気がかりだった。


 なにひとつ出会った時と変わらぬ姿で、少女は佇んでいた。

 銀色の髪も、紅い瞳も、透き通るように白い肌も損なわれていない。

 どんな魔法か、純白のドレスまで元通りに復元している。


 太陽の光のなかにあって、少しも輝きを失うことのない姿で、アリムラック・ヴラムスタインという少女は存在していた。


「……お前は、平気なのか?」

「わたし? 見てのとおり、どこも損傷などしていないよ。心配させてしまったかな?」

「いや……そうじゃなくてだな」

「──ああ、そうか。失礼、『太陽光が平気なのか』という質問だったのだね。まあしかし、その質問に対してもご覧のとおりだ」


 確かに、見たところ陽の光を浴びても少女はなんの問題もないようだった。

 火傷どころか、シミひとつない白い肌を保っている。


 だが、それでは前提が崩れる。


 少女が不死者ヴァタールならば、なぜ陽光に晒されても無事なのか。


「正確には、違うね。君たち〈亜祖レプリカ〉が持つ紫外線への過剰免疫を克服しているというだけで、別に日焼けしないというわけじゃない。単に、皮膚が炎症を起こすよりも早く細胞が再生し続けているというだけさ」


 何気なく言って、アリムラックもまた家の中へと入ってきた。


 その背後には、影のように付き従うメイドの姿もあった。


 イース・セルビトールだ。

 色白の女はやはり白い外套で全身を覆い、陽光から身を守るようにしながら主人の傍らに控えている。


 室内に入ると、アリムラックはいまだに三角座りの姿勢を崩さない自身の同胞へと視線をやる。


「自己紹介がまだなんじゃないか? ダメだろう、彼に失礼じゃないか」

「…………」

「エンヴァー」

「……はぁ」


 そこでようやく、ラルゴはその声を聞いた。


 か細く、聞き取り辛いはずなのに妙に耳に残る声。


 それは、心底からの『面倒だが仕方がない』という感情の吐露だった。


「《第五位真祖フィフス・ロード》エンヴァー・クスウェル…………よろしく」


 気だるげな声音で、金髪金眼の不死者ヴァタールは、そう告げた。

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