第一章【5】 人形

「────」


 白い少女の姿をした人形に、ラルゴは言葉を失う。


 さすがに、こういう事態は予測していなかった。

 不意を衝くという意味では、下手な攻撃よりはるかに効果的だっただろう。


 といっても、人形を床に立たせただけで、メイドがそれ以上ほかになにかするようなことはなかった。

 反応できないでいるのは、ラルゴだけの問題だった。


「…………なんで、こんなもの持ち歩いてるんだ?」


 かろうじて口から出た質問は、当然といえば当然の疑問だった。


「それが、私の仕事だからです」


 メイドは、ごく短い言葉でラルゴの問いに返答する。


 そんな答えでこちらが納得すると思っているのか。


 どうやら、思っているらしい。

 無表情のまま立つだけのイースに、ラルゴの困惑は強まる。


 人形とメイドを見比べる。

 ひどく現実味のない光景だった。

 見ていると、妙に浮足立ってくる。


 どちらに対して、というなら人形の方にだった。


 警戒を続けるべきなのはメイドの方であるはずなのに、視線はつい銀髪の人形に向いてしまう。


「……まあいい。それで? こっちはあんたの顔も名前も知らなかった。けど、そっちはおれのことを知ってるらしい。村に忍び込むような真似をして、おれになんの用があった?」

「仕事を──」


 ラルゴの問いかけに、ハッキリとした口調でイースは答えた。


「あなた様に、護衛の仕事を依頼したく参りました」

「…………はァ?」


 意外な返答をされて、ラルゴは思い切り怪訝な顔をする。


「あなた様の用心棒としての手腕は、この村ではない場所でも聞き及んでおります。是非そのお力をお借りしたく参った次第であります」

「……最近は、ヒトに仕事を頼むときには気配を殺すのが流行はやりなのか?」

「申し訳ありません。職業柄、他人に気取られないようにするのが習慣になっておりまして」


 冗談めかしたラルゴの質問にも、イースは丁寧な口調で答える。


「職業柄?」

「ですから、《従者セルビトール》と名乗らせていただきました」

「…………」

「…………」

「いやいやいや。わからねえ、皆目なにもわからねえ」


 要領を得ない説明に困惑して、ラルゴは何度も首を振る。


 このイースというメイド、訊かれたことには素直に答えるがそれ以上の釈明をしようとしない。


 そもそも話す内容すら、端的すぎて理解しがたい。


 淡泊なのか、事務的なのか。

 それとも単にマイペースな人間なのか。


 ほかの感情を持っているかどうかも怪しい淡泊さだが、とりあえず悪意も害意も持っていないのは確かなようだ。


「従者やメイドは別に気配を消すのが仕事じゃねーだろ」

「…………」

「アレか? 主人の三歩後ろを歩いて影を踏まないように、とかそういうポリシーなのか?」

「そうですね」

「あんた、絶対ぜってぇ適当に喋ってるだろッ⁉」

「いえ、そのようなことはありません」

「ッ……!」


 叫び出したい衝動に駆られて、ラルゴは思わず自分の歯を食いしばった。

 このメイド、質問という形式にしなければ話そうとすらしない。


(質問すれば答えはするんだな。だったら……)


 接し方を変える。

 意味が不明な返答をされる可能性もあるが、とにかく情報を引き出さねば話が終わるどころか先に進む気配すらない。


「従者ってことは、さっきのおれのたとえじゃないが主人がいるわけだな?」

「はい、その通りです」

「護衛の仕事っていうのは、その主人を護って欲しいってことか?」

「はい」

「どこでおれの話を聞いた? 用心棒なんてこの村限定で、他所よそに宣伝した記憶はないんだが?」

奪落者ボルフたちが話しているのを盗み聞きしました。この地域に、信じられないぐらいに強い用心棒が守っている流牧民シーファの村がある、と」

「……」


 素直に、無理がある話だろうとラルゴは思った。


 特別に矛盾している内容ではないが、どうにも狂言じみている。


 イースという女の話し方があまりに淡々としているのもあって、真実味がまるでない。


 だが同時に、嘘だと断言できる材料もなかった。


 質問しているあいだも、女は表情ひとつ変えることをしない。

 受け答え自体もとどこおりなく、内容はともかくとして不自然ではなかった。


 矛盾はなく、真実味もなく、嘘を吐いているという判断材料もない。


(どうしたものかね……)


 現状、イース・セルビトールは不審人物でしかない。

 手段は不明だが他人に気配を悟られない方法を用いて村に侵入し、自分のところに現れた。


 これが殺し屋なら一触即発だな、と内心でラルゴは苦笑する。


 簡単に殺される気はなく殺されるような目に遭っても問題ではないが面倒事は避けたい。


 そもそも相手は殺し屋ではなくメイドだが。


 ともかく考える。

 この奇妙な状況について、どう対処すべきか思考する、


 とはいえ、彼のなかではイース・セルビトールが持ち込んだ厄介そうな話について、すでに〝断る〟という選択肢に思考が寄りつつあった。


 単にキッパリと拒否するための理由をまだ思いつけていなかっただけだ。

 もう少しだけ情報を聞き出そうと、質問を再開する。


「仕事ってことは、終わったら報酬はもらえるって考えていいのか?」

「はい。構いません」

おれが要求してもいいのか? それとも、ご主人様からなにを報酬にするかもう聞いている?」

「後者です。『わたしを無事に護り通せたなら、報酬を支払う』とことづかっております」


 よしよし、と表情には出さず内心で満足する。

 自慢ではないが大して物欲はない、というのがラルゴが把握している自分の性格だった。

 報酬がなんであろうと問題にはなるまい。


「そうか。で、肝心のその報酬ってのはなんだ?」


 余裕綽々とした態度で気楽にラルゴは尋ねて、


「〝記憶〟です」


 淡々とメイドは答えた。


「あなた様の失った記憶を取り戻してみせる、と我が主は仰っていました」


 そう、なんでもないことのようにイース・セルビトールは言った。


「────……」


 どんな報酬だろうと無条件で断る気でいたのに、すぐに言葉が出なかった。


 しかし、思考がとまってしまったわけではない。

 そこまでの衝撃はなかった。


 一○秒ほどだろうか。彼は、考えるだけ考えた。


 そして、不意に気が抜けたみたいに笑うと、


「断る」


 やはり話にならない、と女の申し出を拒絶した──次の、瞬間。




「はああぁあぁぁああぁぁぁぁあああぁぁぁぁああッ……⁉」




 絶叫が。

 この世の終わりと言わんばかりの魂の叫びのような声が、暗闇のなかに響き渡った。


「待ちたまえ、待ちたまえ! どうかしているぞ、君! 今のはどう計算してもわたしの護衛を引き受ける流れだっただろう⁉」


 幼い声が、全力でラルゴのことを非難する。

 声はわかいのに、妙に理知的な話し方だった。

 いや、そんなことは些細なことで問題なのは、


「…………あ?」


 なにが起こったのかを理解できず、どうにか視線だけを床へと落とすラルゴ。

 先ほどからそこにあった人形の少女が、立っているだけだった。

 その人形が、今は不満そうな目で自分のことを見上げていた。


「なッ……」

「……失礼した。あまりに想定外だったので、思わず興奮してしまった」


 感情シミュレートを調整させてくれ、とわけのわからないことを言いながら人形はたたずまいを正そうとする。


 動いている。

 人形なのだから少しも動くはずのなかった少女が、今は活き活きと言葉を紡いでさえいる。


 否、そうではない。


 今だからこそわかる。

 こちらを見詰めるあかい瞳も、銀色の髪も白い肌も、間違いなく本物だった。

 本物の〝生きた人間〟だった。


 いまだに事態を飲み込めずにいるラルゴの前で、白いドレスの少女はコホンと可愛らしく咳払いをして、




「自己紹介から始めさせてくれ。わたしの名は、アリムラック・ヴラムスタイン」


「君が護衛として守るべき、雇い主だ」




 幼い容姿に似合わない居丈高いたけだかな口調で、そう告げた。

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